2016年1月30日

ゆるゆると・・



今年二本目の集合写真。
カミさんの妹の提案で
本日還暦を迎えた弟の誕生日を祝うこととなり
皆で日吉の妹宅に集結した次第。

腹いっぱい食べ、大いに語り
この上ない幸福感に満ちた時間でありました。
車で出掛けたので飲めなかったことと、
我が家の長女が参加できなかったことだけが残念です。

いやあ、それにしても
光り輝く立派なおでこをしたカミさんの弟、
真っ赤なお洋服が似合いますなあ(笑)

俗に言う正月気分、てやつでしょうか。
たまにはゆるゆるなひと時も必要です。
これだけ大勢集まると
夏なら暑苦しくなってしまいますけど
鍋を囲んでの団欒は
凍て付く冬を忘れてしまうほど温かです。

外はこの冬一番の冷え込みで
吐く息が白くなるほどだったのですが、
予報が外れ雪にならなかったことが幸いでした。

家族って
いいもんですな。

そうそう、
先般手に入れた激安のオイルヒーターくん。
頼もしいほどに活躍してくれてます。
ありがたいことです。

*

2016年1月26日

休日


今日は仕事場の健康診断へ出掛けた。
いつもと同じく、鶴見の仕事場までの25Kmほどの道のりを車で。
出掛けた・・というのは、敢えて休日を利用して往って来たからだ。
せっかくの休日に時間とガソリンを無駄にして、と思われるかも知れないが
毎年ずっとこうしてきたわけだから、いささかも悔いはないのである。
おまけに僕が働き始めるのは午後の日が傾いてからなので
午前中に済ませねばならぬ健康診断が終わったあとに
時間潰しをしてまで仕事場に留まることの方が苦痛に思える一面もあるからだ。

そんなわけで
まだお日様がてっぺんにあるうちに帰宅すると・・


リビングの一角に雛人形が飾られていた。
三十数年前、長女の初節句に義母から贈られたもので
最近ではあまり見かけないほど大型で、
それでいてとても上品な顔立ちの、いかにも高級そうな親王飾りである。
(おそらく当時の価格で10万以上の品だったのであろう)
あまりに大きくて、さすがに金屏風までは飾るスペースが無かったことを
僕の留守中に押入れから発掘してきたカミさんが残念そうに呟いていた。
(そうそう、昔はアップライト・ピアノの上に飾っていたんだった)

「発掘」してきた、この表現は真にリアルなものであって
恥ずかしながら、実はこの雛は二十数年ぶりに飾られたのである。
今日に至るまでの間、ずっと仕舞い込まれていたわけで
長女が未だ嫁に行かないことも、これで頷けるではないかと
改めて反省しきりの(ダメ)両親なのでありました。
(黴ていたり、虫に食われていなかったりしたことが何よりですな)

FBでも思わず呟いてしまったけれど
地元のハードオフで、昨日とても良い買い物をした。


ジャンク扱いで売られていたデロンギのオイルヒーター。
2007年の旧型とはいえ、美品・完動で驚きの税込¥2700!!
昨晩から北側に面した僕の寒い部屋を快適なほどに暖めてくれている。
今まで使っていた(チープな)電気ヒーターとは違い、
部屋全体を隈なく暖めてくれるところが素晴らしいではないか。
あまりにも安すぎるので、半信半疑で持ち帰ったのだが
どうやらこれは大変な拾い物だったようである。
ハードオフさん、ありがとう!


そして今日は真昼間に帰宅して時間が有り余っていたものだから
ちょいと部屋を片付けて、久々のアナログ・タ~イム♪
カートリッジをSHUREからDENONのMCに替え、
アナログ再生には欠かせないビクターSX-3の音を堪能した。
ここでもデロンギは大活躍!
極めて「アナログ的な」暖房であることを、レコード盤を掛けながら実感した次第。
双方のこの温かさ、凍て付く冬には実にいいものだ。

余談・・
後方のレコードラック、結婚当初(40年以上前)に僕が作った物。
20mm厚のパーチクルボード製で、空の状態でも30Kgくらいある重量級。
愛着がありすぎて、捨てられないまま此処にあるのだけれど
500枚ほどのディスクを収納してくれるのが、今となっては有り難い。
おそらく、僕の周囲に有る物の中では最大級の長寿。
これからも大事にしなきゃっね!


