2014年9月6日

怒る元気



あれから20日が過ぎました。
長いようで、あっという間のようで・・

すでに我が家の営みは
カミさん抜きでも成り立つようになってしまったことが
なんともはや可笑しく感じてしまいます。

昨日からリハビリ病棟に移ったのですが
同じ病院内とは言え、環境がすっかり変わってしまい
初日はカミさんの血圧が大幅に上がる事態が起きました。

アッタマ来ちゃう!と、少々興奮気味だったので理由を尋ねると
前の病室から運んで来た備品や荷物を
ぶっさいくな顔をした無愛想な看護士が滅茶苦茶に置いたらしいのです。
僕が病室を訪ねたときも怒りが治まっていなかったほどでした。

まあまあまあと宥めすかし、元通りの配置に置き換えましたけど
その日はずーっとブツクサ言っていたので
この先の長い道程、大丈夫なのか?不安に思ってしまいました。

その不安・・やはり的中しまして

今日、病棟のエレベーターを降りてナース・ステーションへ向う途中
何やら聴き慣れた声が誰かに怒りをぶつけているではありませんか。
おや?カミさんの声に似てるようだが・・
いやいや、そんな筈は無かろう。気のせい、気のせい。

それにしては話の内容が・・
「あたしの荷物、無茶苦茶にぶちまけたのアンタでしょ!!」

悪~い予感はしつつも、にこやかにカミさんに声を掛けると
再び、アッタマ来ちゃう!の名台詞。
おーまいがっ。

なんでも、昼食が始まった早々に(そのぶっさいくで無愛想な)看護士がやって来て
食後の薬を今飲むように言ったんだとか。
(うっせえなあ、後で飲むから好きにさせろよ)と、心の中で思いながら
「後で飲みますから」と、カミさんが応えるとその看護士、
「寝巻きの袖で床に落としてしまうといけないので今飲んでください!」と言ったそうな。
(おめえ、ボケ老人みたいに思ってんのかあ??)
と、そこで完璧にブチキレて、周囲の目も気にせず大声で怒鳴った模様です。

まあまあまあまあ、そう感情的にならず
先は長いんだから上手く付き合うようにしなさいよ。
宥めてはみましたが、うちのカミさん
一度そんなことがあると相手を絶対に許さない性分ですから
将来的な火種が出来てしまったことが大きな不安となってしまいました。

けれども、
喧嘩するほどの気力が生まれたってことで良しとしましょうかね。
なにくそー!みたいな気分と
こんな所にいつまでも居られっかあー!みたいな反骨心。
人間が事を起こすとき、そんな怒りが起爆剤となることもあるんですから。
一番いけないのは、無気力で消沈してしまうこと。
笑うか怒るかしてないと、人間てやつは駄目になって行くのです。

(そのぶっさいくで無愛想な)看護士さんよ、
悪いことは言わない、うちのカミさん怒らせると怖いから
今のうちに謝っちゃいなさい!(笑)



画像は帰宅するとポストに入っていた友人からの贈り物。
留守番の猫を癒すほどの猫番組の録画ディスクだそうです。
お気遣い頂いて、ありがとうございます。

・・休日前の夜は更け行く。

*

2014年9月3日

お天道様



お天道様ってやつは、どうしてこうも
スカッと爽やかな気持ちにしてくれるんでしょう。
家も道路も草花も、みんながピカピカに輝いて
青いお空を、目を細めて見上げると
なんだかそれだけで笑い出したくなってしまいます。

けど、毎日毎日
暗くなるまで一人ぼっちでお留守番をしている猫にとっては
晴れようが雨が降ろうが、寂しいことに変わりはないんでしょうから
それを思うと人間だけが浮かれてばかりはいられなくなります。

小っさい脳味噌で
お母ちゃん、どうしちゃったのかなあ・・
そう思ってることでしょう。
ずっと一緒だった家族が一人でも欠けると、心細くなるものです。
なので僕が休日で午後まで家に居るときは
テーブルに上がって来て、足を踏み踏みしながら甘えています。
この娘が一番寂しいんだと思いますけど
どうにもならないことが不憫に思えてなりません。

