2015年6月30日

中立、ですから



世の爺さん婆さんたちが
何故に孫を可愛がるのかというと
子育てという親が背負う重圧が無いからなのだと
今になってようやくわかりました。
養育や教育、果ては躾に至るまでの責任が無いのですから
これはお気楽になって当然です。
自分の子供であればきつく叱らなければいけない事でも
まあまあ、そんなに怒らなくても・・と言わんばかりに
孫を擁護する側にまわってしまうのは仕方ないことでしょう。

ただしそれは
中立を唱えるズルさですけどね。

若い時の僕も自分の子供たちに対して
彼らが幼い頃から(特に長男には)厳しく相対してました。
たぶん娘たち二人には甘いところがあったと思いますけど
男同士である長男とは真剣に向き合っていた気がします。

けれど「真剣に・・」というのは僕の思い込みだけであって
それは子育てへのプレッシャーと
父親としての威厳を保つだけの行為だったのかも知れません。
大人という親でもある者たちの多くは
躾や教育を盾に己を正当化しようとするものですからね。
ご多分にもれず、僕もそうだったんだろうと思います。

やがて子供たちは成長し、中学生くらいになってしまうと
何が真実か、何が正しいのかを自らの目と耳で学び取り
或るときを境に「親離れ」して行くのです。
その時分には、彼らの言い分の方が正しいことが多々あって
受け入れざるを得なくなる親の姿が滑稽でもあります。

あくまで、我が家の場合ですから
そうではないと仰る家庭もあるでしょうけど
僕よりも子供たちの方が、よっぽど大人に見えたものです。
情けないことに、それは現在もそうでして
彼らには頭が上がらず反論も出来ません。
なんたって、生活設計がちゃんとしてますもん。
至らぬ両親を見て育った「成果」が、そこにあります。


生後六日。
おでこに名前を書いておかないと見分けがつかなくなってきました。

木曜に親子三人揃って退院です。


*

2015年6月27日

お萩と赤飯


カミさんがお萩と赤飯を作った。
腕によりを掛けただけあって
かなり旨い会心の作だ。

皿に盛り付け車に積み込む。
かなりの量。
南本宿のお爺ちゃん(旧宅の大家)の仏前に
報告を兼ねてお供えするのだと。
お盆も近いし
家が取り壊される前にお線香あげときゃなかね。

ポンタが生まれたときも
(生前の)お爺ちゃんが美味しそうに平らげたらしい。
孫三人、生まれる度にそうしてきたからと言う
カミさんのそんな拘りが好きだ。

おかげさまで
無事に双子の赤ちゃんが生まれましたよ。
二人で手を合わせてきた。

たぶん
伝わったと思う。


生後三日目。
こやつら、よく寝る。
傍らの一人が泣き出すと
思い出したようにもう一人が泣き始める。

そして泣き止むと
もう一人も泣き止む。

またまた一人が泣き出して
親が抱き上げると泣き止む。
するともう一人が泣き始め
おやおや今度はこっちかいと
一人をベッドに戻してから抱き換えると
抱かれた方はすぐに泣き止む。
けれどベッドに戻された方が
じきに泣き出す。

この繰り返し。
双子の親は大変だわね。
体が二つか
腕が四本ないとやっていけない。

僕は思ったよ。
お気楽な「爺さん」の立場でよかったと。

それにしても
赤ん坊(特に女の子)の
泣き出す直前から泣いてる最中の顔って
どうしてこんなに可愛いんだろうね。

娘たちがまだ小さかった頃
その顔その仕草を見たさに
わざと泣かした経験が何度かある。

虐待・・かな。

*

2015年6月25日

解禁


本日12時48分、
ポンタの母親である末娘が
双子の姉妹を出産しました。



腹の中で暴れまわった活発な姉、2308g
ひっそりと穏やかに過ごしていた妹、2078g
妊娠初期から激しい悪阻に苛まれ
二度の入院を経て無事にこの日を迎えられたことを
初の女子孫を授かった爺さん婆さんは
とてもとても嬉しく思っています。

一卵性双生児という
出産に至るまでの大きなリスクを伴う妊娠は
娘の小さな体にダメージを与え続けました。
口に出すことは無かったとしても
たぶん不安でいっぱいだったことでしょう。

ハイリスクゆえに
受け入れてくれる病院の数は限られてました。
横浜市内には二箇所の大学病院が在るだけです。
そんな成功確率の低さを克服して
お腹の赤ちゃんを育んだ娘を誇りに思いますし
毎日朝早く起きて出勤前にポンタを保育園に預け
夜は仕事帰りにポンタを引き取り帰宅する、
それをずっと続けてくれた旦那さんに
我々家族一同、感謝する次第です。