ディランの「シャドウズ・イン・ザ・ナイト」
初版のアナログ盤とCDのセットを購入したにも関わらず
ふと気付けばアナログ盤には針を通していなかった。
よくあることではあるけれど、改めてアナログの良さを実感。
間違いなくCDよりも良い音質、これは雰囲気だけの問題ではないだろう。
声もバックの音も、深みがあって空気感がある。
デジタルの消去法で削ぎ落とされた部分にこそ、実は音楽の本質があるのだと思う。
ノイズ成分と一緒に(不可思議な領域の)艶まで消し去ってしまうのは間違いだ。
昨今アナログ・ディスクやカセット・テープが復活しているのは
単なる懐古趣味的な要素だけじゃないことがよく解る。
多くの者たちがそこに気付き、とりわけ若い連中がその良さを認めてくれたことは
この先の音楽の行方に大きな影響を及ぼすことになるんだろうね。

なんか、それが嬉しい。

*

2016年1月13日

三年目の・・



FBのニュースフィード、
「過去の思い出を振り返りましょう」てえのが
大きなお世話のように思える反面、
へえ~この日はこんなことがあったんだあ。
と、気付かせてくれて懐かしく思える一面もあり。

この平成11年式のKeiクンが我が家にやって来て
かれこれ三年が過ぎたことを今日は知らされた。
旧い車ではあるけれど、今でもよく走ってくれる。
ありがとうの感謝を込めて、
セルフの洗車機でピッカピカにしてあげましたとさ。

洗車してあげると不思議なもんで
内部のどこもいじってないのに、帰りは快適に走り出すんだよね。
わあーい!綺麗になったあー!!
車にしてみれば、そんな感覚なのかしらね。

ああ、それにしても腹が立つ。
この春から13年超の車は重加算税が課され
7200円だった軽の自動車税が12900円になっちまうなんてさ!
車検制度があるのだから、敢えて税金まで上げる必要ないじゃないか。
ぼったくりもいいところである。ぷんぷん。
使い捨ての文化・習慣から脱却しなければだめよ!

・・などと言ってみたところで
貧乏人の遠吠えくらいにしか聞こえてないんだろうな、霞ヶ関の奴らには。

と、ぼやきつつ
この車にはもうひとつの思い出がある。
我が家にやって来たその日の夜、友人の結婚式が催されたのだ。
デヴィッド・ボウイをこよなく愛したその男、
今頃はさぞや落胆していることであろうが
お店を営む彼らの生活も、早や三年が過ぎたということである。

思えば・・
その日はご他聞に漏れず凍て付く朝の帰りとなり
昼寝から目覚めてみると一面の銀世界となっていたわけで
ピッカピカだったKeiクンが雪に埋もれていたというのも
今となっては良き思い出なのである。

ボーマス&レイナ、三年目の記念日おめでとう。

*

2016年1月5日

年が明けると、更地になっていた。


穏やかに、新年を迎えることができました。
2016年、明けましておめでとうございます。
横浜は例年になく暖かで好天にも恵まれ
良きお正月となったことが嬉しく思えます。
皆々様、本年もお付き合いのほど宜しくお願い致します。

さて、南本宿から現在の地に転居して早や2年。
その後も何度かはお邪魔していたのですが
年始のご挨拶に今日伺ってみると・・


僕らが住んでいた家も、隣接した大家さんの家も
手入れの行き届いた庭の木々も裏の竹薮も
見慣れていた何もかもが綺麗さっぱり無くなって
ちょっとした公園くらいの広さの更地になっておりました。
昨年の9月にお邪魔した後に工事が始まったようで
旧宅の解体は僅か1週間ほどだったそうです。
角を曲がると古い門柱と松の木が出迎えてくれたのに
その風景の変わりようにカミさんも呆然としておりました。


門柱が在った辺りから見るとこんな具合でして
右奥の陽が当たった場所に僕の家が建っていたのです。
鬱蒼とした竹薮は無く、公園との境界線の柵が見えるだけとなりました。
いやはや、そろそろかなと覚悟はしておりましたけど
それがこうして現実のものとなってしまうと寂しい限りです。


以前の画像がありました。
車が先代のテリオスキッドなので5年ほど前でしょうか。
左側の木々の間から見える建物が、上の画像の家です。

ここに住んでいた11年ほどの間の出来事が
とても大切な思い出となってしまったわけですが
とりわけ大勢の人々が訪れ、楽しく過ごした日々の
そんな記憶が幾つも幾つも蘇って来ます。

越して来た翌年に長男が結婚することになり
まだ健在だった親父が北海道からやって来て
お袋や姉と一緒にこの家に泊まったこともありました。

フェアリーと名付けたボーダーコリーが
ボールを追い掛け一目散に庭中を駆け回ったり
庭先でのバーベキューに十数人が集まって
賑やかに過ごしたことも何度かありました。


その後、次女が嫁に行き
家人は少しずつ減ってしまいましたけど
幾多の歴史と思い出を刻んだこの佇まいだけは
ずっと変わらずにこの地に在ったことを思うと
やはり、家(HOME)の存在は大きいのだなと改めて感じます。