今日、金曜から移るリハビリ病棟の部屋を偵察して来ました。
森に面した角部屋なので、少しは気持ちが落ち着くかもしれません。
同室の患者さんがどんな人たちなのかまでは解りませんけど
これから先の長い期間を一緒に過ごすことになるのですから
気疲れしないで済むような、そこそこ付き合い易い人たちであれば有り難いです。
妙に気難しかったり、やたらお喋りだったり、必要以上にお節介だったり、
カミさんも僕も、これからずっと寝食を共にする同室の方々が
そんな風に傍迷惑な輩ではないことだけを願ってます。

歩けない、支えが無いと立てない、片腕が使えない、
そんな今のカミさんですが、今日も一所懸命リハビリに取り組んでましたよ。
とても前向きで、立派な姿です。

*

2014年9月2日

ささやかな朗報


カミさんが入院してから15日が過ぎました。
早いもんです。

一家の主婦が不在の暮らしにもようやく慣れ、
近頃では日常生活に不便を感じなくなりましたが
僕のような鈍い人間でも(人並みに)順応性があったんだということに驚いてます。
あれこれと用事が多くて疲れますけどね。

こうしてパソコンに向かえるのも休日の前夜くらいですから
WEBの世界はすっかりご無沙汰してしまった感が否めません。
FacebookやTwitterをiPhoneで開くことはあっても
ゆっくり眺める時間が無いのですぐに閉じてしまうのが実情なんです。

さて、心配されてる方も多いと思いますので
事故から半月が経過した彼女の状態をお知らせしておきます。

肘の骨折部分は抜糸され、今日ギプスが外されました。
けれど肘にはピン、手首には金属プレートが入ったままなので
長期間固定されていた関節が動くようになるまではまだ多くの時間が必要でしょう。

問題は踵の骨折。
ギプスが外れるまで、あと2週間は掛かると思いますし
今日、リハビリ用の装具(特製の靴)を作るために足の型取りをしたときに
一度ギプスを切って外す処置に立ち会った際、
手術直後に執刀医から説明を受けた「固定用のピン」を初めて目にしました。

直系6mmの太いピンが2本、踵骨に刺さった状態で
その銀色に輝くピンの頭の部分が露出していて
さらにそれを金属プレートで外側から固定してありました。
これはあまりにもリアルすぎて、さすがに見ているのが辛くなります。
歩けるようになるまで一体どれほどの日数が掛かるのか、
或いは本当に歩けるようになるのか、
それを見てしまうと不安でいっぱいになってしまいました。


ご参考までに、この画像が今回施された処置に一番近いかもしれません。
こんなに太くて長いピンが踵に埋まったままなんです。

体重を支える踵がこんな状態ですから
リハビリを経て松葉杖無しであるけるようになるまでは
気が遠くなるほどの時間が必要だということは素人にも容易にわかります。
いや、それ以前に車椅子に乗らなくて済むようになるまでが
途轍もなく長い道のりとなることでしょう。
本人の気力と体力が持続できれば良いのですが・・

今日、一つだけ嬉しい知らせがありました。
常時万床で空き待ちと聞いていたリハビリ病棟に金曜から移れることになったのです。
競争率?が高いだけに、これは朗報でした。
場合によっては転院しなければならないことも有り得たくらいですから
環境が変わることなく治療を続けられることは大変ありがたいことです。

少々早めのリハビリ病棟への移動ですが、
これを幸運と思い、彼女を支えて行きたいと思っています。

・・まずはお知らせまで。

*

2014年8月27日

注文の品



ちょっとした書き込みやマーキングをするために
枕元に置ける卓上カレンダーが欲しいとカミさんが言うので
買い物ついでに気軽に探しに行ってはみたものの
八月も終わろうとしている今どきですから
今年のカレンダーなんて何処にも残ってません。
お店の人から「来月頃入荷します~」と言われ気付きました。
もう来年のカレンダーしか手に入らないってことなのです。
慌てて子供たちの家に余ってないか尋ねましたけど
こんなときに限って、どこにでも有りそうな物が無いんですよね。

困ったなあ・・と、途方に暮れかかったとき
そうだ、パソコンで作ればいいんじゃないか!遅まきながら気付いて
フリーソフトをダウンロード、葉書サイズで無事に完成。事なきを得ました。
注文の品、明日病室のベッドに納品してきます。
念のため8月から12月までの5枚を刷り上げましたが
出来ればここまで長引かないことを祈ってます。
帰宅してすぐに始める洗濯や台所の片付け、翌朝のゴミ出しの準備、
それが終わらなければ椅子に座ってゆっくり酒が飲めないなんて、ねえ。


