2015年3月21日

歌わなくっちゃ!



実験的とも言える趣だった昨夜のライブ、
お店は閑散としてましたけど、いい雰囲気に包まれて歌えました。
発起人の(大御所)ナマさん、ギター少年の感性を絶やさぬ梅谷くん、
そして寡黙ながらも時には鋭く突っ込んでくるボーマス、
心地好い時間を楽しませて頂いてありがとうございました。

梅谷くんが撮ってくれた昨夜の一枚。
いい感じに写っています。
でもねぇ・・
頭のてっぺんが薄くなってきたのは、ちょっと悲しくて滑稽でもあります。

「膝を抱え しゃがみ込んで
 丘のてっぺんから 転がる石のように」

次は頭のてっぺんも歌にしなきゃね(笑)

遅れてやって来たタケーシーと飲みながら
「おれ、今年で六十三だぜ」て、言ったら
「わあー!聞きたくなかったあー!!」
ですって。

先日もこのBlogに書き記しましたけど
同じ歌であっても、歳を重ねて行くうちに
まったく違った感覚で歌えるものなんですよね。
歳相応に(と言うべきかは確信がありませんが)
意識せずとも、表現の仕方が変わって行くような気がします。
尖ったところが、自然に丸みを帯びて行くんですよね。

この歳になっても、譲れないところは絶対に譲れない。
けれどいつの間にか、一方的なアンチテーゼは影を潜め
物事を受け止める(受け入れる)姿勢に変わってしまったようです。
たぶんこれこそが「歳を取って丸くなる」と言われる所以なのでしょう。

でも勘違いしないでくださいね。
決して保守的になったわけではありませんから。
歌うという行為そのものは、あくまで捨て身なのです。
己の護身に走ることなど無いのです。
歌うという行為は
己の日常の排泄物をひけらかすようなものですから
逃げ場などあるわけがありません。

僕がまだ18歳の青二才の頃に
旧い友人が、説教じみた口調でこう言い切りました。
「かずらよ、たくさんのことを言おうとするな。
 歌の詩は三行で事足りる。綺麗に装飾しようとするなよ!」

今、その言葉を重く受け止めています。
お洒落な言葉で着飾ることは、もうやめにしましょうね。

そう思い立っただけで
この先もまだまだ歌えそうな気分になります。
いや、歌わなくっちゃ!

*

2015年3月16日

13日の金曜日は吉と出た


寒いなあ。
とは思ってみたものの
しんしんと冷える冬の寒さはもうありません。

キーンと張り詰めて
体に突き刺さって来るような
そんな鋭く尖った空気じゃないですもんね。

水ぬるむ、と言われますが
空気も緩くぬるんでいるのを実感する今日この頃です。

そうそう、
2月に続き3月にも13日の金曜日がやって来ました。
二ヶ月連続です。
良からぬ事が起きなければいいのだが・・

起りました。
トイレの排水が詰まってしまい
ラバーカップを用いて奮闘するも
スカッとした流れに戻らないので管理会社に連絡。
業者さんを呼んでの修理となってしまいました。

あいたたた・・
いったい幾ら分捕られるんだろうかと
大変気を揉みつつ仕事場から帰宅してみると思わぬ朗報が。
外の排水溝が老朽化して詰まっていたそうです。

業者さんが大家さん(私の家の隣)に説明してくれたせいもあり
大家さんの負担で全て修繕して頂けることになりました。
ヤッホー!自己負担無し!!

