2012年1月11日

メリハリ

冷えてます。乾いてます。
東京・横浜界隈は、もう一ヶ月近くも雨が降ってないんですってね。
寒いわけだあ。

以前、北海道に居た頃よりも寒く感じると書きましたが
ひとつ思い出して、なるほどと頷いてしまいました。
冬の間、地元の人間は必要な時以外は極寒の屋外を出歩かないんです。
だって半端じゃないくらい寒いんですもん。
近い場所でも移動は車(100m先の店に煙草を買いに行くとかね)
体を外気に晒すのは必要最小限の時間内に留め、
暖房の効いた家や店の中に長い時間居るようにしています。
挙句、暑いなあ~と言いながら何枚か脱いで薄着になるのですから
どうしてもこちらの冬の方が寒々しく感じてしまうわけなんです。
北国では建物も乗り物も、これでもかってくらい暖房が効いてましたからね。
外へ出ない限りは暖かで快適だったんですよ。
それに比べると、中も外もこちらは寒すぎます。
明朝の最低気温が氷点下だなんて聞くと、何だか怖くなってきました。

それと、ふと思ったんですが
暖房器具の省エネモードって、どちらかと言うと寒く感じませんか?
そりゃ何かと節約しながらなんですからパワー不足は当たり前ですけど
一瞬にして眼鏡が曇ってしまうような、ガツーン!と来るものが無いどころか
温かな風に時折冷たい隙間風が混ざっているような感覚に陥ることがあります。
どっちなんだ、はっきりしろー!みたいな。
ハイテクな都会の省エネな暮らしって、人間のメリハリを奪って行きますね。
センサーによって温度と一緒に感情までもがコントロールされてるみたいで
そのストレスがどんどん溜まって行くような気がします。
一定の温度に制御されるその平べったい無機質な機能が
曖昧で時に突出したくなる人間の本能を脅かしているのだとしたら
それはそれは怖い話なのであります。




なんだか、取り留めの無い展開になってきました(笑)
明日あたりは気分を変えて久しぶりに楽器の話でも。
都会の寒さに打ちひしがれてなければ、ですが。




あ、何気なく顔を上げた瞬間に
目と目がばっちり合うのって、とてもいいですね。
そんなことがあると、なんだか一日が楽しくなるもんです。
これもまた人間に必要なメリハリ感。
いい夢に有り付けることを願いながら、おやすみなさい。またあした。



2012年1月10日

FIFAバロンドール獲得!


FIFA女子年間最優秀選手賞に澤穂希が選ばれました。
異論など全くない当然の結果ではありますが、やはり快挙と言わざるを得ません。
アジアでは初の受賞ですからね、実力とは言え立派なものです。
トロフィーを手にメッシと同じ壇上に立つなんて、1年前までは誰も予想しなかったことでしょう。
苦難の末に日本女子をチャンピオンに導いた澤穂希が、日毎にどんどん大きくなって行きます。
本当に凄い人です。凄いことをやり遂げ、この先さらに進化しようとしています。
アメリカやドイツなどの強豪を尻目に、女子サッカーのスタイルを大きく変えたことも
彼女を含めた、なでしこジャパンの功績だと言えますし
それを指揮した佐々木則夫監督の受賞も当然の結果でしょう。
男子と女子ではサッカーそのものの捉え方も大きく異なりますが、
綺麗(華麗)に魅せようとする男子と比べ、女子のあのバタ臭いほどのプレーには心打たれます。
一途にゴールを目指すという姿勢は男子も見習わなくてはいけないと思えるほど
彼女たちの妙に格好つけない姿が私は大好きです。

それにしても澤さん・・
顔は今でもゴツイままですが(失敬)ずいぶん美しくなりましたよね。
他の選手たちもそうですが、ピッチに立つ形相との違いに驚かされます。
秘めたる女性としての美しさや柔らかさをお持ちなんでしょうね、きっと。
これからの更なる健闘に期待してます。



2012年1月9日

Blue Moon

降り注ぐ蒼い光、空には大きな月が輝いています。
なんて静かで穏やかな夜なんでしょう。
成人を迎えた若者たちを祝福しているかのようです。
この優しい夜が深い闇に閉ざされることなく
彼らを明日に続く道へと導いてくれることを祈らずにはいられません。

満面の笑みで、夜明けを迎えられますように。



「Blue Moon」 ビリー・ホリデイ

昔むかし、僕が心から笑えるようになる前
僕は月の光が大嫌いだった

詩人たちが魅力的に歌に詠む闇夜の影も
僕には単なる月影でしかなかった

夜更かしする相手もなく
夜10時にはベッドに入る

世の男の中で最も哀れな者にとって
人生とはなんとも苦いものだった

青い月よ
独り佇む僕を、君は見ていたんだね
心に抱く夢もなく
生涯愛する人もいない僕を

青い月よ
僕が何のためにそこにいたかを、君は知っていたんだね
そして君は僕の願いを聞き入れてくれた
心から愛する人に出会いたいという願いを

そう、あの時、突然僕の前に現れたんだ
僕のこの腕で一生抱きしめたいと思う唯一の人が

そしてこう囁く声が聞こえたんだ
“お願い、私を深く愛して...”

