2020年12月26日

氷上に舞う神を見た。

 

なぜ私はフォ―クソングを嫌うのか、

今夜それをきっぱりと物申すつもりだったのに

氷上の途轍もなく素晴らしい演技を見せつけられると

ちまちました些細なことなど、もうどうでもよくなった。

王者でも覇者でもなく、もはや彼は神だ。

存在自体が芸術だと言っていいほどに美しい。

音楽やお芝居、スポ―ツやダンス、

はたまた政治の世界でも、表に立つ者に「華」は肝心だ。

ぎらぎらと輝き、躍動感に満ち

心の奥底から燃え上がる炎が人々には「華」として映る。

どんな世界であっても、それが無ければならない。

そしてもうひとつ言うなら、何事もプロとしての自覚だろう。

ぐうの音も出ないほどに圧倒的な力を見せつけられる者こそが

プロフェッショナルと呼ばれる尺度となるのだから。

素人感覚で胡坐をかくフォ―クソングが嫌いなのも

それと同じようなことを感じてしまうからだ。

眼は死んでるのに、ぎらぎらと脂ぎった顔のクソ政治屋も

醜いばかりで華がないどころか嫌悪の対象にしかならない。

舞台に立つ者たちよ

技を磨け、そして見惚れるほどに輝いてくれ。

華の無い私は、たとえ幾つになったとしても

冬の路地裏に佇み、心の刃を研ぎ続ける

ディッセンバ―ズ・チルドレンでありたいのだ。


【後記】神の画像は恐れ多くて使えなかった。


2020年12月25日

君へ・・












あと一本だけ、迎え入れることが許されるなら

あたしは君が欲しいのです。

Epiphone Masterbilt Century Olympic、

近頃、市場から姿を消したようですけど

また現れてくれるのでしょうか。

日本に着いたら、連絡ください。

待ってますから。


 

2020年12月24日

私が破れ傘刀舟であったなら

 

イヴにおだっちゃうのは

古希を二年後に控えたジジイの幼稚さである。

ワインぐびぐび、シチュウもチキンも旨かった。

今年もまた、穏やかなイヴを迎えられたことに

ありとあらゆる人々への感謝の気持ちでいっぱいだ。

けれど、永田町に蔓延るクソ共には

感謝なんてできっこないどころか

怒りや憎悪も飛び越えて、空いた口が塞がらぬ。

私が破れ傘刀舟であったなら

「てめえら人間じゃねえや!叩っ斬ってやる!」

と、なったに違いない。

いくらイヴだからと思っても、許せる奴らではない。

以前、バイデンはアンドロイドだと言った私だが

ガ―ス―の正体も同じくそうなのだろう。

さすが我が国のテクノロジ―だ、あの無表情さはよく出来ている。

東芝製かな、日立製かなあ。それともオムロン製かなあ。

SONY製なら犬になってしまうから違うだろうね。


いや、別に怒っちゃいないよ。今夜はイヴだもの。

怒っちゃいないってば。

そんなことより、世界中の皆さまに

メリ―クリスマス!



【追記】おだっちゃう
嬉しさ楽しさのあまり、はしゃいでしまうという北海道弁。
【衝撃】古希
数え年なのか!?したら来年だべさ!!
【追追記】したら
北海道弁で「そしたら」の意。


2020年12月23日

塀にもたれて(焙り家の記憶)

 

裏六角橋とも呼ばれていた、通りを挟んで神大側の一角。

そこに在った焙り家のことを、今でも思い出すことがある。

そこはミュ―ジシャンの溜まり場的な色合いがあって

夜も更けてくると、必ず誰かしらやって来て

カウンタ―での音楽談議に花が咲いたものだ。

ただし低料金の安酒屋だったこともあり、

繁盛していたようには見えても、実入りは少なかった為

私が通い始めてから数年で店を畳んでしまった。

ふだんは飲み客だけの、その小さな店で

当時私のサポ―トバンドであったMud Trickを引き連れて

2008年の夏に生音でライブをやらせて頂いた。

狭い店なので、メンバ―が客席に座って演奏したりで

なんだかごっちゃごちゃの状況で終始したんだけれど

これがまた、すごく楽しくってね。

その時にソロで歌った数曲の中から「塀にもたれて」を

FBの(例の)グル―プサイトに先ほどUPしたので

こちらのBlogにも載せておこうかと思う。

あいかわらずの静止画だけど

呑み屋の空気感と雰囲気を想像しながら味わってちょうだい。

明日はイヴかあ・・


2020年12月22日

出会いがしらの事故、みたいなもん

 

