2014年4月30日

Jumpin' Jack Flash




急な突風と土砂降りの雨、
何やら外がざわざわしています。

こんな夜は
大音量でJumpin' Jack Flashを掛け
腰をくねらせてみたいもんですが
どうにも気持ちが落ち着きません。
胸の中までざわざわしています。

情緒不安定になる前に
寝てしまいましょう。

歯のない髭のある婆に育てられ
鞭で打たれしつけられた

そんな夢を見なきゃいいんですけどね。

僕は
稲妻野郎じゃありませんから。

*

2014年4月29日

90分1本勝負


およそ半年ぶりのスタジオ入り。
6~7分の力加減で軽~く流してみましたけど
90分1本勝負、疲れた&指イタイ(笑)

スタジオライブの様相を呈した内容なれど
客もスタッフも誰一人として居ない伽藍とした空間で歌う様は
もしも誰かが観てたなら、たぶん滑稽に思われたことでしょう。

アイドリングが済んだ頃、
何やらいい感じの歌が出来そうなフレーズが浮かんだのですが
録音機材が無かったもので、そのまま部屋に捨て置いてきました。
あとで考えてみたら・・
iPhoneがあったじゃないか!!

ブランクというのは、得てしてこんなものです。
当たり前にこなしていたことまで忘れてしまうのでして
出掛ける前の支度でも、危うく忘れ物をするところでした。

で、喉を含めた本日の自己採点
贔屓目に見て65点といったところでしょうか。
初日としてはまずまずですが
屁に例えたなら僕の歌、
今日のところは無臭でありました。
だめですね、強烈な臭いを放たなくては。


そうそう、5月のライブに
アコーディオン・プレーヤーの池内光子さんをお招きしました。
童謡、昭和歌謡から果てはロック、クラシックまで
幅広いレパートリーをお持ちのお姉さまであります。
皆さま、お楽しみに。

「おひまなら来てよネ」
5月15日 反町NO BORDER
19:00 OPEN  20:00 START 投げ銭
出演:かずら元年、池内光子

NO BORDER 横浜市神奈川区松本町4-28-2 Rotunda1F TEL 045-314-8985
http://www.geocities.jp/noborderyokohama/top.html

*

2014年4月28日

通俗を馬鹿にしちゃダメよ



ちょっとだけ懐かしい写真。
後にバンドを従えて、イケイケの頃だったかしら(笑)
怖いものなんて何も無いようなワルイ顔してるけど
確実に今よりは若々しい気がする。
8年・・くらい前の姿かな。

そう、歳を重ねて行くうちに
人はどんどん丸くなってしまうものさ。
鬼が仏に変貌するような
そんな大掛かりな変身もよくあること。

けれど内面はさほど変わらない。
敵を作りたくないから外面(ソトヅラ)が良くなるだけのことであって
その我慢がストレスとなり、或る日突然老人は爆発するのだ。

やだやだ、そうはなりたくない。
ジジイやババアの噴火は駄々をこねる子供みたいで
鬱憤晴らしのキレた姿は見てられないほど醜いものだ。

そんな我慢をせずに
間違っている事には、真っ当に怒らなきゃ駄目だ。
ちゃんと叱ることのできない親や大人が多すぎる。

もっとも、その正当性ってやつが
情報過多の今の時代はブレすぎてて見出せない現実もある。
テレビやネットが垂れ流す膨大な情報の中から
真実を見つけ出すのは容易ではない。
ましてや「大多数」の世間に対して逆説的な物言いをすることは
孤立という恐怖心と偏見の目を生み出してしまう。

とても難しいことではあるけれど
要はそのバランス感覚なんだろうな。
やたら態度がデカくて横柄か、
馬鹿っ丁寧なくらい物腰が低いか、
はたまた理路整然としすぎていて人間性が乏しいか、
そんな極端に偏った輩でこの世は溢れかえってる。
もっと「普通」になれないものなのか?
通俗の「俗」の部分が無くなってしまった現代の恐怖を感じてしまう。

ある人が「謝ることを知らない、出来ない年配の人が多い」と嘆いていたが
これも通俗性の欠如を言い表しているのだと思う。
フォーマルを優先するばかりにノーマルを見失ったというお粗末。
世の大人たちよ、道徳の授業を思い出して己の足元を見つめなおせ!

ま、これは自分に対する叱咤でもあるわけだが
少なくとも、ちゃんとした日本語くらいは使いこなそうと思う。
驚くなかれ、日頃お客からの電話を受ける仕事に携わっていると
若者以上に年配者を含む大人の言葉使いがなってないのだ。
これじゃ子供に悪影響を与えるばかりで
この国が今より更にとんでもないことになってしまうではないか。
ジジイとババアは特に心してこの先を生きよ!

と、春先に体内からの分泌物が多くなる僕は
今夜も盛大に毒を吐くのであった。
毒と薬、このどちらも世の中には絶対に必要なのである。

明日は休日。
ぶらっと飲みに出掛けようかとも思ったのだが
半年のブランクに怖気付いたのか
急遽スタジオを予約して、一人練に励むことになりましたとさ。

なにぶん、今はイケイケではないもので・・

*

2014年4月27日

周期


昨日のBlog、
あたかも今回はGodinを携えてのライブなのだと勘違いされそうですね。


いえいえ、左側のチープなEpiphoneです。
胴が薄くてミディアムサイズ、近頃はJ-45よりも気に入ってます。

年齢的な体力の低下が否めない今日この頃、
ドレッドノートやジャンボサイズだと疲れてしまうのも理由のひとつですが
このスケール感が今の自分にちょうどいい気がしています。
車に例えるなら1000CCクラス、てところ。
燃費と実用性を兼ね備えた、程好い馬力感みたいなね。

ちなみに後に写っているのが、Godin 5th Avenueのナチュラル。
昨日ご紹介したコニャック・バーストほどの風格はありませんが
大阪へ嫁いで行ったEpiphone CASINOの後釜的存在です。
これ、アコギか!?と思うくらい生音デカイんですよ。
静まり返った深夜に鳴らすと、結構やかましいかも(笑)



三日ほど前から続く
左側の首・肩・背中・腰、そして足の爪先まで至る謎の鈍痛。
湿布薬だけでは痛みが治まらず、仕事場でロキソニンまで服用してしまいました。
帰宅してシャワーを浴びると少しだけ楽になりましたけど
きっと今は体内からいろんなものが噴き出す時期なんだろうなと実感してます。
この後は良い周期に向う筈、毒を出し切ってしまえば楽になるのです。
僕の体内、血と肉だけじゃありません。
毒と膿もぎーっしり詰まってますからね!

