2021年11月3日

「16センチの神様」続・あじゃぱあ〜編

 















往生際の悪い人間ですから、昼間の結果を何となくモヤモヤしたまま諦めきれず、夕食後にエイヤ!とばかり縦置きに換えてみました。相変わらず雑で、いい加減な作業です。隙間の寸法が合わずCDラックも向きを変えることになり、なんだかショップの餌箱みたいになってしまいました。もう、この時点で嫌になってきましたが、気を取り直してセッティングまでは漕ぎ着けたのですが・・ 

音出し。 低域の籠り具合は少しだけ改善されたようですが、ホーンから噴き出す中低域の量は過剰なままで締まりがありません。ユニットの能率もかなり低いので(82.5dB /1m)音の張り出しが弱く、分解能もあまり良くありません。膨らみすぎてボンつく低音と、フルレンジにとっては致命傷とも言える中高域が引っ込む現象など、セッティングを変えたとしても根本的な部分は全く変わりませんでした。センターキャップの大きなユニットは高域が出ないという定説は正しかったようです。 

そんなわけですから明日、片付けて元の絵ヅラに戻します。たぶんオクに出品することになるでしょう。安かったので損はしないと思いますから。


「16センチの神様」あじゃぱあ〜編

 





















よそ見すんな!神様に叱られました。 

到着したミニ・バックロードホーン、前の晩からイメージしていた通りのセッティングを難なく終え、絵ヅラ的にも満足しながら気を良くして小躍り。禁断の横置き、しかもブックシェルフとして押し込むのはどうかとも思ったんですが、所詮8Cmのユニットですから、バックロードをかけても低域不足は否めないだろうと判断しての結果でした。そして待望の音出し、ボリュームを上げて行くと・・えっ?ええーっっ!? 

高域が張り出してシャキーン!と鳴るのかと思いきや、見事に期待を裏切る真逆の音調だったのです。例えて言うなら、ツイーターが断線してウーハーだけで鳴ってるような、抜けの悪いモッコモコの音です。ついさっきまでのワクワク感は一瞬にして失望に変わり、へなへなと力なく椅子に腰を下ろしてしまいました。あじゃぱあ〜です。 

本来の縦置きセッティングではなく、しかもバッフル効果で低域が増していることも原因のひとつかもしれませんが、その量が過剰すぎてバランスを完全に崩しています。試しにホーン開口部を少しだけ塞いでみると若干バランスが良くなり、むしろ完全に塞いでしまった方が、このユニットの持ち味である素直な高域とマッチングして程よい低域量と締まり具合になりました。たぶん、少し大きめのサイズの密閉箱かバスレフの方がバランスよく鳴るんじゃないでしょうか。ONTOMO製作で販売されたこのエンクロージャーキットの音を聴く限り、開口部に相当量の吸音材を入れなければ、まともな音にはならない気がします。設計ミス、なんですかね? 

落胆が大きいので、今は手を加えたり調整したりする気にはなりません。おまけに、ちょっと横道に逸れて8Cmユニットを試したいだけの動機だったのですから、暫くはこのまま放置することにします。 それより何より、あれこれ聴き比べてみると、現在のロクハンの方が上も下もスッキリしていて無茶苦茶バランスよく鳴るもんですから、ここでまた改めて惚れ直してしまいました。手前味噌に思われるでしょうけど、私の中では今や名機!すんげーいい音です。 

やはりフルレンジの醍醐味は、高能率で軽くスコーン!と抜ける開放的な音じゃなくっちゃね。「ワシを誰だと思っとるんじゃあー!」16Cmの神様に叱られてしまいました。はい、反省してます。


2021年11月2日

「16センチの神様」ハーフ編

 









明日、これが届きます。 
FOSTEXの8Cmメタルコーンフルレンジ、M800がマウントされた玩具 みたいなミニ・バックロードホーン。某フリマサイトに送料込み二千円ほどで出品されていたので、迷うことなくポチッた次第。何となくですが、ボーカルの色艶が良さそうな一品です。16Cmの神様のハーフサイズ、いったいどのような表現力で迫って来るのか。これはワクワクしないわけがありません。

