2020年12月23日

塀にもたれて(焙り家の記憶)

 

裏六角橋とも呼ばれていた、通りを挟んで神大側の一角。

そこに在った焙り家のことを、今でも思い出すことがある。

そこはミュ―ジシャンの溜まり場的な色合いがあって

夜も更けてくると、必ず誰かしらやって来て

カウンタ―での音楽談議に花が咲いたものだ。

ただし低料金の安酒屋だったこともあり、

繁盛していたようには見えても、実入りは少なかった為

私が通い始めてから数年で店を畳んでしまった。

ふだんは飲み客だけの、その小さな店で

当時私のサポ―トバンドであったMud Trickを引き連れて

2008年の夏に生音でライブをやらせて頂いた。

狭い店なので、メンバ―が客席に座って演奏したりで

なんだかごっちゃごちゃの状況で終始したんだけれど

これがまた、すごく楽しくってね。

その時にソロで歌った数曲の中から「塀にもたれて」を

FBの(例の)グル―プサイトに先ほどUPしたので

こちらのBlogにも載せておこうかと思う。

あいかわらずの静止画だけど

呑み屋の空気感と雰囲気を想像しながら味わってちょうだい。

明日はイヴかあ・・


2020年12月22日

出会いがしらの事故、みたいなもん

 

ゴッキゲンなバンドに出くわしてしまった。

毒の吐き方といいグル―ヴ感といい、これはRockだわ。

これ、これこそが昨晩言いたかったことの答え。

社会派気取って綺麗事ばかりの文字を並べる歌い手さんよ

彼らがかます、毒に満ちた屁の臭いを嗅いでみたまえ。

どうだ、愛に満ち溢れてるだろ。

熱いわけでもなく、冷めてるわけでもなく

この適度な脱力感に私はすっかり惚れ込んでしまったのさ。

いなのとひら・のとこば」(舌噛まないでね)

fホ―ルのギタ―を操る稲野真人のプレイには

畑こそ違えど私の好きなギリアン・ウェルチの

サポ―トであり旦那でもあるデヴィッド・ローリングスをも彷彿とさせ、

そしてもう1本のギタ―とベ―スが醸し出すグル―ヴは

その遊び心で、私の好みのど真ん中を突き抜けて行ったのだ。

言葉も音も、とにかく小気味いい。

なんかねえ、聴いててスカッとするんだよね。

例の、FBの交流サイトで出会いがしらの事故みたいに遭遇して

楽しくなってコメント入れて、数回やり取りして

YouTubeのチャンネルに入ってる曲ほとんど聴いて

ツボに嵌った私は、すっかりファンになってしまったわけで。

さて、皆さんにどの曲を紹介しようかと迷った挙句

決めかねて面倒くさくなり(笑)とりあえず

これを載せてみることにした次第なり。

チャンネルのリンクを貼っておくので

わあ、楽しい!と感じた方は、各自でお試しあれ。

(2) select 「いなのとひら・のとこば」 - YouTube

添加物抜きのこんな毒なら、これは妙薬と言ってもいいだろうね。

病んだ体に効くぞ、きっと。(文中敬称略)


2020年12月21日

嘆きのジジイ

 

う―ん、なんだか悲しい気分になってくる。

昨晩お伝えしたFBの交流サイト、

次から次へと「歌」が投稿されるんだけど

なんだかね、言葉が貧困すぎるんだよ。

たとえば社会や今の時世を嘆くかのように

新聞の活字をそのまま羅列したような歌に出会うと

気が重くなるだけで「だから何!?」と言いたくなる。

で、君はこれからどうしたいわけ?