本来であれば
昨年の秋に妊娠が確定した段階で
喜び勇み、あれこれ書き綴りたくなるものですが
出産に専念したいという本人の強い意思から
無事誕生するそのときまで公にしないよう
何度も何度も注意を受けておりました。

友人や知人の子供が生まれたことを目にする度
「いやあ~実はうちも間もなくなのよ。しかも双子!!」
そう言いたくなる気持ちを抑えることが何より苦痛でした。
たぶんそれは娘の旦那さんも同じだったでしょうけどね。
出産の苦労や苦痛を知らぬ男なんて
なんだかんだ言いながらもお気軽ですから(笑)

帝王切開は術後の痛みが尋常ではないようで
病室に戻って来た娘は麻酔が切れる前から小刻みに震えてました。
今夜はナースコールを押し捲っているんだろうなと思います。
それが可哀想、頑張った挙句にそれじゃあね。
早く元の元気な体に戻ってほしいものです。

そして親子三人が
元気に退院してくれますように。



先行したFacebookでのお知らせに戴いた
沢山のいいね!とコメントの数々
ありがとうございました。
感謝の気持ちでいっぱいです。

*

2015年4月15日

Post Town Talk・・みたいな。



なんと申しましょうか。
掻い摘んで言うと、
言葉を発することにガツガツしなくなった
そんな気がしてます。
敢えてBlogにたくさんの言葉を羅列せずとも
時折TwitterやFacebookに数行の文字を記す、
それだけでいいような、そんな気分だったんです。

すみません。
Blogが休止状態になっていたことの言い訳でした。

カミさんが身軽に動けなくなったせいで
僕が不器用に家事をこなさなければならなくなり
日々のカリキュラムにはようやく慣れてきたものの
自分の時間が持てなくなったことも理由のひとつではありますがね。

世に問い掛けたり、時に吠えたり、怒りを露にしたり
人としてやらねばならぬことが山ほどあるのですが
決して言葉を呑み込んでしまったわけじゃないのです。
書く(打つ)時間が無いだけで、ジジイの反骨精神は今も健在なのです。

とは言っても・・
政治屋の苦しい答弁みたいですね。
たぶんこんな場面で「粛々」を連発するんでしょうな、奴らは。
便利な言葉があったもんです。悪用ですけど。



今朝、南本宿の地主様から嬉しい連絡がありました。
雨が上がり、ようやく筍が採れたんで持って行ってくださあーいと。
たまたま休日だったので、カミさんを助手席に乗せ
住み慣れた南本宿の旧宅まで戴きに出掛けました。

土からちょろっと顔を出したくらいのやつが食べ頃なので
こんな具合に太くて短いのが柔らかくて旨いんですが
この三本は選りすぐりなのでしょう、見事で美しい体をしています。

数日間は筍三昧の食卓。
我が家の毎年春の風物詩ではありますけど
残念ながらこの楽しみも今年が最後。
南本宿の竹薮は伐採され宅地となってしまいます。
見慣れた大きな松の木や山桜も、惜しまれつつ切り取られてしまうのです。
もちろん、12年間の時を過ごした思い出深い旧宅も。
寂しくなります。

思い出の地、南本宿。
記憶に残る風景と、そこで接した人情を
いつか歌にしたいと思っています。
Post Town Talk・・みたいな。

*

2015年3月27日

足回り二選



この歳になって初めて履いたスタッドレスタイヤ。
備えあれば憂いなし、どころか
一度も雪道を経験しないまま春を迎えてしまいました。

所詮、そんなもんですよ。
毎年サマータイヤで一年を乗り切ってきた僕が
この冬だけは一念発起して購入したんですから。

けど、乾いた道路を四ヶ月ほど走って思いました。
スタッドレスだと制動が効かなくて危ないなあと。
特に雨の日はちょいとヤバイ。

・・なもんで
今日、大奮発してサマータイヤに履き替えました。
オートバックスのオリジナルブランド、エスポルテAB01。
高いタイヤはとてもじゃないけど買えませんから
お店のスタッフと相談して、交渉して、アルミ付きで諭吉3枚にしてもらいました。
ブリヂストンのOEMで、同社のSNEAKER SNK2と全く同じ製品のようですね。
安心安全(この表現は政治屋みたいで嫌らしいですけど)の日本製です。

履き替えて、家まで走った感想としては
軽いです。よく転がります。コーナーリングが滑らかです。
ごっつい横溝が幾つも入ったスタッドレスと比べてなら
そりゃ当たり前かもしれませんけどね(笑)

春先の道を走るのが、ちょっと楽しみになってきました。
きっと燃費も向上することでしょう。
車の運転は、楽しく感じられなければ駄目ですもんね。

エスポルテくん、3年間よろしくね!