ま、宅外の設備ですから
小躍りするまでもなく、これは当然のことなのでしょうけど
オマケが付いてきたのです。


入居当初から使い難いとカミさんがボヤいていた台所の水栓を
大家さんのご好意でシングルレバーの新しい物に替えて頂けたのです。
これはカミさんの営業力の賜物だと感心した次第。

業者さん、大家さん、カミさんとであれこれ話をするうちに
「私ねえ、夏に骨折して3ヶ月入院して、まだ手首が痛いもんで
蛇口を捻るのがとーっても辛いのよねえ・・
シングルレバーに替えて頂けると有り難いんだけどぉ~」
と、大家さんに言ったらしいのですが
なんと二つ返事で「いいですよ、うちが費用は持ちます」と快諾。
すぐにその場で交換作業が始まったそうです。

デザインはちょっとゴツイ気もしますけど
タダなんだから文句は言えません。はい。
帰宅して光り輝くこれを見て、「いくら掛かった?なに??タダあーっ!?」
嬉しくって思わず万歳しましたもの。
いい大家さんです。
しかも・・

外溝の工事は18日の水曜に決まりましたが
それまでは安心してトイレの水を流せません。
すると大家さん、現在は空いている我が家の隣の家の鍵を差し出し
そこのトイレを使って構いませんよと仰ったそうな。
ひゃあーっ!!こないだルームクリーニングし終えて
ピッカピカになってる家のトイレを使って宜しいですと!?

思わず拝みました。
なんていい人なんでしょう。
南本宿でもそうでしたけど、大家さんには恵まれてます。
ありがたいことですよねえ。

13日の金曜日、まんざらでもありません。



あ、マジか(間近)の告知となりましたが
今週の金曜日、歌う予定です。

3月20日(金) 東白楽 B.C.B.G.
Acoustic Night (かずら元年、ナマアキラ、梅谷英之)
たぶん20時くらいから。
http://www.geocities.jp/noborderyokohama/

お誘い頂いて前から決まってはいたんですけど
実はその日、カミさんの再手術(固定金具の除去)がありまして
19日に入院してみなければ手術の時間がわからないのです。
全身麻酔なので目が覚めるまで立ち会わなければならず
夕方頃の手術となった場合は時間的にライブに間に合わなくなってしまいますんで
ちょっとタイトな状態で困ってるんです。
なので、すみません。19日に改めてお知らせさせてください。

以上、十日ぶりに更新の「かずら的日常」でした。



*

2015年3月6日

繊細さと力強さ改め、か弱さと逞しさ



私事で恐縮ではありますが
今日はカミさんの誕生日ということもあり
本人の承諾を得ないまま写真を掲載させて頂きます。

母ちゃん、誕生日おめでとう!

所用で出掛けた際にシフォンケーキを買って帰りました。
たとえプレゼントの品が無くっても
こんなちょっとしたことに喜んでもらえるのがありがたいです。

ケーキ屋の店員さんに
「プレートのお名前はどうしましょう?」と、尋ねられ
娘たちが「のりちゃん」と呼んでいるのでそう記してもらったところ
一所懸命に書いてくれた熱意が伝わるような筆跡でした。
平仮名って、バランスをとるのが難しいんですよね。
僕としては最後の「ん」の跳ね具合が気に入ってます(笑)

さて、腰軽で変わり身の早い僕はといえば
舌の根も乾かないうちに・・


重量級のFRから軽量級のSAECに替えてしまいましたとさ。
軽いんですけど、ベリリウムワッシャーと三点圧着でアームとのジョイントを強固にした
ULS-2という70年代に一世を風靡した代表的なヘッドシェルであります。
素材はアルミニウム合金、ヤワな印象を抱いてしまいますが無共振設計なのです。
つまり、軽いくせにガッチリと仕上られてるということ。
低域の締まり具合、見た目は弱々しいのにちょっとびっくりしてしまいます。

なぜ、昨晩から打って変わって真逆な方向へと寝返ったのか。
それはですね、バランスウエイトが極限まで後方に下がってしまったことから
針先が浮き足立って、トレースの不安定さが露になったからです。
反りのある盤なんて、波間を彷徨う小舟みたいな感じさえしましたからね。
こりゃいかん!と、方針を転換したわけです。