取り急ぎ、お知らせまで。 
ああ、楽しみ。。。


2021年11月1日

「16センチの神様」第五章















我が家のロクハン、パンチングメタルを固定しているブチルゴムの粘着力が衰えてきて、角が浮き始めたので外してしまいました。当たり前ですけど、抜けは圧倒的に良くなります。そして音源が一点に纏まったフルレンジユニットの音は、やはりいつ聴いても小気味いいものです。 

先日、隙間対策とCDを収納するために購入したセリアのウッドボックス。収まり具合とサイズ感が良かったので追加購入、2個並列にしてみました。標準的なプラケースのCDだと1個に18枚収まりますから、税込220円の費用で36枚収納できたのは何となく得した気分です。効能的にも、比較的よく聴くアルバムを手の届く範囲に置いておけば、部屋をうろうろしたり探し回ったりしなくて済むので利便性も宜しいかと。 近いうちにもう一声リニューアルしたいと思っております。

さて、これまでシリーズ化して私のロクハン愛を語ってきましたが、特筆すべき点を書き忘れてました。それは所有しているどのアルバムに於いても、エレキギターが繋がれたアンプの音を、とても忠実に再現してくれることです。私の好みのミュージシャンたちは、小型のアンプで少しだけ歪ませて鳴らすことが多いですから、そのチープさというかバタ臭ささが、そのまま再生されてる印象なのです。16Cmシングルコーンの周波数特性や再生帯域が、小型のギターアンプに近いということもありますが、この鳴り方はロクハンならではのものだと思います。大きくてもだめ、小さくてもだめ、16Cmという絶妙なサイズが見事にジャストフィットしているのでしょう。レンジが広大な近頃のデジタルソースには不向きな音かもしれませんが、私の好みである60年代後期から70年代中期にかけてのアルバムが、どれもご機嫌な音で鳴ってくれることに毎回驚かされてます。
昨晩、ギターアンプについてちょっとした閃きがありましたけど、その話は次回にでも。

ところで・・
ロクハンの下に鎮座するダイヤトーンDS-251、現在は「置き台」としての役目だけとなってしまい、リファレンスモニターの座を完全に奪われた格好です。ガッチリした作りの密閉箱なので、共振したり箱鳴りしたりすることが無いため、置き台としてはいい仕事してると思うんですが、ちょっと不憫に思えてしまいます。部屋の反対側にセットしてあるCDラックと入れ換えて、その後は誰かにお譲りしようかとも思うようになりました。ユニットもサランネットも極めて状態の良い251、お安くしますんでどなたか入り用の方いらっしゃいませんかね?





2021年10月27日

「16センチの神様」第四章










最近ではあまり見かけなくなったが、私がオーディオに興味を抱くようになった若かりし頃には、箱に入れず1枚の板にユニットをマウントして聴いていた御仁も数多く居た。平面バッフルと呼ばれ、癖の無い音で再生できることから一部のユーザーに好まれていた時期がある。

実際に試したことはないんだけれど、素性の良いユニットであれば箱に入れない裸の状態であっても、そこそこの音で鳴ってくれるんじゃないかと思うようになってきた。それはAUREXフルレンジの作者であるSION SIONさんの動画に登場するElectro Voiceの12インチダブルコーンが、裸のまま無造作に置かれたデスクの上で案外といいバランスで鳴っていたからだ。

通称エレヴォイのユニットが、主にPA用として使われていたせいもあるんだろうけど、今の私にとってこの軽い音は好きだ。まてよ?ということは・・好みの音はまさにPAが再生する周波数帯域なのかもしれないね。

その昔、コーラルに8インチ・コアキシャルユニットの8CX-501というモデルがあった。中高域の張り出しが強烈で、まさにPAシステムを部屋に持ち込んだような刺激的な音だった。能率もかなり高かったので長く聴くには忍耐が必要な音だったけれど、唯一好感が持てたのはスパーン!とした抜けの良さと反応の速さ。例えばレコード盤の傷が「ポツッ」と鳴るのではなく、威勢よく「パチン!」と鳴るのである。その衝撃的な音が今でも忘れられないし、状態の良い物があれば欲しいくらいなのだが、現在はヴィンテージ扱いでお値段が高く諦めざるを得ない(エンクロージャーが大きいんで部屋に置けないという理由もあるけどね)