ゴッキゲンなバンドに出くわしてしまった。

毒の吐き方といいグル―ヴ感といい、これはRockだわ。

これ、これこそが昨晩言いたかったことの答え。

社会派気取って綺麗事ばかりの文字を並べる歌い手さんよ

彼らがかます、毒に満ちた屁の臭いを嗅いでみたまえ。

どうだ、愛に満ち溢れてるだろ。

熱いわけでもなく、冷めてるわけでもなく

この適度な脱力感に私はすっかり惚れ込んでしまったのさ。

いなのとひら・のとこば」(舌噛まないでね)

fホ―ルのギタ―を操る稲野真人のプレイには

畑こそ違えど私の好きなギリアン・ウェルチの

サポ―トであり旦那でもあるデヴィッド・ローリングスをも彷彿とさせ、

そしてもう1本のギタ―とベ―スが醸し出すグル―ヴは

その遊び心で、私の好みのど真ん中を突き抜けて行ったのだ。

言葉も音も、とにかく小気味いい。

なんかねえ、聴いててスカッとするんだよね。

例の、FBの交流サイトで出会いがしらの事故みたいに遭遇して

楽しくなってコメント入れて、数回やり取りして

YouTubeのチャンネルに入ってる曲ほとんど聴いて

ツボに嵌った私は、すっかりファンになってしまったわけで。

さて、皆さんにどの曲を紹介しようかと迷った挙句

決めかねて面倒くさくなり(笑)とりあえず

これを載せてみることにした次第なり。

チャンネルのリンクを貼っておくので

わあ、楽しい!と感じた方は、各自でお試しあれ。

(2) select 「いなのとひら・のとこば」 - YouTube

添加物抜きのこんな毒なら、これは妙薬と言ってもいいだろうね。

病んだ体に効くぞ、きっと。(文中敬称略)


2020年12月21日

嘆きのジジイ

 

う―ん、なんだか悲しい気分になってくる。

昨晩お伝えしたFBの交流サイト、

次から次へと「歌」が投稿されるんだけど

なんだかね、言葉が貧困すぎるんだよ。

たとえば社会や今の時世を嘆くかのように

新聞の活字をそのまま羅列したような歌に出会うと

気が重くなるだけで「だから何!?」と言いたくなる。

で、君はこれからどうしたいわけ?

その答えも無ければ道筋も無く

淡々と原稿を読むだけのような歌詞は

「文字」であって「歌」とは言えない。

いいんだよ、カッコつけて社会派ぶらなくたって。

そのような輩の立ち位置が、中途半端すぎて嫌だ。


大義名分を口にしないで日常を歌いなさい。

ほんの些細な日常の出来事を歌いなさい。

逃げ出して、行くあても無いときは

臆病な己の弱さを歌いなさい。

喜びも悲しみも、怒りも苦しみも

ぽろっと零れ落ちた雫のような

「言葉」を大切にしようね。

・・と、

己への戒めを兼ねて、爺さんは嘆くのであった。


2020年12月20日

フォ―クよりも箸が好きなのだが・・

 

己のスタイルがどうであれ、

私は「フォ―クソング」という名称が嫌いだった。

60年代、アコギで弾き語ると人々からそう呼ばれ

そして必ず、更なる仕分けのために区分けされ

カレッジ〇〇とか、反戦〇〇とか、〇〇ロックやらの

どれかに所属せねば居場所が無いような時代だったからだ。

偏屈で頑なな私でなくとも、これは鬱陶しく思うだろう。

無所属ではいられなかった当時の煩わしさの元凶が

その「フォ―クソング」という括りだったのだ。


そんな私も歳のせいなのか、妙に頭が柔らかくなった。

以前のような激しい拒絶も無く

部落の隅っこあたりなら身を置けそうな気がしてきたのだ。

すると偶然にも、FBフレンドから同好会的なお誘いがあり

フォ―キ―な集まりであるそのグル―プに

あっさりと入会してしまったのだから笑ってしまう。

創設者の意向は、個々の歌を発表する場にしたいそうで

そのディスカッションフィ―ドには

既に多くの会員が自身の歌やカバ―曲をUPしていた。

挨拶代わりに何を載せよう?

クセの強い私の歌をいきなりUPするのもどうかと思い

30年前、湾岸戦争が勃発した時期に書いた「冬の時代」を

当時の音源のままUPさせて頂いた。

少々気恥ずかしくもあるので、この先のことはわからないが・・