ま、国会答弁みたいに、ほとんど言い訳にしか聞こえないでしょうけど
ほらね、ウエイトの位置がかなりいい感じになってます。
野球のピッチャーに例えるなら
踏み出した前足にしっかりと重心が乗るってえもんです。


サイズ的にも短いこのシェルに替えてみてわかったことですけど、
今まではオーバーハング(針先とセンタースピンドルの関係)が、かなり超過していたようです。
ざくっと目分量だけで、正確に測ることなどただの一度も無い僕ですから
あくまで聴感上のことですが、最内周の曲の歪が感じられなくなった気がします。

それともうひとつ、軽くなったおかげで
シェルのリード線に重量を気にせず太いOFC線を使うことが出来たことから
音抜けが非常に良くなったことも特筆すべき点ですね。

繊細さと力強さ改め、か弱さと逞しさ。
言葉は変わっても、相反する不思議は共通です。

それにしても・・

昨年の引越しのとき、
大量に捨てまくった品々の中にアナログパーツがかなり含まれていた筈でして
それを思うと後悔の念に苛まれてしまうのです。

*

2015年3月5日

繊細さと力強さ



繊細な音溝をトレースするための
これまた繊細で精巧な作りのトーンアームに
こんなにも無骨なヘッドシェルを装着してしまった。

けど、まんざら悪くない気分。
ずっしりと重くてゴツイ体裁のオルトフォンSPUが好きだったから
頭でっかちなプロポーションは嫌いじゃない。

20数年間、小物入れに仕舞い込まれていたFRの重量級ヘッドシェル。
さすがにDENONのトーンアームには気の毒な気もするし、
バランスウエイトが極限まで後ろに下がってしまってる。
(トレースに悪影響を及ぼすので、良い子のみんなは真似しないでね)


なぜ重いのかというと、裏側はこんな構造になっていて
肉厚のあるシェルに、更に鉛の板が挟まっているからだ。
カートリッジのボディはこの鉛板にがっちりと固定されるので
音を濁らせる元となる共振が起りにくくなる。
振動する物体は安直にゴムを用いて和らげても駄目なのだ。

ちょっとだけよ、の薀蓄(笑)


そして鉛板に固定されたカートリッジを前後にスライドさせて
オーバーハングを調整するためのビスの頭がこれまた巨大。
こりゃあもう笑っちゃうしかないけれど、
侮るなかれ、これはその昔デザイン大賞を受賞しているのだよ。
ほら、見方によっては美しく感じてしまうでしょ?
繊細さと力強さ、アナログオーディオは車に似ているかもね。

明日は休みなので、ちょっと大きめの音で聴いてみよっと。

*

2015年3月3日

ドンシャリ



近頃は若者の難聴が増加しているらしい。
ヘッドホンで大音量の音楽を聴くからだとか。

若者たちよ、耳は大事よ。
いい音楽を、適度な音量で楽しみたまえ。

けれど時折、どうしてもデカイ音で聴きたくなってしまうもの。
あたしとて、体が包み込まれるほどの音圧が快感になることもある。

でも、ヘッドホンはイヤ。
やっぱり音ってやつは「空気」を感じられなきゃ。

鼓膜から脳味噌に直結するのは短絡的すぎて
考えるいとまが欲しくなっちまう。

あ、そうか。
あれこれ考えたくないからヘッドホンを使うのか。

こりゃ失敬。
爺さんは夢想するばっかりで、思考なんて無に等しいことに気が付いたわ。

そんな爺さんの耳も、歳相応の衰えは否めない。
特に高域の聴感低下が甚だしい。

今夜、アルバムを掛けてたら高域の抜けが悪い気がして
カートリッジをDENONのMCからSHUREのMMに交換しちまったさ。

ドンシャリでアクが強くて
これぞアメリカ!てな具合の派手な音に変身。

爺さんだって、刺激は求めるものなのよ。
さ、呑もう。

*

2015年2月23日

南南西の風に想ふ



2月のこの時期に、いきなり5月中旬の陽気とは
目覚めたときに戸惑ってしまったほど季節感の無い休日でした。
貧乏性でケチな僕の性分でありますから
その(勿体ないほど)心地好い陽射しを見過ごすわけにはいかず
起きて早々に洗濯を始め、窓を全開にして掃除を済ませました。