気分が良かったせいか、普段履きを衝動買いしました。
レジにて更に半額!のシールが嬉しい西友ブランド。
この色合いの靴、好きなんです。
ジーンズには赤でしょ、赤!

お散歩に出掛けるのも楽しみな季節です。
今年の花見はこれを履いて行こっと♪

*

2015年3月22日

デモ・テープはテレコ持参、な時代の話



70年代初頭、家で音を吹き込むのは小型のオープンリールデッキだった。
いわゆるテレコ、カセットデッキだってまだ普及してない時代だからね。
このテレコをそのまま携えて、
録り溜めた歌を聴いてもらうため僕は音楽舎を訪れたわけさ。
はっぴいえんどや遠藤賢司が注目されていた頃で、マイナーレーベルとは言っても
プロモーションに関わっていた如月さんが幅を利かせてた時代。

その彼がテレコのローファイな音を聴き
「うーん、これじゃわからないからスタジオで録ってみよう」と言って、
後日御苑スタジオ(通称御スタ)にて、デモ・テープのレコーディングとなった次第。

当然モノラル録音、これがまたびっくりするくらいのいい音で録れた。
そのときのスタッフが親切なことに、
わざわざ10インチのリールから5インチのリールにダビングしてくれて、
その「幻のモノラルテープ」を、実は今も所有しているのだ。
40年以上、ダンボール箱に入ったままだけどね。

後日、如月さんから電話があって
「もっとあちこちで歌って、知名度が上がってからもう一度考えよう」と言ってきた。
上から目線ありありの言葉ではあっても、
無名の僕に最上級の対応をして頂いたことに変わりは無い。

けれど、
当時マネージャーとして動いてくれていたカミさん(結婚前ね)に対しては手厳しかった。
「君、マネージャーやってるんなら歌う場所を探して来なきゃ」
僕の旧い友人たちからもある意味責められていた。
「おまえがしっかりしなきゃ駄目だよ」みたいな。

現代みたいに、ハコが無尽蔵に無かった時代。
彼女の落ち込みようと言ったら気の毒なくらいで、
申し訳なく思ったことを今でもはっきりと覚えている。

はは(笑)とんでもないくらい昔の話。。

*

2015年3月21日

歌わなくっちゃ!



実験的とも言える趣だった昨夜のライブ、
お店は閑散としてましたけど、いい雰囲気に包まれて歌えました。
発起人の(大御所)ナマさん、ギター少年の感性を絶やさぬ梅谷くん、
そして寡黙ながらも時には鋭く突っ込んでくるボーマス、
心地好い時間を楽しませて頂いてありがとうございました。

梅谷くんが撮ってくれた昨夜の一枚。
いい感じに写っています。
でもねぇ・・
頭のてっぺんが薄くなってきたのは、ちょっと悲しくて滑稽でもあります。

「膝を抱え しゃがみ込んで
 丘のてっぺんから 転がる石のように」

次は頭のてっぺんも歌にしなきゃね(笑)

遅れてやって来たタケーシーと飲みながら
「おれ、今年で六十三だぜ」て、言ったら
「わあー!聞きたくなかったあー!!」
ですって。

先日もこのBlogに書き記しましたけど
同じ歌であっても、歳を重ねて行くうちに
まったく違った感覚で歌えるものなんですよね。
歳相応に(と言うべきかは確信がありませんが)
意識せずとも、表現の仕方が変わって行くような気がします。
尖ったところが、自然に丸みを帯びて行くんですよね。

この歳になっても、譲れないところは絶対に譲れない。
けれどいつの間にか、一方的なアンチテーゼは影を潜め
物事を受け止める(受け入れる)姿勢に変わってしまったようです。
たぶんこれこそが「歳を取って丸くなる」と言われる所以なのでしょう。

でも勘違いしないでくださいね。
決して保守的になったわけではありませんから。
歌うという行為そのものは、あくまで捨て身なのです。
己の護身に走ることなど無いのです。
歌うという行為は
己の日常の排泄物をひけらかすようなものですから
逃げ場などあるわけがありません。

僕がまだ18歳の青二才の頃に
旧い友人が、説教じみた口調でこう言い切りました。
「かずらよ、たくさんのことを言おうとするな。
 歌の詩は三行で事足りる。綺麗に装飾しようとするなよ!」

今、その言葉を重く受け止めています。
お洒落な言葉で着飾ることは、もうやめにしましょうね。

そう思い立っただけで
この先もまだまだ歌えそうな気分になります。
いや、歌わなくっちゃ!

*