2012年12月7日

煙草を喫む(のむ)


昨日と同じような気温でも、今夜の方がしんしんと冷えている感じがします。
焼酎に熱いお湯を注いでもすぐにぬるくなってしまうので、
冷めちゃう前に飲まなきゃと、ついついスピードを上げて飲んでしまいますから
それに伴い当然酒量は増えてしまうということになります。
いささか飲み過ぎの昨今・・

前に長女から戴いたスタバの携帯まほうびん、この冬は重宝しています。
ポットが無い私の部屋に居ながらにしてお湯割りがすぐに作れるんですからね。
ある意味「一人居酒屋」グラスから湯気が上がっています。
ただし店内禁煙、吸いたくなったら台所まで出掛けて換気扇の下で吸うのですが
それはとても面倒くさいので、必然的に煙草の本数が減るという効果があります。

煙草を喫む(のむ)という表現がありますが、
空気が乾燥して気温の低いこの季節は、この言葉が実によく似合います。
愛煙家の方なら皆さんお分かりでしょうけど、冬場の煙草はとても旨いんです。
なので深くたっぷりと吸い込んでから「ふう~」と吐き出す
その紫煙を慈しむかのような様は喫む(のむ)という言葉がとても相応しく思えます。

さてと、一服。。。

2012年12月6日

中古製品のお知らせです


昨晩ご紹介したヤマハの革新的なユニットをマウントしたスピーカーですが、NS-15という比較的小型のモデルが福岡の業者さんからヤフオクに出品されてました。片側のコーン紙に少し皺が入ってましたが薄い素材ということと敢えて分割振動させる設計なので、たぶん音の方は問題ないんでしょう。スピーカー・ターミナルは最近の物に交換されてました。15000円スタート、妥当なラインですし興味は大いにあるのですが、業者さんの出品の場合は複数のIDを駆使して価格が釣り上がるのは目に見えてるので今回は手を出さないことにしました。最終的に30000円くらいで落札されるんなら良心的な範囲と言えるでしょうけどね。

それはそうと、昨日ハード・オフを覗いてみると素敵なアナログ・プレーヤーが置いてありました。ヤマハのYP-700C、74年頃のモデルで状態は良さそうです。いやはや、好みのモデルを見てしまったというわけですが・・(笑)


実はこれ、侮れないんです。ダイレクト・ドライブが全盛になりつつあった74年に、敢えてACモーターで駆動するベルト・ドライブの高級機として世に出した、これまた当時の技術陣入魂の製品で、中古オーディオ店では3~4万円で売られているというのに、値付けが解せぬハードオフの売値は何と¥8000です!!
DENONのDP-1700を安価で入手してしまったので私は買えませんけど、本来探していたベルト・ドライブで程度の良い物だけにちょっと悔しいです。(実は昨日、思い切ってこれも買ってしまおうかと思ったくらいなのですが・・)どなたか買われる方いらっしゃいませんか?連絡頂ければ押さえておきますので早急にお知らせください。

製品詳細はこちらのサイトをご参考に。http://audio-heritage.jp/YAMAHA/player/yp-700.html


2012年12月5日

型にはまらず


ヤマハ・オーディオのスピーカーには今も昔も「NS」という品番が付けられています。これは「ナチュラル・サウンド」の略なのであって、世界的な楽器メーカーとしての拘りが感じられるものなのですが、60年代から70年代初頭にかけてこんな奇妙な形をしたスピーカー・ユニットを作っていたことはご存知でしょうか。
グランドピアノの造形をモチーフにして特定の帯域の共振を防ぐための形状だったわけですが、こんな画期的な製品を生み出した当時のエンジニアの情熱って凄いですよね。既存のスタイルに満足せず独自の発想でそれを製品化してしまうパワーは、まさに発展途上国であった我が国の勢いそのものだと言えるでしょう。
大型の物だと長辺1mという巨大なユニットまで存在したというこれを、堅牢なダイキャスト・フレームにマウントして奥行きの浅い後面開放型のエンクロージャーに収め、能率は優に100dBを超えていたそうです。私は実際の音を聴いたことはありませんが、この巨大な振動板をエッジと密閉箱で抑え込むことなく自由に振動させた結果、とても伸びやかな音でダイナミックに鳴っていたであろうことが窺えます。見た目は大きいですがフルレンジに近い特性だったので、これ1発で全帯域をカバーしていたらしいのですが、アクセントとして超高域をスーパー・ツイーターで補っていたようです。
文献によるとこのモデルは「楽器」に近い性質で、倍音の表現力に長けていたとありますが、実際にはユニットそのものが倍音を生み出していたらしいのです。これも驚きですよね、本来のスピーカーの役割としては音楽信号を忠実に音に変換することなのですから、敢えてそこで「色付け」してしまうというのは音響製品としてはタブーだった筈ですからね。とても興味深い製品です。