その排泄の周期に逆らわぬよう生きていれば
自ずと上向いて行くものなんだと思うのです。

そ、上がったり下がったりしながらね。

*

2014年4月26日

おひまなら来てよネ



Godinの5th Avenue、
僕のはナチュラルでPUが付いたタイプなんですが
本当はこのコニャック・バーストっていうカラーが欲しかったんです。
渋くていい色合いでしょ。

これのPU付きを取り寄せてもらおうかと思い、
某ショップに声を掛けてみると結構な値段だったので一度は諦めたんですが
偶然その夜ネットで中古のナチュラルを見つけ(しかも格安!)手に入れた次第です。

まだ現場では使ったことがないんですけどね。
いずれそのうち。

ふと、歌いたくなって
急遽ライブを一本決めてしまいました。
昨年の10月以来、半年ぶりなので
あまり先の日程にしてしまうと緊張感が高まりすぎますから
サクッと直近でお店の予定が空いてる日を選びました。
これから2週間かけて勘を取り戻さなければなりませんが、
ワクワク感と一抹の不安が入り乱れた不思議な感覚です。

5月15日(木)反町NO BORDERにて。
詳細未定ですけど、おひまなら来てよネ。



*

2014年4月25日

ゲロ



若い方なら
お洒落にネット・サーフィンなどと仰るのでしょうけど
あたしみたいな歳になってしまうと
もはや徘徊以外の何物でもありませんわな。

コメント、と表されれば聞こえは良いですが
酔った勢いで、あちこちさ迷いながら
道々にゲロを吐いて行くようなものであります。

汚いですねえ~嫌ですねえ~

昨晩から未明にかけて
FBのあちこちで毒を吐いて回りました。
書いてることは(たぶん)本心からなんでしょうけど
もしも不快に思われた方がいらっしゃったなら
・・堪忍ね。

そう、陽が昇り始める頃まで起きていた僕は
またしても朝の野郎に見つかってしまいました。
きっとカラスが告げ口したに違いありません。


カーテンを開けてから布団に入ったので
眩しくて案外と早く目覚めました。
壁の前には、いつものように
笑みを浮かべた女神が立っておりました。

階下へ降りて窓の外を見てみると
洗濯物が心地好さげに風に揺れていましたが
僕の体は地球の重力に耐えるのがやっとなくらいでした。

猫におはようの挨拶をして珈琲を飲んでから
そそくさと楽器を車に積み込んで
昨日の予定通り横浜へと向ったのですが
いやあ~気持ち良かったです。
窓を全開にして走るこの季節、いいですねぇ。

楽器の方は皮算用よりちょいといい値で取引できました。
〆て諭吉2.75枚、まずまずの結果です。

季節、といえば
僕は名前の通り植物系のようであり
春先から夏にかけて、異常なくらい爪と髪の毛が伸びるのでして
冬場と比べると雑草の如く凄い勢いで伸びて行くのです。

それが厄介。
爪を切るのも面倒で仕方ありません。
なにせ手と足を合わせると20本もあるんですからね。
結構な重労働が短いスパンでやって来るのは困り者です。
動物系の名前にしときゃよかったわ。
と、後悔の念。

今、傍らのJBLはジョン・セバスチャンを奏でているのですが
密林を探検に行ってみると・・


この4枚のアルバムがセットで¥2424だそうな。
しかも輸入盤3枚以上お買い上げで10%引きの特典付き、こりゃあ得だわ。

先日の誤配事件のお詫びで平身低頭だったJPさんに気が引けて
暫くの間注文は控えておこうと思っていたんですけど
少々の金が懐に入ったからには、心を鬼にしてポチるしかありませんな。

あ、この写真、Epiphoneだ!
なんだか嬉しくなってしまいました。

さてと、
今夜は徘徊せぬよう気を引き締めて飲むとしましょう。

そうそう、
入院前の5月後半にでも、一本ライブをやりたくなりました。
某マス、ブッキングお願いできますか?

*

2014年4月24日

Donna Donna


長らく使っていなかった古い物や
或いはこれから先も使うことがなかろう物たちを
今回の引越しを機会にずいぶん処分しました。
けれどもまだ数本手放さなければ
僕の部屋の楽器置き場に収めきれません。

現在のスペースはケース8本分、
ここからあぶれた物たちは
悲しいかな売りに出されてしまうのです。
ドナドナ・・ですな。



諭吉一枚シリーズで買い手を募ったものの
最後に残ってしまったこの2本、
明日某ショップへ持ち込み、委託販売をお願いしてきます。
たぶん諭吉二枚か二枚半にはなることでしょう。


ヘッドウエイのTF-1000C
ボディはオールマホガニーでSHADOWのピエゾが付いています。
低域が太く、2006年頃のライブではよく使ってました。
先ほど手入れをしていて大いに悩んだのですが
こんな洒落た装いのもんは、僕には似合わんだろうということで。


そしてもう1本はスタッフォードのSLG-360E、
アクティブのピエゾが付いたGibsonのコピーモデルです。
期せずしてどちらも黒(笑)
これもまたJ-50やJ-45を入手するまでの間、
ライブの相棒として活躍していた時期があるのですが
前述のヘッドウエイ同様、爺には似合わんという結論に。

ただし、こやつらは(首の皮一枚で)残ることになりました。


SLG-360EのナチュラルとEko Ranger Vintage、
この灰汁の強い顔ぶれは手強いです。
己を主張して一歩も引かないですからね。
360Eナチュラルは2005年の復活祭の相棒、
Ekoはリイシューながら亡くなった哲ちゃんの形見のようなもんです。
どちらも強烈な個性を放ってますから
如何にバッタもんとは言え、この家に住みついて頂くことにしました。

さあて、ブラック2種!
明日には無くなってしまいますからね!
この期に及んで(もしも)譲って欲しいという方が居ましたら
「花子とアン」の再放送が終わる時刻までに連絡ください!!

