2012年1月31日

明日はお休みします

明日、女房と娘、ポンタと一緒にお見送りをして参ります。
藤が丘から環状4号に出て海軍道路を抜け
瀬谷の阿久和に古くからある「よこはま動物葬儀センター」という所です。
横浜に移り住んで以来、我が家の犬と猫は全てここで見送ってきました。
人間と同じように丁寧に焼かれ、お骨あげをしてから骨壷に収めてくれます。
近くには納骨堂もあるのですが、我が家は毎回家に持ち帰ることにしていますから
のんたんの遺骨は、娘の家か仲間たちの居る我が家に置かれることになるでしょう。

ここでの葬儀はもう7、8回目になりますが
季節に関わらず毎回とても良い天気に恵まれます。
空が綺麗な穏やかな日に、皆旅立って行きました。
どうやら明日も、そんな日になりそうです。

そんなわけで、明日の仕事はお休みします。
私の職場、ふだんは融通の利かないことが多すぎるのですが
「ペットの葬儀に参列のため」という理由でも休みを取らせてくれるのは有り難いことです。



2012年1月30日

ありがとう、のんたん


午後にレンタルの酸素濃縮機が届き、
ビニールカバーで覆われた介護ケージに入れてあげたんですが
つい先ほど、今夜から泊り込んでいる女房から電話がありました。
さほど苦しむこともなく、娘の腕に抱かれたまま息を引き取ったそうです。

母子共に危険な状態になるほどの難産となったポンタの出産、
その後の健やかな成長と飼い主である娘の体の回復、
そして昨日のお宮参りを迎えるまでに至った平穏な日々を見届けて
彼女は自分の役割を全うして天に召されたのでしょう。
一昨年に他界したボーダーコリー犬のフェアリーとは一番の仲良しだったので
密かに娘のその後のことを託されていたのかも知れません。
今ごろは天国でフェアリーと再会していることでしょう。

賢く、物静かで、美人だった彼女。
家に侵入した昆虫や害虫を誰よりも早く見つけ
そして誰よりも俊敏に一撃で捕らえることが出来たほどに
我が家では一番「猫らしい」本能を持った子でした。

娘宅に女房を送り届け、注文していた薬を病院へ受け取りに行き
帰りしな、なんとなくこれが最後になるような気がして声を掛けた時
「行っちゃうの?わたし今夜あたりお迎えが来そうよ」
虚ろな目で、そう言っていたような気もします。

のんたん、享年6歳。
早すぎる死ではありましたが、
その限られた一生の中で十分すぎるほどの役割を果たしてくれました。
共に暮らした家族全員が感謝しています。

・・ありがとう、のんたん。



2012年1月29日

二つの儀式


快晴の空なれど強い北風が吹いた本日、
ポンタのお宮参り、滞りなく終えることができました。
場所は柿生の琴平神社、娘が住む藤が丘からは車で15分ほどの場所です。
巨大な鳥居がそびえ立つその神社は、田園風景が広がる麻生区に在り
日曜の今日はお宮参りや厄除けの参拝客で賑わっておりました。
境内の看板に目をやると・・

気付いてませんでしたが、私・・今年は本厄らしいです。
想定外で驚いちゃいました。
この歳になっても、まだ厄年ってあるんですねぇ。
もういいじゃないか、てぇ気がするんですが(笑)
女房が慌てて御守を買ってくれました。

今さらなので、むろん気休めにすぎませんが
厄除御守、年内は肌身離さず持ち歩くように致します。



ちょっと気になったので帰宅してから改めて調べてみると、
数え年で男性が25歳・42歳・61歳、女性が19歳・33歳・37歳・61歳が厄年だそうです。
迷信だとは言われながらも、医学的にも体の変調が起こりやすい時期であり、
社会的にも大きく環境が変わる時期と重なっているようでして
何となくではありますが、振り返ってみると確かに当たっているような気もしてきます。
けれど今年が最後、来年の後厄を過ぎれば全てが終わるのですから
良からぬ事が起きぬよう体調管理に務めることにしましょう。


ポンタ、皆から祝福されるお前は幸せ者だぞ。
なあんて言ってみたところで、本人に分かるわけがありません。
大きくなってからこの日の写真を見て、それを感じてもらえればいいでしょう。
生まれて初めての長い時間の外出でしたが、終日すやすやと眠っておりました。
私の孫たちは三人共11月の生まれなもので、寒いこの時期がお宮参りとなってしまいます。
次は暖かな時期に頼みますよー!