けれどこれほど独創的で世間を騒がせた製品であっても、生産コストや流通コスト、そしてやがて訪れた小型化の時代の中でその姿は消滅してしまいました。丸でも四角でもなく楕円でもない、こんな革命的な製品を世に送り出した日本人技術者を誇りに思うと共にとても残念な気がしてなりません。ホンダやソニーと同じように、一世を風靡した若きニッポンの底力というか闘争心というか、それが欠乏した現代を嘆かわしく感じてしまうのは私だけなんでしょうか。少なくとも物造りに於いては自由な発想と冒険が必要です。それが失われては陳腐な物しか残らず、見渡す限り同じような物が並んでいる光景とそれを買い求める消費者の姿には何処か恐ろしさまで抱いてしまうのですが・・

何事も型にはまらず、そうありたいものですね。

2012年12月4日

Retrospective


眠りが浅いせいなのか、毎晩のように私は夢をよく見ます。犯罪系・近未来系・自然災害系・エッチ系と、それはもうあらゆるストーリーが夜毎頭の中で上映されているわけでして、おかげで退屈せずに寝ていられます。そんな話を知人にすると「夢なんか見たことない」と返されて驚いたことがありますけど、夢を見ない睡眠って一体どんな世界なのか想像もつきません。ひたすら真っ暗な宇宙空間に身を置いているような光景だとしたなら、ちょっと怖いし味気ない。複雑に入り組んで先が予測できない夢の情景にワクワクしながら入り込み、その主人公でありながら傍観している不思議な映像が見られないのは勿体ないような気になってしまいます。
私の見る夢は、自分自身が脚本家でもありプロデューサーでもあります。一人で何役をこなしているのかと思うほど、様々な角度からそのストーリーを客観的に見ていられます。ですから、かなり自分がヤバイ状況になり窮地に追い込まれると、「ははあん、きっと次の瞬間こう行くんだろうな・・」と思った瞬間その通りに展開して行くのです。これはかなり楽しめます。
難解すぎて成す術もなく恐ろしい結末を迎えようとしている時は、「まてよ?これは夢じゃないのか?そうだ、そうに決まってる」そう思い込んでいると、都合良く目が覚めて私は難なく災いから逃れているのです。スリリングですが、いつでも抜け出せるのが便利なところと言えるでしょう。

ただ、ひとつだけ気になるのは、私が犯罪を犯す夢があまりにも多いことです。前世で何か大きな罪でも犯したんでしょうか?逃げたり、証拠を隠滅しようとしたり、発覚しても誤魔化そうとしたり、バレバレの下手糞な演技と言い訳に脂汗をかきながらも、未だに一度も捕まったことがありませんけどね。とにかく毎晩のようにあちこち逃げ回っています(笑)

こんな色合いの夢風景なら素敵だろうにと思いながら、今夜のお供はバッファロー・スプリングフィールド「Retrospective(回顧展)」

2012年12月3日

気合だ!


