2011年11月29日

11月29日16時


2011年11月29日16時、末娘が男の子を出産した。
予定日を六日ほど過ぎ、気を揉む毎日が続いていたが
ようやく陣痛が始まり分娩室に入ったものの、その間の時間が掛かりすぎたせいか
一時的に仮死状態となるほどの難産の末、3450gの元気な子を産み落とした娘を褒めてあげたい。

これで孫は三人目となったわけだが、
次は女の子がいいなあと願ってはいても、またしても男の子。
だが、それ以上は言うまい。贅沢というものだ。
健康な子が生まれたことに感謝しなければ。

母親となった娘が愛おしく思える夜、
一人で何杯も酒を飲んだ。
自分の子供が生まれた時とは違う感動に浸りながら
何杯も何杯も酒を飲んでいた。

この世に、これほどの幸せはない。



2011年11月24日

鬱陶しさと人恋しさは紙一重

喉から出掛かった手は、あっさりと引っ込めた。
そう、近頃は無謀な暴走をコントロールすることが出来るようになったのだ。
何かと痛い思いを経験してきただけのことはある。
いわゆる「教訓」から、今回は見なかったことにしておこう。
というわけで、Ekoの12弦はまたの機会に。

いや、正直に言おう。
実は仕舞い込んでいただけのこんな物があったことを思い出したのだ。


*フェルナンデス・ぞうさんアートロックシリーズ RODEO12*

ボディがバーズの「ロデオの恋人」のアルバムジャケットをモチーフにした限定品で
ぞうさんシリーズ唯一の12弦のレア・モデル、可愛いでしょ。
まずはこの子の将来を考えてあげなきゃね。
とっても弾き辛いんだけど(苦笑)



子供といえば・・
末娘の出産予定日が過ぎてしまったが、未だにその兆し無し。
初産は遅れるものだと聞かされてはいても気を揉む毎日。
カウントダウンがいつまで続くのやら、早くすっきりさせてほしいもんだ。
数日前から女房が娘の家に泊まり込んで様子を見ていることで
留守番の猫も寂しさから生じるストレスが溜まっているようで気の毒。
毎日私が帰ると甘えて纏わりついてくるのだが
私とて、一人で無言のまま晩飯を喰らうのは不健全な気がする。
家族というものは、近くに居ると鬱陶しいが
忽然と姿を消してしまうと何故か戸惑ってしまうものだな、と実感。
今夜は(そそくさと)洗濯物を畳んだ。

鬱陶しさと人恋しさは紙一重。



2011年11月23日

老朽家屋にヒカリ


遅まきながら、我が家のブロードバンドがようやく光回線になった。
ギガ得プランで最大1000Mbpsとは言え、PCのLANポートが100BASEなので
通信速度の測定結果は上り91.40Mbps、下り83.26Mbpsとなったが
減衰の激しいマンション・タイプに比べると、かなり優秀な数値ではなかろうかと思う。

実際の使用感は、やはり速い。
以前の30MbpsのADSLとでは、2倍から3倍くらいの速さが実感できる。
思わずPCのパフォーマンスが向上したかのような錯覚に陥ってしまった(笑)

一時期、モデムの消費電力が話題になったが(ADSLで10~15Wくらい食うらしい)
光になるとONUとホームゲートウェイの2台が常時動いているわけだから
節電対策に逆行するかのように結構な電気を食うことになるのだろう。
我が家は電話も光なので電源を落とせないし、これはちょっと困ったことだね。
省エネスイッチをONにすると最大10Mbpsに抑えられて20%の節電はできるらしいけど
しばらくは様子見ということで。。



2011年11月22日

そら耳か?

まずいなあ・・
喉から手が出てきたぞ。





Eko Ranger-12vintage
何かが俺を呼んでいる。

・・そら耳か?