その答えも無ければ道筋も無く

淡々と原稿を読むだけのような歌詞は

「文字」であって「歌」とは言えない。

いいんだよ、カッコつけて社会派ぶらなくたって。

そのような輩の立ち位置が、中途半端すぎて嫌だ。


大義名分を口にしないで日常を歌いなさい。

ほんの些細な日常の出来事を歌いなさい。

逃げ出して、行くあても無いときは

臆病な己の弱さを歌いなさい。

喜びも悲しみも、怒りも苦しみも

ぽろっと零れ落ちた雫のような

「言葉」を大切にしようね。

・・と、

己への戒めを兼ねて、爺さんは嘆くのであった。


2020年12月20日

フォ―クよりも箸が好きなのだが・・

 

己のスタイルがどうであれ、

私は「フォ―クソング」という名称が嫌いだった。

60年代、アコギで弾き語ると人々からそう呼ばれ

そして必ず、更なる仕分けのために区分けされ

カレッジ〇〇とか、反戦〇〇とか、〇〇ロックやらの

どれかに所属せねば居場所が無いような時代だったからだ。

偏屈で頑なな私でなくとも、これは鬱陶しく思うだろう。

無所属ではいられなかった当時の煩わしさの元凶が

その「フォ―クソング」という括りだったのだ。


そんな私も歳のせいなのか、妙に頭が柔らかくなった。

以前のような激しい拒絶も無く

部落の隅っこあたりなら身を置けそうな気がしてきたのだ。

すると偶然にも、FBフレンドから同好会的なお誘いがあり

フォ―キ―な集まりであるそのグル―プに

あっさりと入会してしまったのだから笑ってしまう。

創設者の意向は、個々の歌を発表する場にしたいそうで

そのディスカッションフィ―ドには

既に多くの会員が自身の歌やカバ―曲をUPしていた。

挨拶代わりに何を載せよう?

クセの強い私の歌をいきなりUPするのもどうかと思い

30年前、湾岸戦争が勃発した時期に書いた「冬の時代」を

当時の音源のままUPさせて頂いた。

少々気恥ずかしくもあるので、この先のことはわからないが・・


2020年12月18日

さて、どうしたものか。

 

年賀はがきを買ってきた。

こんなに高くなってしまったのね。

利用の減少や人件費の増加は理解できるけど

民営化されたとはいえ親方日の丸の体質は変わらず

旧態依然としたままで、企業努力に欠けることは否めない。

(普通の)民間企業であるなら

いきなり20%の値上げなんて絶対にできっこない。

時代に見合った発想力と

日本人の風情に訴えかけるプロモ―ション展開で

落ち込んだ売り上げを挽回することは可能な筈だけどね。

季節商品だから間違いなく売れるんだと胡坐をかいて

雀の涙ほどのお年玉くじでお茶を濁していたことに

気付いているなら改革の狼煙を上げなきゃだめよ。


賀状のデザインを考えているとき、ふと思った。

忌まわしさしか残らない一年が過ぎ

何も変わらないまま年が明けたとするなら

それはハッピ―でもおめでとうでもないだろうに。

能天気にHappy New Year!なんて言葉は記せない。

さて、どうしたものか。

そう考えると、如何にも暗い正月になりそうで

かと言って、めでたい!などとは言うことも出来ず

はて、どうしたものか。。。


2020年12月16日

延命

 
いきなりの真冬到来、おでんと熱燗が恋しくなり

当家でも昨晩ようやく解禁と相成った。

紀文の具材に大きめの大根やら蒟蒻やらと

田舎から送られて来たじゃが芋やら玉子やらを

どかっと加えて大鍋で煮込むのが我が家の流儀。

爺さん婆さん二人きりだというのにさ。

当然一度に食い切らず、大根・蒟蒻・玉子が残る。

すると翌日、練り物や揚げ物を買い足して

二晩(ときによっては三晩)おでんが続くのである。

カレ―やシチュ―も翌日は更に美味しくなって好きなのだが

敢えて具材を足してまで延命することはまず無い。

けれどおでんに関しては、終わりが見えないことが多々ある。

ご多分に漏れず、今夜も残った。

ゆえに明日もまた、おでんなのだ。

これでいいのだ。



2020年12月13日

自覚という曖昧さ

 

こんなご時世なので

ちょっとだけ熱っぽい・・

なんか頭が重い・・

体が怠い(ような気がする)・・等々の

ほんの僅かな自覚症状を感じたとき

「僕はきっと、風邪をひいてるんです」

そう、思うようにしています。

みんな、そうですよね?