今夜も気温9℃台の私の部屋、まだまだ旧い電機ストーブだけで頑張ってます。
人間の体って不思議ですよね、グーンと冷えた日に一度は寒ーい!と縮み上がるんですけど、次の日には「いやいやまだまだ、冬の寒さはこんなもんじゃない」と、体が勝手に身構えてるんですもの。その気合が寒さをほんの少しだけ和らげてくれてる気がします。おかげで高価な灯油を未だに燃やさずに済んでいるのです。(居間ではファンヒーターがぬくぬくした風を噴き出してるんですけどね)北向きの私の部屋、果たしていつまで持ち堪えられるか楽しみでもあります。こうなったら記録更新しなくっちゃ!
それにしても、7~8年前に西友で¥1980で購入したこのMORITAの遠赤外線電気ストーブ、元気ですねぇ。しかも温かい。安くてもシンプルな構造の製品は丈夫で長持ちだということの証明です。ちなみに我が家のトースターは30歳くらいでドアも完全に閉まらなくなってますが、毎朝しっかりとパンを焼いてくれてます。長く連れ添った家電製品はみな長寿!これは嬉しいことです。みんな家族ですもんね。


今夜のお供は「THE BEST OF BRITISH FOLK」
この2枚組で長い長いオムニバス・アルバムを焼酎と共に再び・・


2012年12月2日

あれこれ


厳寒のふるさと北海道に住む方々には「十分暖かいじゃないか」と笑われるかも知れませんが、私の部屋の温度が遂に10℃を下回りました。これは部屋の暖房を電気ヒーターから灯油ストーブに切り替える目安の温度なのでして、毎年これを境に「真冬」を実感しているわけなのであります。
さすがに今夜は冷える。けれど灯油を燃やすのはもう少し我慢することにしました。コストを考えると、おいそれと気安く燃やせませんもの。元はといえば北国育ちの私です、世知がなく生きなければ!

今朝は中央道笹子トンネルの崩壊事故に衝撃を受けました。ふだん何気なく通る道にも同じような危険が無いとは言い切れないほど身近に思える事故ですもの。同様の構造のトンネルが全国に十数か所あるだけではなく、そもそもトンネルというものは長年に渡る岩盤の圧力で縮んだり変形したりするそうで、それに耐えられる設計になっていなければならないようです。それに加えて60~70年代に於ける成長期、完成を急ぐあまりの突貫工事や資材・原材料の不足などが、今回の事故の要因になっているような気がして仕方ありません。
老朽化の進んだ首都高の橋脚があちこちで腐食していて、もはや手の施しようが無いといった話を耳にしたことがあります。中小の河川に架かる橋桁も同じように、応急処置だけでは解決できない問題を抱えたまま多くの車や人々が日々行き交っています。この国で疲弊しているのは人間ばかりではなく、建築物や構造物に於いてもその耐用年数を超えて悲鳴を上げているのが現状なんですからね。それを思うと怖くなります。

先日このBlogに書いたことと重複しますが、この国が365日休まずに動き続けて来たことをもう一度考え直す良い機会だと思うんです。不便になることをある程度は受け入れて、過剰な物量やサービスがどれほどの無駄を生み、どれほど環境を悪化させているのか、よーく考えてみましょうよ。
食料品も電気も水も、全てが不夜城と化した都会のためにあるなんて、そんな馬鹿な話ないじゃないですか。どこぞの政治家が何度も口にする「安心安全」て、大票田である都心部の有権者と政財界に向けてのリップサービスとしか思えませんもの。大きな流れを一度止めて、直すべきものは直し、廃するべきものは廃す、そのための不便さだけでも快く受け入れることにしませんか?
そう思うんです。

2012年12月1日

ぺらっと


遂にカレンダーが、ぺらっと1枚だけになっちまいました。
薄っぺらな1年を象徴してるようでもあり、なんだか複雑な想いが込み上げてきます。
日常ってぇやつが、捻り潰されて毎月ゴミ箱に放り込まれているような気がしましてね。

カレンダー11枚分の月日は、いったいどこへ行っちまったんでしょう。
一所懸命に生きてきたつもりですが、それを問われると答えが見つかりません。
ロケットから切り離された1段目から11段目が宇宙の塵となるのと同じことでしょうか?
だとすると、私が乗ったカプセルは大晦日まで周回軌道を回り続け
その後に高度を下げてから、何処へ着陸するのやら・・

そんなことを想いながら12月を迎えてしまいました。
今夜のお供はボビー・チャールズ、
冷えた夜にはこの歌と焼酎のお湯割りが一番です。