ここでひとつ蘊蓄を。先日テレビで耳にした情報によると、ヴィンテージとは製造から50年以上経過したものらしい。具体的な数字で何となく納得したけれど、私の感覚では60年から70年くらいかなあ。70年代の物をヴィンテージと呼ぶことにはとても違和感を覚える。せめて50〜60年代の物じゃないとね。ちなみに100年を超えるとアンティークと呼ばれるようになるんだとか。これも何だかなあ。。




2021年10月15日

「16センチの神様」第三章

 












久しぶりにニルソンの「夜のシュミルソン」を聴いた。ロクハンが奏でる弦と歌声の絡みを確かめたかったのだが、やはり想像した通りの音に驚かされた。揺らめく弦と適度な厚み、それが艶を伴ってうっとりするくらい美しいところにニルソンの声が乗っかっている。あまりにも気持ち好いので暫くは愛聴盤になりそうだ。

大袈裟ではなく、ロクハンとの出会いは今まで何度も聴いていたCDやアナログ盤の印象を大きく変えたことが一番の衝撃だった。手元にあるどのアルバムを再生しても、艶やかで細部に至るまでバランス良く耳当たりがいい。決して硬質な音調ではないのに、今まで奥に隠れていたような音が拾い出されるので、あれ?こんな音入ってたっけ!?という具合に、毎回ハッとするくらい驚かされるのだ。

たとえば分離・分解の良い音というものをイメージした時、多くの人はしっかりと輪郭がわかるのは高域が強調された硬質な音だと思うだろう。実は私もそうだった。ハイ上がりでやや尖った傾向の音にすることで、細やかな表現は伝わって来るものだと誤解していた節がある。つまり部屋を明るくして見易くするのと同じように、音だって単純に明るくさえすれば細かなものまで聴こえてくるような考え違いをしていたわけで、音が細くなりすぎると情報量までもが減少することに気付いていなかったのだ。

上手く表現できないが「アンプが石から球に変わったような変化」と言えば分かってもらえるだろうか。音の粒が大きくなって、柔らかいのに輪郭がはっきり表れるみたいな・・ああ、難しい(笑)

ただ困ったことに、この音の変化はアナログ盤よりもCDの方が顕著に表れた。それはまるでDAコンバーターを高級機と入れ換えたみたいに、今まで分解が悪くモッコリしていた音調のアルバムでさえも小気味いい音に変えてしまったのだ。やはりこれは中音域を主体としたロクハンの成せる技なのだと思うが、私の環境だと何故にCDの方が好結果だったのか?アナログ盤に於いても、以前よりバランスが良くなったことは感じる。けれどCDで再生した時ほどの驚きを伴う音には出会えてない。

原因をいろいろ考えた結果(今どきの政治家風に言うなら「何がボトルネックだったのか」笑)たぶんフォノアンプの力不足じゃないだろうか。私が使用しているエントリークラスのプリメインアンプのPHONO回路には、所詮オマケ程度のパーツしか使われていない。LINEとは異なり増幅度の大きいPHONO回路は、パーツの良し悪しがはっきりと表れる箇所なので、それが災いしてるのだと思う。レコードの再生が主だった時代のアンプは、当然ながらPHONO回路の優劣を肝として設計されたものだが、CDが主流となってからは一部のハイエンド機を除いてローコスト・パーツにグレードダウンしたわけだから、私のチープなアンプなんて尚更のことだ。

一般的なMMカートリッジの僅か5mV前後の微弱電流を増幅して、ノイズに埋もれそうな電気信号を音に変換する重要な役割を担うのがPHONO回路の仕事。その性能が音質を左右することは言うまでもない。やはりここは外付けのフォノアンプを導入して、CDと同等のレベルまで引き上げたいところだ。ちょっと物色してみると、DC構成の球のフォノアンプが安くなっていた。結果を恐れずポチッてみようかな。


2021年10月12日

「16センチの神様」第二章

 












ある程度の予想と覚悟はしていたつもりでも、いざ届けられた現物を手にしてみると、その軽さと心許ないほどの安物感で不安は増して行った。それほど軽く薄い板材で作られたエンクロージャーは、正直言ってミニコンポに毛が生えたようなものだったからだ。おそらく箱はコンポーネントのジャンク品を流用した物なのだろう。それでもただひとつ救いとなったのは、パンチングメタルの保護ネットから透けて見える16Cmユニットの存在感だった。これもおそらく、4チャンネルステレオ時代のリアスピーカーとして使われていた頃のユニットではないかと推測されるが、メルカリの画像で感じた時と同じように、芯の通った実直そうな顔つきを実際に目にすることで、猜疑心は消え失せ期待感が勝るようになってきた。いかんいかん、先入観は捨てなくちゃ。