なんでしょ?この至福に満ちた解放感。
極寒の北国に住んでいるわけでもないのに
沸々と湧き上がるのは、冬を越えた後に春を迎える安堵感にも似た
どこか動物的な感情のようです。

カーテン越しに、風に揺らめく洗濯物のシルエットを見ていると
これが平穏な日常なのだということに気付きます。
厚木基地へと向う米軍機が、轟音を響かせながら空を横切ったとしても
住宅街は静かに時を刻み、ひっそりと佇んでいるのですから。


買い物ついでにハードオフへ立ち寄り、餌箱を漁ってみました。
去年の夏頃まではアナログ盤の宝庫とも言えた地元のその店も
近頃じゃまともな物が全く並ばなくなってしまいました。
たぶんアナログ盤を専門に扱う店舗が新潟に(だったっけ?)出来たせいでしょうね。

それでも端から端まで全て見ることだけはやめられません。
今日も何にも無いなあ・・と、諦めながらも見るのです。
その(無駄な)労力を費やすことを正当化したいがために
百円のアルバムを1枚だけでも買って帰るのですが、
今日は幸いなことにロギンズ&メッシーナの2ndが米国盤で見つかりました。
もちろん百円。
春先の陽気には、似合う音色のアルバムだと思います。

ああ、それにしても
60年代後半から70年代初頭に至る米コロムビアの音って、なんて素敵なんでしょう。
名盤を数多く世に送り出したことが頷けます。
CBSソニーの国内プレス盤では味わえない「何か」が、
ラフな作りのレコード盤にしっかりと刻まれている気がするんです。

これだからアナログ盤はやめられないんですよね。


この女性も平和な時間に感謝しながら
寝る、喰う、寝る、寝る、の業務をしっかりとこなしておりました。
伸ばした足の指先がパアになっているのは
今が幸福であることの証なのです。

けれど穏やかすぎる一日が、なんだか怖くなってしまうのは
63年ほど生きてきた中で体験した、様々な出来事が脳裏に焼き付いているから
・・なのでしょうか。

南南西の風に想ふ。

*

2015年2月19日

IN THE NIGHT




ディランのSHADOWS IN THE NIGHTを聴いていると
どうしても、次にこちらを掛けてしまいます。
ニルソンのA LITTLE TOUCH OF SCHMILSSON IN THE NIGHT。

フランク・シナトラをカヴァーしたディランの新作、
そのシナトラの多くの楽曲をアレンジしたゴードン·ジェンキンスが
ニルソンのこのアルバムでもオーケストラをアレンジしているというのが
何か不思議な縁を感じてしまうのです。

ストリングスを艶やかに再生してくれるSX-3Ⅱのおかげもあって
重厚で時に軽やかに奏でられる弦の音に酔いしれながら
心地好い夜の時間を過ごすことが幸せに感じられます。

どちらもタイトルはIN THE NIGHT、
ウヰスキーと夜に似合わぬわけがありませんものね。
堅苦しい話は抜きにして、リスナーに徹するしかないようです。

53歳で亡くなったニルソン、
今も健在であれば、いったいどんなアルバムを披露してくれたことでしょう。
つい、そんなことを想ってしまう夜でした。



今日は年に一度の眼科検診。
手術から6年以上が経過して、これ以上良くなることはなくても
今より悪くなることはないだろうとのこと。
紹介状を書いてもらい、次回からは地元の眼科で診察を受けることになり
通い慣れた聖マリアンナ病院へと続く路を歩くのも今日で最後となりました。

帰り道、ふと空を見上げると
真っ白でふわふわな雲が、凛とした青い空を流れて行きました。
春が近付いているようです。

*