空を見上げたら
月よ、君は金色に変わっていたね!

青い月よ
もう僕は独りなんかじゃない
心に抱く夢もなく
生涯愛する人もいない僕なんかじゃない


(日本語訳:東エミ)



2012年1月8日

砂糖の思い出

諸事情から昨日作り損ねた七草粥を今夜になってから食しました。
一年の無病息災を願う伝統ある風習と素朴な味、いいものです。
(一日遅れてしまったので、ご利益が無いかも知れませんが・・)

この七草粥、辞書を紐解くと関東地方の古には
七草をまな板の上に載せ、歌いながら叩いて細かくしたそうです。
その歌というのが、「七草なずな 唐土の鳥が 日本の国に 渡らぬ先に ストトントン」
我が家もさすがにここまではやりませんが、次の世代にも受け継がれて行ってほしいものです。

ちなみに私の家では、このお粥にお餅が入ります。
とろっとろになったお餅、これがまたよく合って旨いのですが
ついいつも食べ過ぎてしまうのが困ったところ。
丼で二杯も頂くと、しばらくしてから胃袋がかなり膨らみますからね。
(今夜もしっかりと二杯たいらげましたが・・)

お餅と言えば、地方によってその食べ方は千差万別。
故郷の北海道では、焼いたお餅を砂糖醤油で食べていたものですから
東京の海苔を巻いて醤油で食べるその習慣には、馴染むまでかなり時間が掛かりました。
今まで甘口で食べていたものが間逆の味になるんですからね。
そんな甘い餅の味を数日前ふと思い出し、早速口にしてみたくなったのですが
砂糖がどこに仕舞ってあるのか分からず、女房に聞いてみようかと思ったものの
江戸っ子の彼女にそんな食べ方を欲しているなどと言おうものなら
おそらく猛烈に不味そうな顔をするに違いないと、やむなく断念してしまいました。
(けど、今も密かに食べたい気分でいっぱい)
四国・・でしたっけ?
味噌味のお雑煮に餡子餅が入っているのは。
それも是非一度食べてみたいものです。

思えば、北海道(私のおふくろ)では、何かにつけて食卓に砂糖が登場してました。
納豆を混ぜる時にも(辛子醤油ではなく)砂糖醤油、これもまた旨いんです。
捥ぎたてのトマトを切って食べる時にも、砂糖をザクザクッとかけてやると
畑の土の臭いが和らいで立派なスイーツに変身したものです。
言ってみれば、田舎では何でもかんでも砂糖をかけていたようなもんで
それが東京へ来てみると、何でもかんでも塩と醤油をかけるようなもんで
若き日の私は、その文化の違いに大いに驚いたものであります。

あーいかんいかん。
こんな夜更けに、無性に砂糖醤油で餅が食いたくなってきた。
砂糖は何処かな・・ゴソゴソ。



2012年1月7日

衰えを隠せないものがあるとしたら

昨夜以上に今夜は冷えているようです。
帰宅して見上げた月夜の空には、無数の星が煌いてました。
山間の里にでも行ったような気分、ちょっとだけ都会に居ることを忘れそうになります。
(私の家が在るあたりは田舎の風情ぷんぷんですけどね)

寒くて乾燥しているせいでしょうか、巷では体調を崩した方を多く見かけます。
長男の家では年末年始にかけて家族全員に重度の風邪が蔓延したとのこと。
例年であれば私が真っ先に具合が悪くなることが多く、
12月を健康な体で乗り切った験しが無いのですが、
今回は不思議なくらい体調が良いので驚いています。

前にも書きましたが、事故に遭って以来
体のあちこちで変調をきたし、毎年何らかの病気にやられるようになりましたから
病院通いも無い今の健康な状態は異常現象とも言えるのです。
うーん、どうしちゃったんでしょう。
この先しっぺ返しが怖いので、逆に何だか心配にもなってしまいます。
眼をやられたのも、耳をやられたのも、春先だったよなあ・・と。

