2011年8月14日

惜しくも延長サヨナラ負け


夏のこの時期は、なんと言っても高校野球ですな。
郷土のチームが出場するとなると、やはり目と耳が釘付けになってしまうもの。
今大会は私の田舎、北海道帯広市から白樺学園高校が5年ぶり2度目の出場。
二回戦は強豪智弁和歌山と互角に戦う白熱した試合を堪能させてくれた。
延長でサヨナラ負けはしたものの、4点のビハインドを満塁弾とソロアーチで逆転したんだからね。
いやあ凄い試合だった。彼ら、いつの間にこんなに強くなったんだろう。

私が知る白樺学園は、昔からスピード・スケートの名選手を何人も輩出してきた学校で
長野五輪金メダルの清水宏保を筆頭に、堀井学や島崎京子なども卒業生だ。
土地柄からウインター・スポーツが盛んで強いことは頷けるものの
まさか野球までもが北北海道の強豪チームに育ってしまうとは、ちょっとびっくり。
(あ、そう言ってしまうと北海道の野球部は皆同じ条件か)
ともあれ、1年の内の半分くらいは屋内練習しか出来ない環境で
よくもまあ内地(私の時代、北海道の人間は本州以南をこう呼んでいた)のチームと
互角どころか相手を脅かすほどの試合を展開するほど強くなったものだと感心しきり。

試合の模様はABC 朝日放送のダイジェスト動画で。
http://koshien.asahi.co.jp/digest/data/20110814/2/20110814_2ds.html





2011年8月13日

ひまわり


お盆休みで民族は大移動、町がひっそりとしている感じ。
一時的であれ、都会の人口が少し減ると
何となく風通しが良くなって静かになるのがいい。
仕事柄、長い連休とは無縁の私は
この時期「町のお留守番」または「町のお巡りさん」といった風情かな。

ひまわりって、数ある植物の中で大量の放射性物質を吸収する花なんですってね。
旧ソ連の植物学者がチェルノブイリ事故の後に行った実験結果を見ると
セシウム137は根に、ストロンチウム90は花に、それぞれ蓄積されていたそうな。

でも、所詮は吸収するだけ。
相手が放射性物質では、分解したり除去したりはできっこないこと。
そのひまわりを燃やしたりしようものなら、再び空気中に拡散されてしまうわけで
そう考えると・・不憫。
毒だか何だか分からずに、土壌から栄養分を吸い取る彼ら
それでも、ひまわりはひまわり。
夏の青い空の下、ぴんと伸ばした背筋で堂々と大地に立っている。

人間は愚かだ。
己が招いた災いに、背中を丸めて震えてる。


2011年8月12日

MONDAINE


そろそろ新しい腕時計が欲しいなあと思っていた矢先、ちょっと目を惹く一品あり。
MONDAINE(モンディーン)という、スイス国鉄公認オフィシャルウオッチなり。
なんでもチューリッヒ駅中央口の時計をモチーフにしたそうで
その場所はモンディーン・ミーティングポイントクロックと呼ばれているらしい。

この時計のモデルとなったのは、1940年代にスイス国鉄のエンジニアでデザイナーの
ハンス・ヒルフィカー氏が開発した「スイス・レイルウェイ・ステーションクロック」
遠くからでもよく時刻が読み取れる視認性の高いステーションクロックで
スイス国鉄の3000箇所以上に設置されているようだが、驚かされたのは彼のアイディア。
クォーツ時計や電波時計がまだなかった時代に駅構内の全ての時計が同じ時刻を示すように
毎分秒針が58秒で一周し、12時の位置で2秒間停止、その間に電気信号を受けて
全ての時計の秒針と分針が一斉に動き出すという機構を生み出したそうなのだ。
これは“Stop To Go機能”と呼ばれ、そのシステムを搭載したクロックが
スイス国鉄の正確な運行をアピールする象徴的な時計として精度の高さを印象づけた、とある。



デザインもさることながら、私はこのような歴史を語る薀蓄にも弱いのであって
うーん、どうしよう・・と、悩んでいるところなのだ。
ネットで安いお店を探してみることにしよう。

