2014年1月24日

告白




FBフレンドのタイムテーブルが
BSで放送されたザ・タイガースの話で盛り上がっているのを目にして
なんだか懐かしくなりYouTubeで古い音源を聴いてしまった。
「タイガース・チャリティー・ショウ」サンケイホール 1967年12月13日

僕が中学生だった頃、世はGSブームの真っ只中。
その中でも彼らの荒削りな歌と演奏はお気に入りのひとつだった。
それはストーンズのカバーが多かったせいもあるけれど
この音源を聴いても解るように、彼らの(雑な)音は
当時の並み居るGSの中で、Rockそのものを表現できていたからだろう。

ふと思い出したのは彼らが人気絶頂の頃に
全国ツアーで僕の田舎、帯広の市民会館にやって来たことだった。
(なんと、最北の地の田舎町にも来たのだよ)
若い女の子が絶叫するその会場に、実は僕も居て身を乗り出して観ていたのだ。
正直、ファンであったことをここに告白する(笑)

1967年のサンケイホールでのセットリストはこちら。

0:00 opening mc
0:25 サティスファクション(SATISFACTION)
3:59 ラスト・タイム(THE LAST TIME)
7:12 マイ・ガール(MY GIRL)
10:10 ニューヨーク炭鉱の悲劇(NEW YORK MINING DISASTER)
13:15 オーケイ!(OK!)
16:33 ブルー・シャトウ
18:02 タイム イズ・オン・マイ・サイド (TIME IS ON MY SIDE)
20:55 タイガースのテーマ(MONKEYS' THEME)
22:50 ダンス天国~ラ・ラ・ラ (LAND OF 1000DANCES-LA LA LA)
26:00 ホリディ(HOLIDAY)
28:53 僕のマリー
31:33 シーサイドバウンド
34:28 モナリザの微笑み
37:11 エヴリバディ・ニーズ・サムバディ (EVRYBODY NEEDS SOMEBODY)
37:42 アイム・オール・ライト(I'M ALL RIGHT)

ブルー・シャトウ以外は必聴もの!

*

2014年1月23日

強電には弱いのです



この大型の19インチラックを自宅まで引き取りに来てもらうために
グーグルマップに少々手を加えて友人に送信しました。
あまりいい出来栄えじゃないですけど、
次回放出の際にも使えそうなので保存しておくことにします。
モニタースピーカーを引き取りに来るそこのキミ、あなたにもいずれ送りますからね。
さあ、日曜までに埃を払って少しは綺麗にしておかなくっちゃ!

機材もさることながら、楽器も半分くらいは手放そうと思っています。
何せ今より狭くなるわけで、置き場所が無くなるのは目に見えてますから
この機会に5本ほど残して他は売却しようかと目論んでいるのです。
ある程度の値が付く物は委託販売のお店にお願いするつもりですが
僕の(怪しい)コレクションに興味のある方は連絡頂ければ検討させて頂きます。
バッタもんの宝庫!ですから(笑)

ところで・・

シーリングライトってやつ。
あれは家の施工時に天井に固定してあるもんだとずっと思ってました。
昔のタイプはそうだった筈ですが、今はソケットに後付けできるんですね。
恥ずかしいことに、それを昨日初めて知りました。
だって、天井に隙間も無く貼り付いているんですもの。
まさかあれが簡単に後付けできる物だったなんて・・

それを知ったからには、転居先に取付けるため
気を取り直してネットで安い物を物色しています。
リモコンではなくプルスイッチのタイプなら¥3980くらいで買えるんですね。
何事も勉強だあ~と、
弱電に強く強電に弱い僕は思うのでありました。

今夜も焼酎2杯(だけ!)飲んでます。

*

2014年1月22日

フライングV



我ながら、天晴れな単細胞である。
普通食に戻した途端、体の各部が正常に動き始めた感あり。
昨日までの体調不良は治まり頭もスッキリ。
車に乗っていても、しっかりと運転できてる実感がある。
(実際に昨日はボーッとしたまま車を走らせていた。危険!)

無理ですよ、お粥だけで日常を過ごすのは。
横になっていられる入院生活ならまだしも
仕事に行き、ふだんと変わらぬ生活を維持するには
やはりメシ!メシですよね!!

食生活が元に戻っただけで俄然元気になる僕は
人類として恥ずかしいほどの単細胞な生き物に違いありませんけど
いいんです!それで。

すっかり気を良くしたせいか、今夜は七日ぶりの晩酌を戴きました。
医者から術後1週間の禁酒とは言われてましたが
焼酎をお湯で割り、ほんの一杯だけ。

明らかにフライングです。
五日目なのでフライングV(笑)


でもね、飲まないことのストレスを考えたら
サクッと行っちゃった方が良いこともありますからね。
ほら、病は気からって言うでしょ。
健全な心を取り戻さなくっちゃ!