今夜、長女は末娘宅にお泊りなので、家には僕と猫しか居ませんから
気兼ねなく、大き目の音でガイ・クラークを聴きながらパソコンに向かってます。
疲れてるもんで、アナログ盤を掛ける気力は無く、やむなくCDにしましたけど
こんなときはお手軽で便利なものですね、デジタルってやつは。

明日も早起きしなくっちゃ。。

*

2014年8月26日

あらすじ


まるで悪い夢でも見てしまったかのような
現実とはとても思えないような事件から八日が過ぎました。

18日の夜のこと、自宅でカミさんが高い位置から落下・転倒して
あろうことか3箇所も骨折してしまったのです。

事の次第はリビングの椅子とテーブルに片足ずつを掛け
天井を蠢くGを退治しようと腕を伸ばした次の瞬間、
顔面に落ちて来たそいつを避けようとしてバランスを崩し
勢いよく床に落ちてあちこちを強打、救急車を呼び病院に搬送されたのですが
レントゲン検査の結果、左の手首と肘、おまけに右足の踵まで
計3箇所の骨折と診断され、翌日の午後に緊急手術を受けるという重症でした。
彼女、もともと痩せている上に細くて脆い骨でしたから
ポッキリと見事に折れてしまったようです。

落胆からか、手術直後は食欲も気力も全く感じられない表情でしたが
ここ数日ようやく明るさを取り戻し、食事も普通に取るようになり
始まったばかりのリハビリにも真摯に取り組むようになりました。
されど3箇所もの骨折ですから、ギプスが外れるまでに3~4週間
その後リハビリ病棟に移り、数ヶ月の入院が続くことになりそうなので
まだまだ先は長いですし、根気と気力がどこまで維持できるか心配になってしまいます。

僕は(その事件の現場に居合わせた身としての)後悔と肩身の狭さもあり
日常生活の維持と毎日仕事場へ行く前の見舞いを欠かしませんけど
どうやら疲労はピークに達しているようです。
正直、疲れました。
SNSもとんとご無沙汰で、開いてゆっくり見ることもほとんどありません。
不審に思われた方々、ご心配お掛けしてすみませんでした。
今夜、ちょっとだけ返信したりコメントしたりしましたけどね。

悪夢・・

あの日のことを思い返すと、不思議な空気が流れていました。
普通なら絶対に(不安定な)椅子に乗ることなどない彼女ですけど
本人も、そして一部始終を見ていた僕も、それが当たり前のことのように
何の危機感も抱かないまま事が進んで行ったのがとても不思議でした。
まるで誰かが書いた筋書きに従うような
事の重大さが一連の流れを目にしただけのように(とても自然な)展開だったのです。

ここからは少々現実離れした話になりますが
それは前々日の16日から始まっていた気がします。

16日の夕方、カミさんから不可思議なメールがありました。
「明日の晩、誰か泊まりに来るって言ってなかった?お布団どうしよう?」
そんな話をしたことも無かったので、よもや痴呆が始まったのか!?
妙な心配をしてすぐにメールを返し、帰宅してから改めて聞いてみると
18日は僕が休日だったので、前の晩に誰かが来ると言ってたような
夢か錯覚だったかも知れないと、その件はひとまず決着しました。

そして18日、旧い友人から突然「遊びに行ってもいい?」とメールがありました。
もしやこの人のことだったのかしらね?とカミさんは笑ってましたが
僕はあまりの偶然に何だか不思議な感覚を抱いたことを覚えています。

やって来たその彼女と駅前の立ち飲み屋で少しだけ飲み
その後、晩ご飯を食べて行ってもらうため家に招き
あれこれ歓談しながらの食事中に冒頭の事件が起きたのです。
どんな経緯かは忘れましたが、お互いの家族の霊感についても話題にしてました。
申し訳ないことに、2年ぶりに会った彼女まで事件に巻き込んでしまったわけですが
事件後の暫くの間、あまりにも有り得ないことの結末について
僕は彼女が何かを呼び込んだのではと思ってしまいました。

ところがそれは大きな間違いだったようです。
後日病院に見舞いに来た末娘の話では
17日か18日の朝、子供を連れて出掛ける折にリビングのドアを閉めると
「おばあちゃんのお化けがお家に入れなくなるから開けといて」と、言ったそうです。

・・おばあちゃんのお化け?