ジムニーを写した玄関先の辺りから同じ方角を望むと
あはは、なあ~んにもありません。
呆然と佇むカミさんの気持がよくわかります。

そういえば・・
11年前この場所に越して来たときの引越し業者さん。
そのときのスタッフさんは偶然にも
僕らの前に住んでいた家族が引っ越すときと同じ人だったのです。
「大きな松のある家ですよね?この間そこの引越しやらせて頂きました」
当日にそう言われてびっくり、奇遇ですよねえ。
何かのご縁を感じずにいられなかったことを覚えています。

そんな思い出の地ではありますが
たぶん半年くらいの間には7戸の住宅が建ち
敷地の真ん中を通る道路が出来ることでしょう。
次に伺ったときはどんな光景になっているやら。
いずれにせよ、僕(ら)の思い出の地が
またひとつ無くなってしまったということです。
此処を訪れた皆さま、その思い出を大切にしてくださいね。

以上、(ふるさと)南本宿からのレポートでした。


そして元日に我が家に集った長男一家との1枚。
能天気な家族、今年も(たぶん)いい年となることでしょう。

それでは皆さま、
改めまして謹賀新年!!
更地となった旧宅のように
白紙の一年に良き思い出を刻んで行きましょう。


*

2015年12月31日

行く年に想ふ



日付変わって大晦日となりました。
2015年を振り返ってみると
個人的には未年の双子の女子孫が誕生したことが
なんと言っても一番のニュースです。
生まれてから六ヶ月が過ぎましたが
すでに寝返り、ハイハイなど
二人が競い合うように上達しています。
間もなく掴まり立ちも会得してしまうでしょう。
いやはや、幼子の成長の速さは驚くばかりです。

政治の世界では
戦後70年となる今年を起点として
大きな変貌を目論む輩が目立つようになったことも
或る意味象徴的な出来事でした。
来年度の防衛費予算案は5兆円、過去最高額です。
戦後がいつまで戦後であり続けられるのか
そんなことを危惧してしまうほど
キナ臭さが充満した一年でもあったわけです。
けれどもひとつの光明として
多くの若者たちが声を上げ始めるきっかけにもなりました。
それだけでも、僕は嬉しく思えて仕方ないのです。

嘘八百並べ立てて招致した東京五輪。
国民のほとんどが望んでもいないビッグイベントは
利権に群がるハイエナ共の企みの中で
その後数々の事件や問題を露呈し続けています。
甘い汁、全てが二重三重に毟り取られている我々の税金です。

そしていったい誰が必要としてるであろうリニア中央新幹線。
強力な電磁波を撒き散らしながら疾走する電車のコースは山間部、
膨大なトンネルを掘った後の残土の行き場も無いと聞けば
中国での出来事を冷ややかに見ることもできません。

公共事業に於ける甘い汁や天下り、
恩恵に授かるのは決して庶民ではないのです。
それどころか、更なる増税を持ってその資源にしようとは
恐るべき悪徳・悪政としか言いようがありません。
選挙対策の軽減税率論議も茶番です。
高級食材や高級嗜好品の税率を上げれば済むことなのに
安酒を含め、庶民が買い求める必需な品々が標的にされるだけで
これじゃあまともな暮らしを維持することなど出来やしないのです。

嗚呼・・
それでもやがて、年は明けて行くのです。
自虐的に言うならば
この「否応無し」にやって来る新年てやつが心地好くも感じるのです。
様々な出来事を羅列してみると、とんでもない一年ではありましたが
天下泰平の日本国民は新年を迎えるその瞬間に
さらりとそれらを水に流してしまえるほど温厚なのであります。
わずか一日を跨ぐだけで(過去の)恨み辛みは忘れ
新たにそこから何かを始めようと模索する
そんな国民性が素敵なのだと、僕は思えるのです。
国の形が大きく変わった明治の維新や戦後の急速な復興は
日本だからこそ成し得た奇跡なのではないでしょうか。
或る意味「能天気」な国民性ではあっても
柔軟とも言えるその姿勢は、僕は好きです。愛してます。
反面、事を間違えるとそれが如何に危険であるかも解っています。
流れに乗ってしまうと、止まらなくなる国民性でもありますから。

つまりは、流行に敏感なわけで
大きなうねりには逆らえないのです。
遠い将来を考えることが出来ない猫と同じように
或いは考えたとしてもすぐに気を紛らしたりしてしまう
日本人のその資質が僕は大好きなのです。
遠い昔に陸続きだったことを彷彿とさせる大陸性の大らかさ、
小さな島国ではありながら「両生類」の強かさを兼ね備えていることを
僕は誇りだと感じてしまうのです。