*

2014年4月23日



そういえば
失踪?したマレーシア航空のMH370便、
その後の捜索は何か進展があったのでしょうか。
同国のナジブ首相は先月末の時点で
「同機はインド洋南部で飛行を終えた」と声明を発表したそうですが
諸説が飛び交うミステリー、消えた機体は何処へ行ってしまったのでしょう。

韓国の客船「セウォル号」の沈没事故も不可解です。
過積載と積荷のバランスが崩れたことが大きな要因ではありますが
その直前の急な進路変更はなんだったのか。
浮上して来た潜水艦との接触も囁かれていますけど
事の真相は未だに謎のままなのです。

空と海の違いはありますが
ふたつの事故はどこかで繋がっている気がしてなりません。

もしや・・



*

2014年4月22日

ホルモン



小顔で美人なんだけど
お腹たぷたぷしてます。

人間にも居ますよね、
こんな人。

うちの猫も
まさにそれ。

けど可愛いから
醜い部分は気になりません。

人間にもありますよね、
そんなこと。

愛は盲目
アバタも笑窪

言い得て妙であります。

たぶん、
好きだという己の感情を否定しかねない
そんな駄目なところを目にしないように
脳がコントロールしているのでしょう。
仮に見てしまったとしても
イメージが優先して瞬時に修正しているのかも知れません。

脳の働きは複雑ですけど
心が支配していることは間違いありません。
幸せホルモンと呼ばれるオキシトシン、
これが脳内で分泌されると
愛情や絆が深まるのだと言われています。

しかもこれ、
歳を取っても分泌されるんですってね。

はい、
枯れないよう心掛けます。

*

2014年4月21日

Ramblin' Boy



実はこの家に越してから
まともにギターを弾いたことがなかったのです。
だって、あまりにも静か過ぎる環境なので
ちょっとどころか、かなり躊躇っていたのですよ。

けれど、春になると虫が騒ぐ。
そろそろ二ヶ月になることだし
徐々に周辺住民を慣れさせて行くべき時なのでは・・

おもむろにGodinを取り出し、
ネック調整その他のメンテを施して
少~しばかり歌ってみましたわ。

きゃあ、新鮮!
のっけから134号線も水曜日も
オリジナルとは違う刻みで始まりました。
自分の曲でも暫く間を置くと
まったく異なる解釈が湧き上がって来るものなんです。
これが実に楽しくさせてくれる。
嬉しいですね~

嬉しいと言えば、
遥か東京の外れから(ほぼ埼玉だわな)
電車に2時間も揺られてやって来た者がおりました。

以前から駅前の焼き鳥屋で飲む約束をしていた者二名、
時刻通りに我が町まで辿り着き
楽しき時間を過ごすことができました。


ガンダーラへ向う途中の
三蔵法師さまと警護の悟空です。
沙悟浄と猪八戒はお家で留守番してるようですが、
果たしてこやつの警護で大丈夫なのでしょうか。

終電までちょいと時間があったので
店を出てから我が家へ寄ってもらい
有り合せのおかずで晩ご飯を食べて頂き
(ついでに)慌しく2階へ上がり、1曲だけセッション。
いやあキミら、遠路遥々ご苦労さんでした。

これから先、良い旅を!



*

2014年4月20日

道化師



この古い写真を見た或る方が
50年代初頭に車のある裕福な家庭で育ったお坊ちゃまなのだと
僕の生い立ちを勘違いしてしまったそうな。
いやいや、しがない公務員だった親父が車など持てる筈もなく
これは知人の物であり、その前でお握りを手にした僕が写っているだけなのだ。
お気に入りの写真なので、WEBで公開してしまったが
まさかそんな風に解釈されていたとは露知らず・・(笑)


幼い頃の僕は、いつも笑っていたらしい。
おまけに、やかましいほどにはしゃぐので
神妙な席には連れて行ってもらえなかったそうだ。
そう言えば、一番上の姉の結婚式のときも家に残され
一緒に留守番をしていた婆さんと猫のお産で右往左往した記憶がある。
あのときは5匹生まれた。それを目を丸くしながら見ていた。
もちろん大はしゃぎで。


複雑で、様々な問題を抱えた陰湿な家庭だったせいだろうか。
僕はその重苦しさを払拭しようとしていたのかも知れない。
陽気に振舞えば皆が笑う、そんな単純なことではないだろうに
僕は何処へ行っても道化師の如く明るく努めていたようだ。

けれどやがて思春期を迎えた頃、
僕は家ではまったく笑わなくなった。
すぐ上の姉が家を出て以来、あの息が詰まりそうな場所に
親父とお袋と僕の三人だけが暮らしていたのだから。

実は当時の田舎のことを思い出すと
今でも心が塞がれるような暗さを感じてしまう。
それは途轍もなく重く圧し掛かって来るようで
ときには頭が痛くなるほどだ。

昨晩ご紹介した自叙伝なるもの。
これが何故中途半端にずっと未完のままでいるのか
どうやらそのわけは、これが原因のようである。
思い出そうとすると鬱になってしまうのだ。

道化師でいられた時期はとても短い。
無邪気な子供でいられた時間もあまりに短い。
憂鬱な時を過ごした思い出は
消えろ!消えろー!と、
脳味噌に訴えかけているのだろう。

その鬩ぎ合い(せめぎあい)が
肉体と魂を疲弊させ、心を閉ざしてしまうような
そんな因果関係がきっとある。

ここ数日、僕はとても疲れてしまった。
明日の夜に友人と飲み交わす酒が
何よりの癒しになりそうだ。

僕は、現在(いま)の事しか語りたくない。
道化師は今日を生きているのだ。

*

2014年4月19日

生い立ち



一昨日、同郷の方々と飲んでいたせいでしょうか。
田舎のこと、遠い昔のこと、
あれこれ思い浮かべてしまうようになってしまいました。

記憶が曖昧な時期もあったので
10年ほど前に書き記した文献?を読み直してみましたが
若い時分、特に十代の頃は何事にも攻撃的だったようです。

恥ずかしながら、書き始めたときは自叙伝のつもりでした。
自分の寿命は50歳なんだと、小さい頃から何故か確信していた節があり
その歳が近付いた或る日、一気に書き綴った記憶があります(笑)