MONDAINE公式サイト http://www.mondainewatch.jp/


2011年8月11日

炎天下を歩く


暑い一日だった。
三ヶ月ぶりの眼科検診を受けるため、三ツ境の聖マリアンナ病院まで出掛けたが
家から駅までの20分ほどの道のりを、いくらゆっくりと歩いてはみても汗が滴り落ちる。
車なら楽なんだが、手術した右目の経過と正常な左目の両方を診てもらうので
乗り慣れない電車と徒歩で行かなければならないのが辛いところ。
おまけに両目の瞳孔を開かれてしまうと、今日みたいにギンギンの陽射しの下では
サングラスを掛けても景色が(足元も)すっかり霞んでしまって歩き辛いといったらない。
帰り道、笑っちゃうくらい何も見えなかったので、本気で白い杖が欲しくなった。
足元がおぼつかないのは目を患っているからなんだよ!と、車と通行人に訴えるため。
なんでこいつはこんなにフラついてるんだ?そんな目で見られたと思うからさ(笑)

この通院の経緯を改めて・・

急性網膜壊死という聞き慣れない病気を発症して硝子体の手術を受けたのが一昨年の三月、
その際に網膜を安定させるためのシリコンを眼球内に注入され
それを除去・洗浄して水と入れ替える(再)手術を受けたのが同じ年の九月。
あれから2年近くが過ぎたというのに、まだ炎症は残っているらしく一向に回復する兆しが無い。
視力検査をすると手術をした右目は裸眼で0.7と診断されるのだが、
視野は狭く曇っていて、おまけに風景も物体も大きく歪んで見えるだけなのだ。
年齢を考えると、たぶんこれ以上の回復は望めないだろう。
幸いなことに、今は左目が正常なので車も運転することが出来るのだし、
日常の生活に支障が無い程度までは「見えてる」ので良しとしているわけなんだが、
この先もし左目をやられたら、アウト!だ。

年老いて、おまけに目が見えなくなってしまったら・・
そうだ、ブルースマンになろう!
などと、相変わらず呑気に構える私なのであった。



スリーピー・ジョン・エスティス 「Mailman Blues」



2011年8月10日

コンバットとギャラントメン

一年に一度だけ。
昨日の日記のタイトルではないが、八月のこの時期になると
否応なしに過去の戦争のことを考えざるを得なくなるのは誰しも同じことだろう。

私が生まれたのは1952年、戦争が終わってから7年が経過していたが
その爪痕は私が知らないだけで、大人たちの心には根深く残っていたことは間違いない。
母親と暮れの街へ出掛けると、軍帽を深く被った傷病帰還兵が白衣を着て街角に座り
義足を露にしながらアコーディオンやハモニカで演奏しながら寄付を募っていた光景が
その異様さからか幼少の思い出として鮮烈に記憶に残っている。
物珍しさから私がその男の前で立ち止まり義足を凝視していると
母親から「見るな!」と叱られ、手を引っ張られ足早にその場から立ち去った。
どうやら大人たちは、誰もが体験した悲惨な戦争の傷跡を早く忘れたい一心で
それを思い出させる光景からは目を背けようとしていたようだ。
無理もない。終戦を境にして、社会の価値観は全てが変わってしまったのだから
過去を振り返る余裕など無いままに毎日を生きるしかなかったことは容易に想像がつく。
出来事を回想して、人に語り聞かせられるようになるのは生活が落ち着いてからだ。
私が小学校に上がる60年頃までは、周囲の至る所に「戦争の面影」が残っていた。
けれども、それが何なのかは幼い私が知る由もなかったことだ。


TVムービー「コンバット!」は62年から放映され、私も夢中で観ていた。
渋い面構えのサンダース軍曹が愛用のトミーガンを手にドイツ兵と戦う姿が印象的で
幼い私は戦争が何たるかも分からないまま、毎週1時間TVの前で釘付けになっていた。
決して派手な展開や映像ではない。どちらかというと毎回暗くて重い。
おまけにサンダース軍曹もヘンリー少尉も、影のある表情のままいつも何かを抱えている。
小学4年生くらいの頭では理解に苦しむ内容だったろうに、何故か私は好きだった。