皆で食事をした後、夕方近くになってから病院へ向かいました。
のんたんの一時帰宅です。
首を動かしたり、目を開いたり、昨日よりは(少しだけ)回復したようにも見えましたが
娘の家に戻ってから少しだけ水を飲んだだけで、やはり何も食べようとはしません。
トボトボと徘徊老人のように歩き、やがて部屋の隅に蹲ったまま微動だにしない状態には
ある程度の予想はしていたものの、落胆が大きすぎます。
それどころか、しばらくすると台所までふらふらと歩いて行って
上の方をちょっと見上げた瞬間にキッチンカウンターを目掛けて飛び上がり
(いったい、どこにそんな力が残っていたんでしょう)
足を踏み外しそうになりながらも必死で飛び乗った後、空のシンクの中に蹲ってしまったのです。
これはマズイ、我が家の疾患を抱えた先代の猫たちの末期もこうでした。
内臓を患うと、その熱を冷ますため冷えたステンレスに腹や胸を押し当てるんですが
経験上、それは終焉が近付いている猫の最後の行動なのです。

ここ数日・・かな。
その姿を目にして、そう思わざるを得ませんでした。
子育てと看病の両方は大変なので、明日から再び女房が娘の家に泊まり込むことになりました。
最期を自宅で看取ってあげる、これもまた飼い猫に対する我が家の伝統です。
今までにそうして何匹を見送ったことでしょう。
家族に見守られ、最期に「ニャア」とひと鳴きしてから静かに息を引き取る。
これは或る意味、我が家の儀式でもあるのです。

今夜の娘宅、
のんたんが居るリビングに布団を敷いて
家族全員が同じ部屋で寝るそうです。
そんな話を聞くと、なんだか嬉しくなってしまいました。



2012年1月28日

役割、なのでしょうか


明日はポンタのお宮参りなんです。
イイニク(11月29日)に生まれたので、イイニクもどきの(1月29日)にしました。

年末、娘の家でカレンダーを見ながらこの日に決めたんですが
のんたん(病気の猫です)は、皆のその会話を耳にして
そうか、それが終わるまでは逝けないな。と、思ったのかも知れません。

病院のケージの隅っこに蹲ったまま
半目を開いて身動きひとつしない彼女に会ってきました。
ここ数日は食事も全くしてないので、体力が残ってないんでしょう。
先生の話では、肺の炎症が治まったので酸素吸入を朝から止めてるそうでしたが
心臓の中にできた大きな腫瘍は手の施しようが無く
いつ危篤状態に陥っても不思議ではないほどに予断を許さない状態のようです。

それでも一時帰宅はできるそうなので、明日のお宮参りが終わった後に迎えに行きます。
レンタルの酸素吸入機が付属したケージを業者に依頼したり
いくつかの準備が残ってはいますが、明日から娘の家で様子を見ることにしました。
問題は投薬と食事。うつ伏せのまま抱っこをすることもできない状態なので
薬は水に溶いてスポイトで飲ませなければなりませんし、
衰弱して食欲も無いので餌を全く口にしてくれないかも知れません。
恐々先生に尋ねてみると、食事が出来なければ2週間ほどで衰弱死してしまうそうです。
食べられる物なら、ふだん口にしないような物であろうと、何を与えてもいいと言われました。
生きている者は、生きるために食べなきゃ、なのです。
病院に見舞った帰り道、娘は明日に備えて何種類も餌を買いました。
練り物やスープ仕立ての物など様々、どれかひとつでも食べてくれれば良いのですがね。

夜になってからの発症だったので、娘宅の近くに救急治療の出来る病院がないか
ネットで検索してたまたま見つけた今回の病院、中田動物病院というのですが
設備もスタッフもとても充実した所なので驚いてしまいました。
元々は獣医さんだったらしく、今でも馬の治療をしているそうです。
ちなみに今回の主治医は副院長の古守先生、信頼できそうな方でした。
中田動物病院 http://www.nac-c.co.jp/top2.htm




病院の行き帰りも、病院の中でも、買い物の最中も
娘の抱っこ紐の中でポンタはすやすやと眠ったままでした。
のんたんの役割は、この平穏な暮らしを守るためのものだったんでしょうか。
もしも家族に降りかかる災いを肩代わりしてくれたのだとしたら
感謝の言葉もありません。



2012年1月27日

病魔


猫は自分の病気を隠すと言われています。
外敵から身を守る野生の本能らしいのですが
飼い主がそれに気付く頃には、
もう手遅れなほど病気が進行していることが多いようです。