幼児が言ったその言葉、
誰かが泊まりに来ると言ったカミさんの言葉、
それらはもしかすると彼女の突然の死を意味していたのかも知れません。
だとすると、あの日唐突に現れた友人は
(何かを引き連れた)救世主だったということになります。
確かに3本骨折は重傷ですが、幸いにも頭を打つこともなく済んだことで
カミさんはこの世に踏みとどまることが出来たわけですから。

考えすぎでしょうか?
けど、僕もカミさんもことあるごとにそんな話をしながら
(筋書き通りの)死に至ることが無かった結果に安堵しているのです。

真実はどうであれ、
そんな風に楽観的に考えられる僕ら夫婦は
自分で言うのもおこがましいことですが素敵だと思います。

けれど決してポジティブなわけじゃないですよ。
猫と同じで、過去や未来を深く考えられないだけなんでしょう。
それは大雑把なO型特有のものかも知れませんし、
元来僕らは身に降る火の粉も他人事のように思ってしまう大馬鹿者ですから
過ちを犯した恥じらいを忘れるための逃げ道なのかと・・

経済的な困惑と先行きの不安に慄きながらも
どっこい貪欲に生きてる僕らを笑ってください。
病院でも話題になるほど稀な「日常生活での三箇所骨折」のカミさんを
心配そうに思うことなく、ばっかじゃねーの!くらいな目で見てあげてください。
もはや笑うしかありません。

しかしながら、疲れました。
寝不足だというのに、酒も煙草も増えてしまったのは
これがストレスってやつなんでしょうかね?



休日の深夜、八日間のあらすじを書いてみました。
おやすみなさい。

*

2014年8月22日

あしからず。



月曜の夜に大きな事件が起きまして
日常生活がとんでもないことになってしまいました。
そのことから先行きの不安でいっぱいになり
僕の疲労も極限状態に陥って
数日間は言葉を発することも出来ないでいましたが
ようやく少しだけ回復してきた気がします。

ここ最近、音沙汰が無いことを不審に思い
心配される方もいらっしゃったようですから
その点につきましてはお詫び致します。

事の詳細につきましては
今は語らぬ方が良いかと思いますので
いずれ頭の中を整理してから書き記す所存です。

抽象的な内容で大変心苦しいのですが
もう少しだけ時間をください。
暫くはとてもタイトな日々が続きますゆえ。

あしからず。

*

2014年8月16日

怖や怖や。



別に大した代物じゃないんだけれど
つい数日前まで其処にあった物が忽然と姿を消してしまうと
もしや己の記憶が曖昧なのではと思い、冷や汗をかいてしまった。

開け放った窓から吹き込む風に飛ばされたんだろうとは思いつつ
待てよ・・
其処にあったのを何処かへ移動したのか?
其処にあった、というのは思い込みに過ぎず
実は別の場所に置いたことを忘れてしまっているのか?

自分の記憶を疑い始めると
よもやこれが痴呆の始まりなのでは!?
どんどん悪い方へ思考が偏って行く始末。

ああ、何処へ行ってしまったんだ。
深夜に部屋のあちこちを探し回ると・・

あった。
デスクと窓の下の壁の隙間に落ちていたのを見つけた。
たぶん風の強い日にカーテンに煽られて落ちてしまったんだろう。

拾い上げると、言い知れぬ安堵感に満たされた。
「其処にあった」という記憶が間違っていなかったことで
ひとまず痴呆の疑いが晴れたからだ。

・・やれやれ、そんなことまで心配する歳になってしまったのかい。
あまりに現実的で怖いね。
怖や怖や。


一昨日、軽く飲みに出掛けた東白楽のB.C.B.G.
現在改装途上でライブ・スペースを充実させる模様。
諸事情から反町No Borderを閉めてしまったので
これからは此処で歌う機会が多くなるのかも。

まずは毎年恒例の「己を祝う会」
今年はこのB.C.B.G.で催します。
リアルタイムに10月8日の水曜日、20時頃から。
詳細は追ってお知らせしますんで覚えておいてくださいな。
場所は東横線の東白楽駅下車、徒歩3分ほど。
フードも充実!

ケツは完治、酒も問題なし。
たまには歌わねえとな。

怖や怖や。

http://www.geocities.jp/noborderyokohama/bcbg/index.html

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