けれどこれは完結してません。
と言うよりほんの序章、その後の事が一切書かれてないのです。
果たして幾つまで生きられるのかわかりませんが
死ぬまでにはその続きとやらを書いてみたいものです。

当Blogのサイドバーにも当初からリンクを貼ってありましたけど
お時間のある日にでもご覧になってください。

kazura in his own write

拙い文章で恐縮ですが、
こんな風景が残っていた時代を生きた家族と
その息苦しい家庭の中で屈折して行った自分を描いたつもりです。


この写真、親父が珍しく上機嫌でポーズを決めているところを見ると
新築した我が家をバックに、誇らしげに息巻いていた頃だと思います。
幼い僕は嬉しそうに親父のポーズを真似てます。

今思えば、家族の皆が一番幸せな時期だったような気がします。
この頃を境に、親父もまた苦悩の挙句に屈折して行き
会話が無いまま僕と彼の溝は深まったのかも知れません。

膝を交えて語らうことが、一度も無いまま逝ってしまった親父ですから
今さら確かめる術は無いのです。

*

2014年4月18日

筍と松島病院と東白楽と



昨日の朝、旧宅の大家さんから電話があり
ようやく筍が採れたんで取りにいらっしゃいとのこと。
早速車を走らせ南本宿まで行って来ました。
初筍!嬉しいじゃありませんか。

なんでも昨年に続き今年も不作なんだとか。
前の年の雨が少ないと出来が悪いそうですが、
ここ数日の乾燥も災いしているようで
例年の今頃なら庭のあちこちからニョキニョキと顔を出すのに
この春の収穫は寂しい限りです。

この旬の筍、もしかすると今年が最後になるかも知れないことを思うと
それもまた寂しい限りなのであります。
南本宿の思い出を噛み締めるように、じっくりと味わいながら頂くことにしましょう。

大家さんと暫し庭で談笑した後、
筍を車に積んだまま松島病院へと向いました。
もはや年貢の納め時、医者の言う通り手術を受けることにしたので
その入院予約をするためだけに赴いた次第。
6月2日から入院、手術は翌3日に決まりました。
入院期間は約10日、退院後数日間は自宅療養となるため
月の半分は屋内に篭り、酒も断たねばなりませぬ。
とほほほ。。

家に筍を降ろした後、駅へと向かい電車で半年ぶりの東白楽へ。
馴染みの店をお借りして、某新聞社の取材を受けて参りました。
ひょんなことから僕の田舎の地方紙の
東京支社の方から取材申込みがあり、僕で良ければとお受けしたのですが
あれは本当に取材だったのでしょうか。
夕方の6時から終電の時間まで(皆で)ずーっと飲んでいたんですから(笑)
いったいどんな記事になることやら・・
少々不安になりますが、事の顛末はいずれまた。

そして今夜の食卓は・・


とりあえず「筍二選」
僕の好きな煮物は只今大鍋で灰汁抜き中。
明日はそれも食卓に並ぶ予定です。

春爛漫!

*

2014年4月17日

終電



ジョン・レノンの誕生日よりも一日早く生まれてしまった僕は
彼が愛用した眼鏡を掛けて久しぶりに東白楽まで出掛けた。
以前のような街の活気が、感じられなかったのは気のせいだろうか。
たぶん気のせい、だよね。

馴染みの店の若女将は、飲み過ぎて声が出ないと言っていた。
僕らオッサンとジイサンだけが、勝手に盛り上がっていたのが申し訳ない気分。

あー、でもよく飲んだ。
終電に乗ってから寝てしまい、
最寄り駅で目が覚めたのは奇跡的。

ホームで長女と出くわした。
駅前のコンビニでアイスクリームを買ってあげたら
少しだけ喜んでくれたみたい。
ほんの少し、だけどね。

家族ってえもんは
それくらいの関係がちょうど良いのだと思う。
べたべたしすぎるのは気色悪い。

*

2014年4月16日

O SORE MIO



先日、ジェシと一緒に注文したジョー・ママを聴いております。
新・名盤探検隊シリーズのCD、70年のファースト・アルバムです。
44年前の音源とは言え、決して古めかしさはありません。
今聴いても、とても新鮮に感じます。
この時代のダニー・コーチマーは脂が乗ってますし、
リズム隊も紅一点のアビゲイル・ヘイネスのパワフルなボーカルも
どれをとっても「出来すぎ」の感があるくらい素晴らしいアルバムだと思います。
リリースがアトランティックというところも僕にはツボ。
このレーベルは傘下のアトコ・レコードなどと共に
70年代の音楽を牽引したと言っても過言ではないほど数々の名盤を世に送り出し
僕の好きなアルバムやアーティストがそこに集中しているからでもあります。
こうして聴いていると、サウンドもレコーディング・テクニックも
70年代初頭に完成されていたという僕の持論を再認識できます。
もちろん、そこへ至るまでの50年代や60年代があってこそですけどね。

ちなみに・・
昔持っていたアナログ盤よりもやたら音がいいなあと思ったら
リマスターされてたんですね。
それでもいずれ米国プレスのアナログ盤を再び手に入れたいものです。
このジャケットは何と言っても30Cm角がいい!

*

2014年4月15日

おやまあ。




知らなかった。

爺さんたち、
こんなのに乗って
やって来たのね。

Aeronexus Corporation
Boeing 767-200

南アフリカのビジネスジェットオペレーター
だそうです。

*

2014年4月14日

Yummy



15歳という設定、どう見ても無理があります。
名子役、チビはなちゃんの大ファンであった僕ですから
わずか5年でこんなに大人になってしまったことには
なおのこと不満が残る第三週なのでありました。

それはさておき、
今回も登場した「ヤミー」なる単語。
前作ごちそうさんでも米軍将校が使っていましたが
英語に疎い僕はてっきりスラングだと思っていたのです。
ところが女学院の生徒さんが普通に使っていたものですから
早速調べてみると・・

「Yummy」主に子供が使うようですけど
大人も日常的に使っているそうですね。
上品に言う「おいしゅうございます」的な「Delicious」に対し
おいしいー、うめえー、的な「Yummy」
そんな違いだそうです。

またひとつ学習しました。
初めて行った店で旨いものを口にしたとき
すかさず「ヤミー!」と言ってみることにします。

立ち飲み屋で焼酎を飲みながら焼き鳥を頬張り
にこっと笑って「ヤミー」と呟く変な爺を見掛けたなら
たぶんそれは僕なのであります。

*

2014年4月13日

さらば、南本宿!