年の終わりの徒然なる回想録、
長くなってしまいましたが
どちら様も良い年をお迎えください。
お世話になった皆様方に
心から感謝致します。

鼠に先を越され
猫年の干支を失った呑気な猫も
そのように申しております。
明日からは猿の時代、
猿の惑星とならぬことを祈るばかりです。

*

2015年12月27日

この歳にして気付くこと



実は数日前から(密かに)
1966年のベンチャーズ日本公演のライブ映像を楽しんでいる。

https://www.youtube.com/watch?v=QGdxrjQU5-o 10番街の殺人
https://www.youtube.com/watch?v=3bKG0p6Tv9Q ワイプ・アウト

白のモズライトに憧れた
田舎の中学生だった時分から
ずいぶんと遠ざかっていたものだが
ひょんなことから目にした当時の生の演奏に
レコード盤とは桁違いのロック・スピリッツを今になって感じたからだ。
そのライブに於けるギザギザした尖った音とビートは
今さらながら聞き惚れるほどにワイルドでストレートだったのだ。
しかもシンプルでとてもわかりやすい。

やはりバンドは四人の編成がいい。
リボルバー辺りまでのビートルズがそうであったように
個々の音が聴き取れるくらいの音の密度が心地好く思えるのは
たぶん僕だけじゃないだろう。
バンドとしての(或いは音作りの)原点がそこにあるんだと思う。

ずいぶんと遠ざかっていた・・
そう書いたのは
やがてビートルズやストーンズを筆頭に
「歌うバンド」が台頭してからというもの
いつしか僕の中でインスト・バンドを蔑むようになっていたからだ。

歌が無きゃ、だめよ。
言葉が無きゃ、だめよ。
・・みたいな(或る意味)差別に似た感覚で
その後の50年ほどを生きて来たわけである。

考えてみりゃ
ブルーズがそうであるように
小難しい言葉を並べ立てなくたって
はたまたポップスがそうであるように
曲の長さが3分ほどであったとしても
僕らの好む「音楽」は成立するのだ。

NTT回線の市内通話は3分10円、
カップ麺が出来上がるのは3分、
ウルトラマンのカラータイマーも3分。
俗世間では「3分」が物事を完結する基準なのかと思うくらい
あらゆる場面で登場する時間の枠組みなのである。
(待てる限界が3分だなんて、せっかちに考えないでね)

侮るなかれ、3分!



・・そんなことを想いながら
63歳の2015年は暮れて行くわけで
人生とは日々気付きの毎日なのであります。

それにしても・・
ノーキー・エドワーズのギタープレイは
カントリーフレイバーに満ち溢れてますな。
バック・オウエンスのバンドメンバーだったことが頷けます。

この歳にして
ようやくそんなことがわかってくるのが
浅はかな「人間」であることの証明なのです(笑)

*

2015年12月22日

time is on my side


若い時分には
むしゃぶりつくように
一年という時間を食い漁りました。
旺盛な食欲の前では
味なんて、どうでもよかったんです。

ところが社会人となり
家庭を持つ頃になると
生き方だの、スタイルだのと
やたら過ごし方の味わいにうるさくなってしまいました。

同じ一年なのに
満足を得るためには
ずいぶんとお金が掛かるようになり
裕福でなければ幸せじゃないような
そんな錯覚を抱くようにもなりました。

一家の長として
人並みの生活を維持することが責務なのだと
働き盛りのその頃は思ったものです。

人並みの暮らし
そう言うことは簡単であっても
一年中、常に背伸びしながら
見栄を張って生きていた気がします。

時間に追われるように
はたまた時間を食い潰してしまう勢いで
我武者羅に働き続けるのが
悲しいかな庶民の姿なのです。

ふと気付くと、僕はもう
63年もの時間を平らげてしまってました。
お腹いっぱいです。

だからなのでしょうか、
近頃は焦りを感じることもなく
ただただ、淡々と一日を過ごしています。
どれほど大変で忙しい状況にあっても
己を見失うことがないように逃げ道を用意して
あくせくせぬように生きる強かさまで身に着けてます。

歳を取ると食が細くなるものですから
たとえ僅かな時間であっても
幾ばくかの満足を得ることができるようになりました。
今はそれで十分なのだと思います。

けれど若い諸君よ、
君たちは旺盛な食欲で時間を食い漁ってくれ。
不味かろうが旨かろうが、今はたらふく喰うがいい。
その飢餓感がなくてはならないのだ。

・・なあんて
呑みながら想う年の瀬でした。


この者たちは
まだ「時間」が何たるかを知りません。
その反面、親にとっては
時間の重さを痛切に感じてしまうのです。

それが世の常、人の常。
そんなもんです人生は。

幼な子はひたすら観察を続け
若者はありとあらゆるものを喰い
やがて毒と薬を見分けられるようになるのです。

ああ・・
偉そうなことをほざいてしまいました。
僕にとっての薬は酒だというのに。。



淡々と
2015年が去って行こうとしています。
淡々と
見送りましょう。

*