2011年11月21日

懐かしのEko


Ekoというイタリアの楽器メーカーがある。
60年代にはヨーロッパだけではなく、アメリカや日本でも人気があったブランドで
エレキの一部モデルは今でもビザール・ギターとしての愛好家が多い。
(代表作としてはロケット・ギターかな)

当時はアコギも何種類か発売され「Ranger」というモデルが日本にも入っていた。
私が京都で知り合った頃の岸本哲クンがそのギターを持っていて
伏見の自宅へ遊びに出掛けた折に弾かせて頂いたことがある。
ボディは厚手の合板製で、おまけにネックがエレキと同じようにボルトでジョイントされていて
その独特な構造からか、手に取るとずっしりと重かった記憶がある。
お世辞にもイイ音とは言えなかったのだが、アコギには珍しい0フレットが有ったり
存在を印象づけるには十分すぎるインパクトがあったことは今でもよく覚えている。

数日前、ふとこのギターのことを思い出してNETで調べてみると
最近になってから復刻モデルが発売されたようで、YouTubeにも幾つかUPされていた。
生産ラインが中国または韓国ということもあり、イタリアで作られたオリジナルよりも
精巧さと高級感を少々増した印象の6弦と12弦のモデルを発見した。
しかしながら知る者ぞ知る程度だし、今さら日本国内で扱う店も無かろう・・と思っていたら

・・あった。

新潟でビザール・ギターのリイシューモデルを扱うショップで販売されていた。
6弦は中途半端に?高めの価格だが(それなりに作りはいいようだがね)
それに比べて12弦が「えーっっ!?」と喰い付いてしまいそうなほどお安い設定。
こ、これは惹きつけられる。。じゅるっ。


「Ranger-12vintage/NaturalMat」
全身ベニヤ板、けれどアジャスタブル・ブリッジに0フレットと
弦高を低く抑えたい12弦としては、これ以上ない仕様となっているのだ。

イタリアとアジアのハーフとして生まれ変わったEko、かなり気になる。。

おまけで、Rangerと戯れるイタリアの陽気なオヤジの映像を。
弾いてるのは同じ12弦でもRanger Limited Editionという少しばかり仕様が異なる上級モデル。



それにしても、このおっちゃんたち陽気だあ。


2011年11月17日

You'd Be So Nice To Come Home To



冬になるとジャズが耳に心地好い。
特に年末が近付くこの次期になると、この歌がとても沁みるのだ。
「You'd Be So Nice To Come Home To」
ヘレン・メリルのハスキーな声とクリフォード・ブラウンが絶妙に絡む素敵な曲。
何度か再録音されているが、マーキュリーのこのテイクが一番いい。
おまけにこのアルバムジャケット、チューブの大型コンデンサーマイクの前で
顔をしかめて歌う彼女の写真にはいつもきゅんとさせられる。
音もジャケットも、モノラル時代の名盤だ。

ちなみに邦題は発売当初から「帰ってくれたら嬉しいわ」で通っているのだが、
一説にはジャズ評論家であった大橋巨泉の大誤訳と言われている。
末尾の「to」が違う意味を持つらしいのだ。
直訳すると「君が待っていてくれるのなら、家へ帰るのはさぞや楽しいだろう」となり、
かなりニュアンスが変わってくる。
けど不思議なもので、ユー、ビッ、ソーと歌い始めるヘレン・メリルの擦れた声には
その間違った訳の方が何だかしっくりする。
邦題とはそんなものだし、心に響けばそれでよいのだ。

ああ、それにしても
モノラル録音て、音が太くていいよね。
決してローファイなんかじゃない、音溝にはちゃんと息遣いまで刻まれているし
楽器の定位だって(モノなのに)しっかり伝わってくるから不思議。
ジャズはモノラルに限る!