旧宅を離れ、すでにひと月半が経過したというのに
ピアノの搬出やら室内の清掃やら、
ちまちまと休日の度に少しずつやっていたものですから
未だに鍵をお返しすることができないでいました。
如何に大家さんのご好意とは言え、お恥ずかしい限りです。

ですが本日、ようやくその作業を全て終え
11年に及ぶ思い出深い家を明け渡して参りました。
これで名実共に南本宿とは別れることとなったのです。

ここへ越して来たのは、長男が結婚する前の年の暮れでした。
その後ボーダーコリー犬が家族に加わり、
人間四人と猫数匹の賑やかな生活が始まったわけです。
仲間を大勢集めて近所の公園で花見をしたり
庭先に十数名が集い、バーベキューを催したことも数回あります。
時には一晩の宿泊人数が10名を超えたこともあり、
当時の仲間たちからも愛されていた家だったのだと思います。

竹薮に囲まれたその環境は、言ってみれば何をやってもお構いなし。
ピアノ、ギター、歌、オーディオ、果ては何とサックスまで
音の出る物はその音量を気にすることなく自由にやらせて頂きました。
僕が三十数年間のブランクを経て歌い始めるきっかけとなったのも
でんと構えるこの家の包容力だったのではないでしょうか。

50ちょうどにこの家にやって来た僕は、今年で62歳になります。
この11年間を振り返ると、人生にとって転機とも言えるような
大きなうねりが幾つもあったことが印象的です。
前述の長男の結婚、初孫の誕生。
次女の嫁入り、三人目の孫の誕生。
その間に僕は大きな事故に遭い、半年ほど右半身が麻痺していた出来事や
右眼の急性網膜壊死という稀な病気を発症して二度の大掛かりな手術を受けたり
人生の後半に喜びも苦しみも、様々な経験をさせてもらった気がします。

そして悲しい出来事もたくさんありました。
20年以上も家族と共に過ごした長寿の猫を二匹見送り、
若くして急死したボーダーコリーを見送り、
その後に残った数匹の猫もみな他界して
今は一番最後にやって来た猫一匹だけになってしまいました。

あれこれと記憶を遡って行くと、とても感慨深い家なのであります。
今日カミさんは2階の窓を開け、そこから見る最後の風景を眺めておりました。
数年後、この場所は宅地となり、景色は大きく変わっていることでしょう。
竹薮も全て伐採されますから、毎年楽しめた旬の筍も今年が最後になりそうです。
鍵をお返ししたときに「筍が採れたら連絡しますからね」と、言われたのが
何より嬉しい別れの言葉となりました。
春が来たとは言え気温の低い南本宿、筍の季節はまだ先なのです。

思い出というやつは
或る日ふと記憶の底から湧き上がるものであり
決して大切に抱え込むものではありません。
そうじゃなければ前に進めないことを、人間の脳は知っています。
消去や再生を繰り返しながら生きることで
脳味噌はそのキャパシティを保っているのでしょう。
期せずして湧き上がるであろう南本宿の思い出は
本日をもってリセットすることにします。

この地で関わった皆さま、
この家で共に過ごす機会を得た皆さま、
僕ら一家、とても幸せな11年間でした。

みんな、ありがとう!
さらば、南本宿!!

*

2014年4月12日

次は気をつけなはれ



11日に亡くなったジェシ、
アマゾンに注文した彼のファーストアルバムが
あちこち彷徨いながらも僕の処へようやく辿り着きました。
お帰り、ジェシ!
そう、昨日から行方不明になっていたのはこれなんです。

朝8時、郵便局に電話。
事情を説明して調査を依頼。
1時間ほどして女性オペレーターから経過連絡あり。
昨日の配達員が午後から出社するので待ってほしいとのこと。
さらに1時間後、配達責任者という上司の方から電話。
調査結果を必ずお知らせするので時間を頂きたいと低姿勢なお詫びの言葉。

仕事場へ向う時間が来たので家を出て車に乗り込む。
運転中に着信あり、すぐに折り返すと前述の責任者から再びお詫びの言葉。
数軒先のアパートのドアポストに、間違えて投函したことが判明したそうな。

え!?このきっちりと区画整理された住宅地で
おまけに各戸の入口に番地まで表示されているというのに
思わず「配達員は委託かアルバイトですか?」と、尋ねると
申し訳なさそうに、正規社員であることを恥じるように重ねてお詫びの言葉。
あいにくと誤配先の家人が留守で未だ回収できてないけれど
必ずお届けに上がりますと謝られ電話を切る。

再び車を走らせ、15分ほど経過した頃に何度も着信あり。
運転中で出られなかったが、留守電には2度もメッセージが入っていた。
何事か、と心配になりこちらから掛けてみると
回収は出来たのだが、誤配先で気付かずに開封されてしまった旨の更なるお詫び。
(個人情報云々で大きなクレームになる危険性の高い案件ですからね)

けれど僕は
中身に支障が無く、納品書も抜き取られてないなら構わないと伝え
そのままドアポストに投函するよう指示したのですが・・
誤配した配達員が直接届けに来て、
おまけに夕方にはその上司が粗品を携えて謝罪に訪れたそうであります。
たかがゆうメール1個の誤配で、なんだか申し訳ない気分になりました。

JPは嫌いだ。そう書いてしまいましたけど
一日を通しての顧客対応の品質には感心させられた点が多々あります。
ゆうパックもゆうメールも、嫌いなことには変わりありませんが
有事の際の処理能力が高いのは賞賛に値する素晴らしいことです。
JPは(相変わらず)好きではありませんが、泉郵便局は合格!
そう言わせて頂きます。

でもね・・
午後に配達員が来て、夕方頃には上司が謝罪に来て
その都度応対したカミさんの「お昼寝タイム」が邪魔されたようですから
不機嫌極まりなく、凄い怖い顔で相対したんだと思いますよ。

だから、そのままドアポストに入れていいと言ったのに。
カミさん、ここぞって時は容赦しませんから。鬼と化します。
怖かったろうなあ、きっと(笑)