自分が六十になる頃には、体がどうなっているんだろう?と、
未知なる世界に足を踏み入れるずっと前から想いを巡らせていましたが
私の場合、何も変わりませんね。
10年前と比べても衰えている箇所が見当たりません。
ふだんは車ばかりの生活なので、休日には遠くまで歩くようにしてますが
足が痛くなったり、スピードが落ちることも無く山坂を越えられます。
疲れやすくなったということも無く、毎晩遅くまで起きていられますし
ありがたいことに食欲も旺盛、酒も煙草も美味しく戴けてます。
平均寿命が延びているということは、人間の老齢化も先へ延びているんでしょうね、きっと。



あ・・うそ。

あっちの方だけは正直言って自信が無いです。
錆び付いて動かなくなってる・・かも知れません(汗)
衰えを隠せないものがあるとしたら
たぶん、あそこでしょう。



2012年1月6日

春よ来い!


小寒を迎え、いよいよ冬本番です。
北海道で生まれ育った私でさえも、関東平野の空っ風は堪えます。
ひどく乾燥しているためでしょうか、
先の鋭い刃で体を抉られているようで、空気がとても痛いんです。
腰の軽そうなその寒さは、風に煽られ体に纏わりついて来ては
まるで嘲笑うように冷たい息を私に吹きかけて行きます。

北海道の冬はというと、
気温では内地(本州の意味)と比べ物にならないほどですが
重厚でずっしりとした寒さの方が、体に与えるダメージが少ない気がします。
ぺらっぺらの薄情な冬よりも、分厚く重たい冬に温もりを感じてしまうような
上手く言葉にはできませんが、そんな不思議な感覚です。
外がどれほど凍て付いていようとも、
赤々と燃えるストーブを囲むと気が和みます。

薪、石炭、灯油、時代と共に暖房用の燃料が変わっても
寒気の隙間を埋め尽くすように、濃厚な熱が部屋を体を温めてくれるのが
北海道の冬であり、それは今も昔も変わってないのです。
関東の冬は、その暖房ですらペラッペラに薄情な感じがして
それが余計に寒さを募らせているのでしょう。

あとひと月ほど
この寒さに耐えて行かねばなりません。
それでも徐々に日が長くなっていることに気付くと
春の足音が近付いているようで呼んでみたくなるのです。

春よ来い!
毎年この時期になると口にしてみたくなる命令形です(笑)



2012年1月5日

女体の神秘


娘の家に届ける物があったので、新年を迎えたポンタの顔を見て来ました。
この時期の成長の早さには、ほんと驚いてしまいます。
つい十日ほど前までは猿顔だったというのに、それがずいぶん優しい表情に変わり
すっかり人間の子供らしい顔つきになっていました。
命あるもの、その逞しさって凄いですね。

最近、こんなことを思うんです。
数億年前、水中で暮らしていた生物が陸に上がり
それがやがて二足歩行を始めるまでの気が遠くなるような人類生誕までの進化の過程が
羊水に満たされた母親のお腹の中で再現されているんじゃないかと。
四つ足のハイハイ歩きから、掴まり立ちして歩き出すまでのわずか1~2年に
それらが凝縮されているような、そんな気がするのです。
まさに神秘の世界。
赤子の顔つきが猿から人に変わって行くのも、そのせいなんじゃないでしょうかね。
私たちは人類の進化の過程を、赤子を通して間近に見ているわけなのですから
生命の尊さを教えてくれる子供たちは、やはりこの星の宝物なのでしょう。

余談ですが、
私の少年時代に「女体の神秘」というドイツの映画がありました。
おそらく性教育を兼ねた、ある意味真面目な作品だったと思うのですが
その内容に関わらず、思春期の少年にはとてもエロチックな響きを感じたものです。
それは別として、原題「Helga(小惑星)」とこの邦題も、今改めて目にすると言いえて妙な気がします。
女体はまさしく宇宙そのもの!ですからね。



うーん、いったいどこから侵入して来るのでしょう。
昨年の後半辺りから、玄関と台所の間の壁の僅かな空間に時折ネコらしき動物が入り込み
身動きが取れなくなって、もがき苦しむ音が聴こえる夜があるのですが
(壁の中だから、如何にネコとは言えどもそりゃあ狭くて焦るわけですよ)
それが今夜は私の部屋の天井裏に出没したのです。
天井から聞き慣れない音がするのに気付き見上げていると
すりーすりーと斜めに横断して行きました。
明らかにネコの警戒した足音です。
旧い家なので、やつらの出入り口を見つけるのは容易なことではありません。