我が家で6年近く暮らしていたこの子、
飼い主である娘の家に引っ越して数ヶ月が過ぎました。
孫の顔を見に行った折に何度か顔を合わせていましたが
さしたる変わったことも無いように見えました。
けれど、病魔が巣くっていたのです。

人間で言うなら喘息のような症状が現れて、緊急入院したのが一昨日の夜。
今日娘が改めて診察結果を聞きに行ったところ
なんと末期の心筋症で、おまけに心臓の中には腫瘍まで有ることが分かったそうです。
とても神経質な子だったので、病院という環境に馴染めず
餌をほとんど食べないせいか、げっそりと痩せ細っていたと娘から知らされました。
果たしてあとどれくらいの時間生きられるのか、
明日一緒に病院へ行き、先生と今後のことを話し合わなければなりません。

急なことで本当に驚いています。
そして悲しい。
家族、でしたから。
一番俊敏で賢い子でしたから。

一緒に暮らしているんだから、隠すことなんてないのにね。
言葉が分かれば、もっと早く治療もできただろうにね。
体温が低くて足先がいつも冷たかったのは
心臓に欠陥があったからなんだと、今さら気付くお粗末さ。
皮膚が弱くて、引っ掻いて出血することがよくあったのに
娘の家に越してからはそれも治まり綺麗な顔になったというのにね。
異常に気付けなかったことが悔やまれます。

明日、病院で対面するのが怖いです。
本心を言うなら・・

顔を合わせるのが辛い。



2012年1月26日

パソコン凍る

twitterで、友人のハードディスクが動かなくなって困っているのを見かけ
家もそろそろ気をつけなきゃなあ・・と思っていた矢先、
夜になってパソコンの電源を入れてみると、なんと起動しませんでした(汗)
Windowsは立ち上がり「ようこそ」画面にはなるのですが、
その後しばらくすると真っ黒になり先に進みません。
Ctri+Alt+Deleteでは何故かこんな画面が現れました。


昨日まではなんともなかったというのに・・
ユーザー切り替えをしてログインするとようやく動き始めましたが、
アンチウイルスの一部が機能しなくなっていました(危険!)
おまけにCPUは常時100%近くの稼動を続けているし
メモリーを含め何もかもがメーターを振り切っているような状態です。
いったいどうなってしまったんでしょう?

ひとつ分かりました。
安全のために急遽Windows DefenderをONにしたのでスキャンしていたようです。
今それが終わってCPUは50%程度に落ち着いています。

と思ったら、またしても100%のフル稼働状態に。
作業は出来ていますがメーターを見る限りではフリーズ状態かと(汗)
いったい中で何をやってるんでしょう?

この不安定な動作は厳しい寒波のせいなのでしょうか。
10年ほど前、この家に越して来た年の冬
旧いMacが他界したことを思い出してしまいました。
あのときも今年と同じように、寒い寒い冬でした。

データやファイルのバックアップしておかなきゃ・・



2012年1月25日

・・歳をとったからなのでしょうか?


珍しいことに、今夜は長女が機嫌良く帰って来ました。
お給料日だったからでしょうか。
ホクホクした顔でDSのクリアファイルを数枚譲ってくれたので
大切に使わせて頂きます。これは重宝しますから。




facebookは己が丸裸になってしまうから嫌だと言う人が居ます。
確かに、ちょっと前までの私もその理由から敬遠してました。
けれど最近になってから思ったんです。
隠さなければならないような正体が、果たして自分にあるのだろうか?と。
あれも自分、これも自分、仮の姿が幾つあったとしても
突き詰めると全てが合わさっての私なんですから
実像の少しくらいがNET上に露見したからといって困ることもないのです。
むしろ今は「俺、ここで元気にしてるよ」と、あからさまに公開しているようなもので
英語表記の実名が表示されることも嫌ではなくなりました。

それは個人的に、受け入れられるかどうかという問題ですが
私がそうであるように、この国のNET事情も大きく変わろうとしているように思えます。
facebookのユーザーが増えているのも、その表れでしょう。
今まで閉ざしてきた物を、大勢の人が解き放とうとしているのです。
名を名乗り、堂々と言葉にする。これはとても素敵なことだと思えるのです。
ただしそれぞれに考え方は違いますから、好き嫌いが明確に分かれるでしょうけどね。

私には
隠す(べき)ものは何もありません。

・・歳をとったからなのでしょうか?