これに懲りたら、次は気をつけなはれ。

*

2014年4月11日

JPはキライ



数ある宅配業者の中で
僕が最も信頼してないのは首都圏のJPなのでして
(たぶん地方では民間業者より質が良いでしょう)
ゆうパック、ゆうメール、どちらもあまり好きではありません。
アマゾンにCDを注文して通常配送を選択すると
以前ならY運輸になることが多かったんですけど
輸送費高騰の影響からか近頃はJPの配達が増えました。
それも融通のきかないゆうメール。
嫌だなあ、困ったもんだなあ、と憂鬱に思っていた矢先
その心配が現実のものとなってしまいました。

3枚注文した内の2枚は神奈川県内の物流センターから発送され
ゆうメールで昨日の朝(無事に)届いたのですが、
1枚だけ大阪から発送され、外出中にアプリでチェックしていると
夕方に配達完了となったので家族が受け取ったんだと思ってました。
しかし・・

帰宅してカミさんに聞いてみると届いてないそうな。
げっ!誤配完か?(配達完了の誤入力)
だとすると、不在票が入ってないのは何故だ?
さらに不可解なことが・・

カミさん曰く、
その時間帯に委託と思われる配達員が家の前に車を停め
箱を抱えて玄関の方へ歩いて来たらしいのですが
呼び鈴を押すこともなく引き返し、車内で地図を広げていたとか。
(カミさんの宅内監視、緻密なレポです)
なので我が家に来た荷物じゃなかったんだと思ったそうです。
けれど時間帯を確認すると、紛れもなく配達完了時刻と一致します。
はてなあ?玄関脇にはローマ字で名前も出してありますから
家がわからないという筈もなく、入居後に数社が配達に来てますけど
ただの一度も荷物が届かなかったことは無いのです。
くっそー、やはりJPはダメダメだあ~!

なまじ配完を打たれてしまうと、あとが厄介で困るんです。
ネットで再配依頼もできず、最寄の局留めにすることもできず
ただただアナログな電話でやり取りするしかないんですもの。
これは面倒です。
しかも「受け取ってない」旨を説明するところから始めるなんて・・
無駄な用を増やされた僕はちょっと怒ってます。
大嫌いな早起きをして局に電話しなきゃならないなんて、ねえ。
明日の仕事は寝不足決定となりましたとさ。きーっっ!!

ああ、僕のジェシ・ウインチェスターは
いったい何処へ行ってしまったのでしょう。
ジェシ!カンバーック!!(泣き笑い)

そんな夜でしたけど
たまたまテレビを付けていたおかげで
1月に亡くなられた佐久間正英さんのドキュメンタリー番組を観ることができました。

「そして音楽が残った」
自身のLast Daysを完結させて旅立った男の
その清々しくも壮絶な生き様に心が洗われた気がします。

僕とは同い年でした。
改めてご冥福をお祈り致します。

*

2014年4月10日

紙とインク



何を今さら。
そう言われてしまいそうですけど、こんなの買ってみました。
新・名盤探検隊から、ジョー・ママとデラニー&ボニーの「モーテル・ショット」
どちらも昔は米国盤のアナログで持ってましたけど、今は手元に無いので
ジェシ・ウインチェスターを注文した折、ついでに頼んでしまったのです。

懐かしいです。
けど音はともかく、CDのプラスチック感がやはり馴染めない。
まったくの別物みたいに感じてしまいます。
廉価盤だからなのでしょうか、ジャケットの色合いが悪いのも残念です。
当時のジョー・ママのアナログ・ジャケットはもっと濃い赤で
その真っ赤な壁の色と、O SORE MIOの文字が鮮烈に目に飛び込んで来たものです。
このボケた感じ、いただけないなあ。
逆にモーテル・ショットは、ざらざらしたダンボールのような触感でしたから
こんなに綺麗にピカピカになってしまうと、何だかモーテルらしくありません。

ワーナー・ミュージック・ジャパンの関係者の皆さん、ごめんなさいね文句ばっかりで。
このシリーズを安価で発売して頂いたことには感謝してるんですよ。
なので爺の戯言と聞き流してくださいね。
ただただ、あの時代の米国盤のジャケットに思いを馳せているだけなんです。
場末の飲み屋の看板みたいなベターッとしたインクの風合い、
僕はあれがとても好きだったんですよねぇ。
ザ・バンドの「ムーンドッグ・マチネー」もそうでした。
あのオリジナル盤に付いていたポスターなんて、その最たるものでしたから。


広げると80X40Cmほどになるこれ、
とても気に入って僕の部屋の壁に貼ってあったんですけど
残念ながら20年ほど前から行方知れずとなってしまいました。
あのときパネルにしておけばよかったなあと悔やまれます。
アメリカのインクと質の悪い紙の風合い、これがいいんですよね~
この黄昏時の街の風景画、最高です。

日本国内では紙ジャケ仕様のCDが増えてきたとは言っても
やはりジャケットは30Cm角に限ります。
あの30Cmに凝縮されたアートって、とても凄いことなんですよね。
アナログ盤の復刻、どんどんやってほしいものです。

ちなみに肝心のジェシ・ウインチェスター、今日は配達されませんでした。
JPさん、明日は頼みますよ。

*

2014年4月9日

百円の魔法



家庭内の騒音苦情から、やむを得ずモニターの場所を変えました。
デスクのすぐ右の脇、僕の耳からわずか50Cmほどの至近距離となりましたが
耳障りで嫌な音は全く出ないところがJBLの良さなのでしょう。

4312をスケールダウンさせた4312M COMPACT MONITORは
バッフル板のサイズが300X180mmと、かなり小さなボックスなんですが
たっぷりとした厚みのある音で鳴ってくれるので重宝してます。
こんなに小さくて3Wayだなんて、普通に考えたらやかましい音を想像しがちでしょうけど
どっこい高域のピークにも刺々しさが無いのです。
この辺りがクロスオーバーの設定の妙でして、実に巧みに作られています。
130mmのウーハーはフルレンジに近く、その上を補正するスコーカーと
アクセントを付けるためにツイーターがあるような
そんな音作りがJBLの一貫したポリシーで、
それが前述の聴き易さに繋がっているのだと思います。
さすがですね。