はやる気持ちを抑えつつ、まるでイスラム教徒がヒジャブをそっと脱ぐかのように、プチルゴムの粘着剤で固定されていたパンチングメタルを外す。露になったそのユニットは、コーン紙もクロスエッジもセンターキャップも、何ひとつ傷みが無いどころか、およそ50年を経ていることが信じられないくらい綺麗な状態だったのだ。作者が後付けしたバスレフポートも丁寧に仕上げてあるし、外観上の問題点が一切ないことで期待感は更に高まって行くのだった。手早く結線を済ませDS-251の上に無造作に置くと、かねてから音を知り尽くしているライ・クーダーの「紫の峡谷」を流し始める。イントロから歌い出しに入った途端・・な!なんじゃこりゃあああ!!我が耳を疑うほどに驚いた。

1曲目から強烈なパンチを喰らってしまったのだ。その鳴り様は音離れがいいだけではなく、声も楽器も分離が良く団子状態にならないことと、上から下までピーク・ディップを全く感じさせないバランスの良さを表出していた。その音の繋がりの自然さが、音像を更に明確にしているのだろう。決してハイ上がりでもなく尖った音でもないのにだ。いやはや、これは初めての体験。名も無くチープな16Cmユニットが奏でる音は、今までに聴いてきた全てのスピーカーが埋もれてしまうくらい素敵に思えた。容積不足で、おまけにジャンク品を流用した箱だというのに、低域も十分に出ているしボンつくことも無い。凄い!これがロクハン1発ならではの音なのか!!

私は過去に、FOSTEXの20Cmと10Cmのフルレンジを愛用していた時期があった。けれどそのどちらも満足の行く音ではなく、いつも足りない部分を我慢しながら聴いていた記憶しかない。20CmのFE-203はダブルコーンのクロスした辺りで嫌な音を出していたし、ツイーターを追加しなければバランスが取れないほど中域が出しゃばっていた。10CmのFE-103に至っては(サイズ的に当然ではあるけれど)高域が突出した印象しかなく、おまけにどちらのユニットも音が尖って耳障りだったからだ。張り出しは強くても紙臭ささが付き纏う抜けの悪い音、そんな印象を抱いたせいで、フルレンジからは遠退く結果になってしまったわけであり、当時から定評のあった16Cmを聴いてみたいと思うことも無かった。

あれから40数年の時を経て、初めて耳にした16Cmの音は別格だった。数あるフルレンジユニットの中に於いて、これほどバランス良く鳴ってくれるのは16Cmのシングルコーンだけなんじゃないだろうか。この名も無きジャンキーなAUREX製ユニットでさえ、それを如実に物語るかのように素晴らしい音で私を楽しませてくれる。たぶん10KHzから上は出てないだろうし、80Hz辺りから下も満足に出てないだろうけど、今までに聴いたどのスピーカーよりも広帯域で耳に届く。レンジは狭くとも可聴帯域がフラットであれば、曖昧な人間の耳にはそう聴こえるものなのかもしれないが、スペックや理屈ではなく単純に「いい音」なのだ。

これはある意味、楽器にも通じることであり、ブランドや価格・評価を気にせず、己の耳だけを頼りに選択するのと似ている。だとすると、個人の思い入れが最優先されるという極めて曖昧な感覚を拠り所とするわけで、そのままずっと同じ感情で居られるかと問われれば、YESでもなくNOでもなくお茶を濁したい所ではある。都合の良さが「人間」なのだから。

余談だが、壁を隔てた隣室で聴いていた奥方が、意外にもこのユニットの音を褒めてくれた。私が後半で掛けたキャノンボール・アダレイの「サムシン・エルス」サックスもペットも凄く良かったと言ってくれたのだ。確かにロクハンで再生したブルーノート盤のエコー感としなやかさには私も驚いた。いつもなら騒音としか捉えない彼女がそれを分かってくれたことが嬉しい。改めて、ロクハン恐るべし!もはや神と呼ぶに相応しい気までしてきたではないか。(次章へ続く)