ま、言ってみればこれもリハビリのひとつ。
急にガッツリ飲むよりも、徐々に慣らして行く方がいいじゃないですか。
メシで満腹、酒で満足♪
今夜の僕は体も温まり、とてもとても幸せな気分です。

そして自他共に認める意志薄弱な僕は
案の定、もう一杯だけ飲みながらパソコンに向かっているのでした。
今夜は絶対にこれ以上は飲みませんので
どうかご内密に・・

*

2014年1月21日

元の暮らしに戻りたい



NTT、素早いです。
昨日の午後に申込みをしたばかりだというのに
ゆうメールで早速書類が送られて来ました。
唖然としながら封筒の宛名を見て気付いたことが・・

そうでした。
回線の名義は結婚当初の39年前のまま。
その頃の僕は戸籍上の漢字を一字だけ変えていたのです。
宏幸を「紘幸」としていたもんですから
NTTの名義人の名前はその当時のままだったことに気付きました。

実はこれ、何かと厄介なのです。
10年ほど前、とあるプロバイダにADSLの申込みをした際
うっかりそのことを忘れたまま書類を送ってしまったので
名義人が違うということで開通が遅れた苦い経験があるのです。
そして今回予定しているSoftBankの(格安)ホワイトBB、
これも携帯電話の名義人と同一でなければ申込みできません。
あぶないところでした。

早速名義人の変更をしなければ!
NTT東日本のサイトで確認してみると・・

なんと!戸籍謄本を添付して申請するんだとか。
ひゃあ~さすが元公社、お役所仕事の片鱗が窺えます。
参ったなあ、僕の本籍地は結婚した折に東京大田区へ移したままなので
蒲田にある大田区役所まで取りに行かねばならんのです。
この忙しいときに、きいーっ!!

ただ個人の場合は、結婚して姓が変わった時とありますので
名前の漢字を変えるだけならどうなんでしょうかねえ?
明日コールセンターに問い合わせてみましょう。
予測としては・・
要・戸籍謄本!てことになりそうな気がしますけど。
ああ、面倒だなあ。。



そうそう、今日の昼から普通食に戻しました。
1週間ぶりの固形食摂取です。
胃袋と腸がびっくりするんじゃないかしら(笑)

手術のストレスなのか、食生活の変化によるものなのか、
どうやら体が変調をきたしているようです。
上手くは言えませんが、体のあちこちが不調でして
昨夜は入浴後に鼻をかむと真っ赤な鮮血が出ました。
鼻血なんて、いつ以来か覚えてないくらい珍しいことです。
おまけに腰痛と少々の頭痛も。

これはいかんです。
毎晩飲んでいた酒を断ったことも影響して
今まで保たれていた肉体のバランスが崩れてしまったんじゃないでしょうか。

早く元の暮らしに戻りたい・・(泣)

*

2014年1月20日

酒が飲みてえ。。



お粥と流動食に明け暮れる日々が五日目となりました。
完全禁酒も同じく五日目です。
よく我慢してるとは思いますが、これはもうそろそろ限界。
明日の昼食から普通食に戻します。
(お酒はもうちょっとの間堪えますが・・)

あ、こんな状態ではありますが
今日は1週間ぶりにフルタイムで働いてきたんですよ。
えらい!

さて、
転居先でNTT回線に戻すため、今日問い合わせてみました。
予め調べておいた通り、休止回線は2100円で復活できるそうです。
今回は区が異なるため局番は変わりますが
なんと今日の問い合わせだけで開通日と新しい番号が決まってしまいました。
おそらく同じ区内への転居だとこうは行かず、
現在のKDDIの光回線を解約してからじゃなければいけない筈なので
待つこともなくスムーズに移行できるのはありがたいことです。

後は転居に合わせてSoftBankのホワイトBBを申し込むのみ。
光から50MbpsのADSL、時代に逆行する形ではありますが
2年間は月額2280円でネットと固定電話が使えるのです。安っ!!
(NTT基本料金1780円+ホワイトBB1980円-スマホBB割1480円=2280円)

ただし3年目から割引き特典が無くなり3760円に上がってしまいますんで
その時期に次の一手を考えてみることにします。
今でもフレッツ光のプロバイダパックなら4200円から利用できますからね。
この僅かな差であれば光に軍配、ではないでしょうか。
実は本日対応して頂いたNTTオペレーターさんからも勧誘されたんですが
2年間はホワイトBBの特典を有効に利用する旨を伝えてお断りしました。

ま、いずれ無くなるADSLサービスですから
2年後という時期はちょうど良い頃合かと思いますがね。



ああ・・ふと我に返ると
喉が渇いて口が寂しい。
酒が飲みてえなあ。。

*

2014年1月19日

メシが喰いてえー!!