実はもうひとつ、同じ時期に「ギャラントメン」という戦場ムービーもあったのだが
大手ワーナーブラザースが制作した割には人気が出ず26話で終了した。
(ちなみにコンバットは小さな独立プロの制作だったが5年の長寿ドラマとなる)
私はこれも観ていた。今思えばコンバットよりも更に地味な作りだった筈なのに
戦場で死に別れる男の姿に妙に感動しながら観ていたものだ。
今で言うなら、どちらもヒューマン・ドラマなのだろう。戦闘シーンはおまけみたいな感じだった。
小学4年生で・・そんなの観てたんだ(呆)

ギャラントメンのエンドロールで、フランク永井が日本語訳の「戦場の恋」を歌っていた。
恐るべし?小学4年生の私は、その歌が好きで毎回観ていたという節もあるが
いやはや・・

2011年8月9日

一年に一度だけ


プルトニウム原爆ファットマンは、このB-29(ボックスカー)によって長崎に投下された。
本来の目標だった小倉上空で三度に渡るトライに失敗した後
機首を西へと向け、第2目標の長崎上空に到達すると
広島の1.5倍といわれる破壊力を持つ原子爆弾を高度500mで炸裂させた。
圧倒的な力を見せつけて戦意を喪失させる、いかにもアメリカ的なやり口だが
一瞬にして街を廃墟と化してしまうその残虐さは非難されて当然のものだろう。

東京大空襲にも使われた焼夷弾やベトナム戦争におけるナパーム弾、
さらには青酸カリの千倍・サリンの2倍とも言われるダイオキシンをばら撒く枯葉爆弾など
非人道的とも言える大量破壊・大量殺戮の兵器を用い続けてきたのが
強大な軍事力と工業力を誇る巨大国家アメリカなのだ。
長い悪夢のような戦争を終結させるきっかけとはなったものの、
2発の原子爆弾を地上に落とした罪が免れるものではないことを忘れて欲しくない。

土地柄にも音楽にも、いつもアメリカには憧れを抱いてしまう。
何もかも受け入れてしまう、あの大陸的な大らかさにだって心惹かれる。
海を隔てて、現代の私たちは友好的にお互いを捉えている。(筈だ)
けれども地球上には、今なお数万発の核兵器が出番を待っている。
抑止力という名の下に不気味なバランスを保ちながら廃絶されていない恐怖を
私たちは決して忘れてはいけないと思うのだ。

一年に一度だけでもいい、思い起こしてみよう。
ヒロシマとナガサキの歴史は、そのためにある。




2011年8月8日

すき家の裏めちゃくちゃ火事なんだが、、、


「すき家の裏めちゃくちゃ火事なんだが、、、」

午後、TwitterのTLに東白楽でバイトしている友人のつぶやきを見掛けた。
すき家?どこだ??
緊迫感のない文章と併せ、場所が何処なのかさほど深く考えずにいたら
なんと六角橋の仲見世商店街、上麻生道路側の入口付近の店舗からの出火だった。
通りに面してすき家、その並びには以前ヤガバンという美味しいパンを焼く店があり
火元はその裏手、たい焼き店だったらしい。

風も強かったし、なんと言っても旧い建物が長屋みたいに連なる木造の狭い商店街。
友人知人の店も多いものだから、夕方になっても鎮火しない状況に安否を気遣ったが
Twitterやその他WEBの書き込み情報から
どの店も、そしてどの体にも被害が無かったことを知ってとても安心した。

とは言っても17店舗が焼ける大火事。
幸いなことに怪我人も無かったようだが、被害に遭われた方々にはお見舞い申し上げたい。
町として独自の文化を築き上げた六角橋商店街の一角が焼け落ちたことは残念だが
とにもかくにも、そこで暮らす皆さんがご無事であったことが何よりだ。
面白い人、面白い店、温かで人情味に溢れた町のことだ、きっと逞しく息を吹き返すことだろう。
私も陰ながら応援して行こうと思う。