実はこのスピーカーを購入したときの笑い話があります。
30年ほど前、4311というスタジオ・モニターを持っていたのですが
手狭になり売却した後に後継機の4312が登場しました。
とある売買サイトで、その4312が驚くほどに安い価格で売りに出されていて
懐かしさと安さのあまり、目にしたその瞬間に即決したのです。
売主は横浜在住だったので手渡しで受け取ることになり
某駅前で待ち合わせ(怪しく)車に乗せ換える段取りをつけました。
そして当日・・

売主は小さなダンボール箱を抱えて車から降りて来ました。
て?あれは何の箱じゃろか??
(4312は外寸で600X350X300mm、目方も20Kgほどあります)
笑顔で現れたその男性、箱を開いて中を見せてくれました。
てーっっ!!小っちゃあーい!!!(汗)

4312の後に「M」と記された型番に、全く気付いておらず
それがミニチュア・モデルの「M」であることをそのとき初めて知ったのでした。
(そりゃ安い筈だわ・・)

しかし、僕は動じることなく
何事もなかったかのような顔をして、その「小箱」を受け取り
諭吉2枚半を手渡してその男と別れてきたのです。
(どうだ、男らしいだろ)

けれど、エンジンを掛けて100mも走らないうちに
その大きな落胆が強烈に襲って来て泣きそうになりました(笑)

そんないきさつから我が家にやって来た4312M、
諦め、馬鹿にしかかっていたそのミニから出て来た(まともな)音に驚かされ
折れそうになっていた心を癒してくれたのは言うまでもありません。
とんだ笑い話ではありますが。


休日恒例、散歩がてらのハードオフ餌箱漁り。
床に無造作に置かれたダンボール箱の中から本日も2枚ゲットして来ました。
ハービー・マン、グレン・ミラー、どちらも百円です。
2枚組であっても百円てところが嬉しい限りであります。

ただし、以前からこれが欲しかったというわけではないのでして
そこに置かれている物の中で一番良かったのがこれだった、というだけで
百円(しかも税込み)の魔法にかけられたようなものなのです。
これが五百円とか千円なら絶対に買わないでしょうね。

百円の魔法、素敵!!

*

2014年4月8日

お帰り、ジェシ!



どうやらジェシの悲しいニュースは誤報だったようで
危険な状態は続いているものの存命であるそうです。

今なお衰えぬ若々しい歌声とジョークに満ちたトーク、
近年のライブ映像を観ていると
まだまだ歌い続けてくれることを願わざるを得ません。

アマゾンに在庫があったので
アンペックスのファーストを注文しました。
アナログ盤を手放して以来、
僕の部屋でこのアルバムを聴くのは
おそらく20年ぶりくらいになるのだと思います。

お帰り、ジェシ!
家に届いたら、そう声を掛けてあげることにします。


*

2014年4月7日

オーラトーンでジェシ・ウインチェスターを聴きたかった夜



アナログと相性が良く、ちょっと大き目のブックシェルフが欲しくて
毎晩のようにヤフオクをチェックしていたのですが
ことオーディオ製品に関しては貧困極まりない現状ですな。
ガラクタばかりで、まともな物がほとんどありません。
僕が捜し求めているような機種は個人の出品が無く
廃品から拾い集めて来たような業者の出品が多いのも困りもの。
しかも競り落とした物は値を上げて別の業者が出品したり
くだらん商品がサイトの中をぐるぐると回り続けているようなもんです。
ヤフオク最低!!(怒)

そんな嫌な気分を解消するため、
旧宅から持って来たオーラトーンの5Cを引っ張り出してみました。
いわゆるラジオ・モニターとして、アナログの時代に一世を風靡したモデルです。
僕のは後期型で、若干帯域が広がってはいるんですけど
典型的なカマボコ型の周波数特性で限りなくローファイな音であります。
これをメインに使うということはないんですが、
中域重視(いや、中域しか出て来ない)のナローレンジな音は
ボーカルの再現性には秀でていると思います。

今夜はこいつでジェシ・ウインチェスターを掛けたいところなんですが
残念ながらアナログ盤を手放して以来、手元に音源が無いのです。
旅立って行った彼を見送ることができないのが
なんだか悔しく思える夜なのでありました。

*

2014年4月5日

春の雨音



花冷え、てやつでしょうか。
今夜から明日にかけては冬に逆戻りのようです。
横浜の最低気温は4℃、おまけに雨。
青空が長続きしないことで、よけいに春が愛おしくなるのでしょうね。

今の家に越して来てから1ヶ月以上が過ぎ、
環境の変化に戸惑っていた猫も
ようやくここでの暮らしに慣れてくれました。
その間、ストレスを発散するためかクロスに爪を立て
早々にあちこちを傷にされてしまいましたが
猫に罪があるわけじゃなし、ここは目をつぶることにしましょう。



土曜で外来が混み合っていたもので
松島病院から帰宅すると3時を過ぎていました。
案の定、次回診察の際に入院手続きをするよう促され
入院前後の注意書きが記されたパンフまで渡されました。
もはや観念するしかありません。
一般病棟の空き状態を見ながら日程を詰めることにします。
入院保険と高額医療費の還付など
相殺すると約4~5万円の出費といったところでしょうか。
金の掛かることばかりで憂鬱になってしまいます。
いやそれよりも、手術はもっと憂鬱です。
やれやれ・・

帰宅してからすぐに、カミさんを乗せて慌しく旧宅へと向いました。
実は前の家、まだ引き渡しが終わってないのです。
大家さんの事情で急な転居を余儀なくされたせいもありますが
先方のご好意で片付け作業と清掃はのんびりと時間を掛けてやらせて頂いてます。
最後まで残っていたピアノが先週ようやく業者に引き取られ
今日は日没まで床と壁を掃除したり、トイレや水周りを磨いたりして参りました。
週一程度のだらだらしたペースなれど、ようやく終わりが見えてきて
次の日曜くらいには鍵をお返しできそうな按配です。
大家さん、ご厚意に感謝します!