手術に使われた精神安定剤と肉体的な疲労から
一昨日の夜はおよそ12時間も寝ていたせいか
昨晩は床に就いても全く眠れず、朝まで悶々としておりました。

流動食とお粥ばかりの生活が三日も続くと
体温は上がらず、それより何より体に力が入りません。
むろん気力さえも衰えてしまいます。
やはり人間は飯を喰ってなんぼ、
旨い!と思える飯を喰わねば駄目なようです。
そこに旨い酒が加われば言うことなし!
明日の夜から徐々に普通食に戻して行きますが
「フツーのメシ」が恋しくてたまりません。

気力が無いので今日の仕事は休み。
明日はなんとか復帰するつもりですが
お弁当がレンジで温めるお粥と味気の無いおかずだけとは、
これで労働の意欲が湧くのでしょうか?
甚だ疑問であります。

ちょっとだけ無理をして、午後から不動産会社に出向き
新居の契約書一式を預かってきました。
賃貸とは言え、今どきは重要事項説明書とか
何やら重たく分厚い書類を渡され
その署名捺印の箇所がやたら多いことに驚きました。
法的要素でがんじがらめ、な印象ですけど
これは受け入れるしかないんでしょうね。

ついでに現在の住居の解約手続きも済ませ
11年という長きに渡った住処を明け渡す作業が一気に進んだ感じです。
今月中は本契約その他で終始して
2月に入った早々からは引越し準備に追われることになりますので
この弱った体を「メシのチカラ」で復活させねばいけません。
あー早くメシが喰いてえー!!
そして酒も飲みてえー!!
と、切実な願いの今であります。

願いといえばもうひとつ、
狭いながらも楽しい我が家となりますように。

*

2014年1月18日

ご心配お掛けしました!



予告無しにBlogを休んでしまい申し訳ありませんでした。
一時的に北海道の僕の郷里に移り住んでいる旧い友人からも
手術はどうだったんだ?と、電話がありました。
FBには書き込んでいたのですが、ご心配お掛けしてすみません。

いい仕事をこなした翌16日は、朝から検査食のお粥を食し
あまりにも味気なく、起きていても体に力が入らないものですから
翌日の予約時間が早かったこともあり早々に床に就いてしまいました。

さほど眠れぬまま朝を迎え、駅まで15分ほどの道程を歩き
そして電車を降りてから再び15分ほど歩き
西区伊勢町に在る松島クリニックへと向いました。
9月に検査を受けた時と全く同じ段取りなので
勝手もよくわかっており、腸の中を空にするのは手馴れた?ものです。

午後には処置室のあるフロアに移り、ベッドに寝かされ点滴。
15分ほどで処置室に運ばれ精神安定剤を注入されると
すぐに意識を失ったようで、気が付くと再び元の部屋に戻されておりました。
おそらく30分ほどは要したであろう大腸ポリープの切除は
何の記憶も不快感も無いまま、まるで他人事の如く終わってしまったのです。
今回は4ミリと6ミリの2個を切除、病理検査を経て2週間後に詳細が判明する模様ですが
厄介なことにならぬよう、善玉であることを祈っております。

しかしながら術前二日間の食事制限に耐え、
終わったらまず何を喰おうかと思いを巡らせていたというのに
術後の制限の方が長くきついことだったのは予想外の展開でした。
胃袋は空っぽなのに、帰宅して口にできたのは濃厚流動食というスープのみ。
疲れていたせいもあり、起きていても腹が減るだけなので10時には寝てしまいました。

そして翌日の今日、再びお粥の生活が始まり
腸の働きを整えるため三日間は続けなくてはならないそうです。
おーまいがっ!!如何に体のためとは言っても
がっつりした食感で刺激のある物が喰いたくて仕方ありません。
脂物は全てNGだなんて・・ひどすぎます。
ただし飲酒は、1週間完全禁酒(できれば2週間)と
やや曖昧な表現になってましたから、土曜日頃には飲み始めることでしょう。

と、ここまでは医者の指示通りに辛抱してきた甲斐あってか
今朝の術後一回目の排便には出血も無く順調に推移しているようです。
ごく稀に出血して入院を余儀なくされるケースもあると聞いていたので
とりあえずは一安心、病理検査の結果は気になるところですが
幸いにも今のところは問題ありませんのでご心配なく。

けれど僕のように、食い意地・飲み意地が強い駄目な人間にとっては
それを抑え込まれることによるストレスと体力の低下は否めません。
よって明日も仕事は休むことにしました。
念のため、もう一日だけ安静にしてようかと思います。


さて、転居の件ですが
今日の夕刻、大家さんの家族と顔を合わせたので
来月いっぱいで解約する旨を正式に伝えました。
11年も住んでいたので、お互いが残念がる結果とはなりますが
この広大な敷地を売却してもなお、お上に支払う総額には足りないそうです。
旧く歴史もある家なので、この一角の景色が消えて無くなるのは
やはり寂しい気がしますし、庭の立派な植木も全て廃棄しなければ
移し替える場所も無いんだとか。
手入れの行き届いた松や大きな桜の木、果ては裏の竹薮まで
何もかもが無くなってしまうなんてねえ・・

門の向こうに建っている家の辺りだって、ここへ越して来た頃は畑だったんです。
(畑・・ではないな、原生の空き地と言った方が正しいかも)
それらも数年前に税金対策で売られ、4棟分の宅地に変わってしまいました。
近隣には地主さんが多く、あちこちで同じような光景を目にします。
町の景色が変わって行くのって、寂しいもんですよね。

この、玄関から庭を望む風景も
あと一ヶ月ほどで見納めなのです。

*