深夜の横浜、雨が降って参りました。
屋根に当たるその雨粒の音が
明らかに冬とは異なるところが
春を感じさせる喜びとなるのであります。

*

2014年4月4日

百まで生きるやも知れませぬ



アキちゃんのお爺ちゃん、そしてなつばっぱのご亭主として
三陸の海の男、忠兵衛を演じた蟹江敬三さんが亡くなられたそうです。
享年69歳、まだまだお若いのに残念でなりません。
遠洋へ出る度に、なつばっぱが仏壇に写真を飾ってましたけど
その通りになってしまいましたね。
謹んでご冥福をお祈り致します。

さて、明日はケツの経過を診てもらいに再び松島へ。
「帰りに入院予約してってくださいね~」
軽くそう言われそう。
はい、何事も受け入れますとも。

2月の健康診断結果が届きました。


何ゆえなのか、
昨年喰らったDⅠ、DⅡの赤文字が消え
全項目オールAの健康体になっていました。
3年連続で要検査だったというのに、不思議なこともあるもんです。
特に悪玉コレステロールの減少にはびっくり。
生活習慣も食い物も、何ひとつ変わっちゃいないんですからね。

カミさんにこう言われました。
雪掻き!雪掻きのおかげだよ、きっと!!

確かにこの冬は三度も大量の雪を掻きましたけど
そんな程度で慢性的な運動不足が解消されるものなのでしょうか。
甚だ疑問ではありますが
かずら元年、百まで生きるやも知れませぬ。

*

2014年4月3日

夜型



家族の生活習慣から
すっかり夜型になってしまった猫。
お留守番の昼間は一人で爆睡、
その反動で深夜になると眼がギラギラし始めるのです。

遊びたい、暴れたい、
顔にそう書いてあります。
わかりやすいですね。

さて、もう寝ますよ。

*

2014年4月2日

教訓、明日の銭より今日の銭



昨日と今日、
まだ買い物をしてないので税率が上がったことの実感がありません。
ガソリンの価格も先月後半とほぼ同じくらいで
前の晩に給油の車が行列してたという騒ぎは一体なんだったんでしょうね。

飲み屋はどうなんですか?
酒や肴は高くなったんでしょうか。
立ち飲みの店がどんな価格表示になったのか
興味はありますけど、飲みたい気分を抑制するほどの
そんな大事にはなってないような気がしてます。
10円や20円上がったとしても
人間、飲みたいときには飲むんでしょうから。
それに・・
いくら値上がりするからと言っても
「飲み溜め」なんて出来っこありませんもんね。

それを考えたら
買い溜めという行為がとても無駄に思えてきます。
増税直前のスーパーで、あれもこれもと数万円も買い漁る姿
倹約とか自己防衛とかを通り越して、浅ましくも思えます。

震災や大雪で品薄になったときもそうでしたが
買い溜めに走るのは比較的裕福な方々だったように記憶してます。
毎日をぎりぎりの線でやりくりしている者にとって
そんなにまとめて買えるだけの余裕などありませんからね。

酒も煙草も、僕は買い置きしませんでした。
ほんのちょっとの期間が得になるというためだけで
何万もの金を一時に出費するのが嫌だったんです。
ケチ臭い人間はそんなこと絶対にしません。
何事にも疑り深いのでそもそも投資にも無関心ですから
明日の銭より今日の銭を優先するのです。

そして飲兵衛は
今日の銭で酒を飲む。
来るのかどうかも解らぬ明日なんて
待ってられませんもの。

*

2014年4月1日

三月はケツに麻酔針を打たれて終わった。



いやはや・・
柔らかなケツに打たれる麻酔針の激痛ときたら
なんとも例えようがないものでして
これを患部の周囲に7~8発も喰らってしまうと
思わず呻き声を上げてしまうほどおぞましい光景なのであります。

エコー検査の女医さんが(期せずして前回と同じ方)
画像を見ながらこう言っていたのを、苦痛のどん底で思い出してました。
「うーん、前よりもしっかり膿が溜まってますねえ。」
「これは局部麻酔で処置できるぎりぎりのところかなあ~」
「・・たぶん、大丈夫だと思いますけど・・」

その「ぎりぎり」というのは、医者の技術的な問題ではなく
それに耐えねばならぬ患者の問題であったようでして
麻酔針を何発も打たれ、それでも処置する間は重い痛みが走り

・・気付いたときには後の祭りでございました。

処置後に男性の医師が軽く言ってのけたのは
「1センチほど穴を開けたのでドバッと出ましたよ~」
どぎつい台詞なれど、爽やかな口調でした。

くらっ、こっちの身にもなってみぃ。

止血確認のため30分ほど椅子で休憩、幸い傷みは無し。
再びまな板に乗せられケツを見た看護士さん
「あらあ?まだ少しだけ滲んで来ますねぇ、先生に知らせます」
そそくさと別の先生がやって来て(すでに17時を過ぎていたので当番医)
「もう一度麻酔を打って電気処置しますからね~」

げっ!あの地獄の苦しみをまた受けろってかあ!?
おめえに打ってやるからケツ出さんかい!!

そんなこと、言えるわけがありません。
黙って従いましたとも。
幸いなことにまだ麻酔が効いていたようで
二度目の針は全く痛くありませんでした。
ジッ、ジッ、電気処置の音がかすかに聞こえるだけで終わり
再び止血確認のため15分ほど休憩。
院内の患者は僕一人、がらあ~んとした空気に包まれておりました。

15分後、恐る恐るケツを見る看護士さん。
「うーん、まだちょっとだけ出てますねえ・・先生に聞いてみます」と、電話の方へ。
「あのー、患者さんまだ少々の出血があるんですけど帰ってもらっていいですか?」
なぬっ!よもや一泊せねばならんのか!?結果は
「帰って頂いて宜しいそうです、長い時間お疲れ様でした~」笑顔の別れ。

とまあ、月曜の混雑を避けて火曜に診察を受けるつもりが
急遽思い立って昨日のうちに「全工程」を終えてきたという顛末であります。
本日傷口の検査を受けて来ましたが、シャワーも浴びて良いそうです。
目に見える部分は治まりましたが、問題はこの後のこと。
週末に再診を受けるときには手術の予約をするよう促されるでしょう。
わずか半年で再発したからには、もはや年貢の納め時です。
「超有名医」のため、手術と入院は2ヶ月ほど先になるんでしょうけど
噂で聞いた術後数日間の痛みと苦痛・・まいったなあ。


川辺の満開の桜、もう散り始めてました。
青空は今日までとのこと、週末の花見は無理でしょうな。
春はいつも駆け足で通り過ぎて行きます。

*