2011年11月16日

私の青空



青空と言えば、
1928年にジーン・オースティンが歌った「My Blue Heaven」も名曲だ。
日本では「私の青空」として、エノケンの歌で親しまれた。
仕事を終え、家路を辿るオヤジの歌である。
短い詩の中に、人としての営みと幸福の答えが記されている。



私の青空

夕暮れに仰ぎ見る 輝く青空
日暮れて辿(たど)るは わが家の細道

せまいながらも 楽しい我家
愛の灯影(ほかげ)の さすところ
恋しい家こそ 私の青空

(日本語詞:堀内敬三)



この曲を高田渡が歌う映像がある。
私はこれが好きだ。



ペダル・スティールは息子の高田漣。
鼻筋の通ったその端正な顔立ちは
髪型をちょっと変えると、若い頃のディランに似てる。
彼もまた、素晴らしいミュージシャンなのだ。



2011年11月15日

Blue Skies



今夜は北風が強い。
どうやら冬がすぐそこまで来ているようだ。

北国で生まれ育ったせいなのか、私は冬の青空が好きである。
見渡す限りの白い雪原と、真っ青な空が織り成す世界には
その場に立ち竦んだ者にしか知り得ない自然の素晴らしさがある。

けれど、その青い空を見上げるとき
清々しさとは裏腹に、思い出の中の悲しみが込み上げてくるものだ。
己の小っぽけさを知った悔しさからなのだろうか。

私の好きな歌に「Blue Skies」がある。
その中でもエラ・フィッツジェラルドのバージョンが一番好きだ。
大袈裟に青空を歌い上げるわけではなく、
私が見上げた空と同じように、どこか憂いを秘めた「青空」だからだ。
いや、そうではなく
この曲、やはり全編に漂う憂いがある。
このやりきれない悲しさは、いったい何なのだろう。
1920年代に上演されたミュージカル「ベッツィー」の中で歌われたこの曲、
そのストーリーに秘密があるのかも知れない。



「Blue Skies」

青い空が私に微笑んでいる
青い空の他に、私には何も見えないわ

青い鳥が歌を歌っている
一日中、聴こえてくるのは青い鳥の歌声だけよ

太陽がこんなにも眩しく輝くのを
見たことがなかったわ

物事がこんなにも上手く行くとは
想像したこともなかった

恋に落ちると
毎日があっという間に過ぎていくものね

私の毎日も
ああ、なんてあっという間なのかしら

憂うつな日々とは全てさようなら
これからはずっと、青い空だけ

(訳詩 東エミ)



YouTubeにロッド・スチュアートが歌う2005年の音源があった。
ややオーバー気味に歌われてはいるが、間奏のストリングスがやはり物悲しい。







2011年11月14日

上を向いて歩こう



「私にとってのSukiyaki(「上を向いて歩こう」)はジョン・レノンがstand by meに込めた思いと同じだと思います。命が宿っているような曲と出会うと、その一部に関わりたくなるんです。私たちのようなソングライターは言葉とつながっている。素晴らしい意味を持つ曲は歌いたくて仕方なくなるのです。」(ベン・E.キング談)

ベン・E・キングの震災復興支援アルバム「Dear Japan」が16日に発売される。
日本語で歌われる「上を向いて歩こう」と「スタンド・バイ・ミー」が収録されているが
海の向こうから届く愛のメッセージに感謝しよう。

「sukiyaki」とタイトルを変え全米でも大ヒットした九ちゃんの名曲。
日本人なら誰でも知っているその曲が、
ビルボードで1位を飾った唯一の日本の歌でもあるのだ。

歴史は語り継がれ、歌は歌い継がれる。
それこそが一番素敵なことだと思うのは、私だけじゃないだろう。


2011年11月11日

快挙!

私と同世代の方であれば、深夜のラジオ放送から流れて来たS&Gの「サウンド・オブ・サイレンス」に似たギターフレーズで始まるスキャットが清々しく聴こえた思い出があることだろう。
その「夜明けのスキャット」を歌った由紀さおりのニューアルバム「1969」が、アメリカで大ヒットしているらしい。iTunesのDL数ではジャズ部門で堂々の第一位と聞くと何だか嬉しくなってくる。

そもそもはアメリカのオレゴン州で94年に結成され、その後脚光を浴びた13人編成のオーケストラ、ピンク・マルティーニが2007年にリリースしたアルバムの中で由紀さおりの「タ・ヤ・タン」をカバーしたことから始まる(このオーケストラにはチャイナ・フォーブスという女性ボーカルが居て、歌姫を擁した往年のスタイルが受け継がれていることでも評判となった)
この歌姫が流暢な日本語で歌っているのだが、いかにも日本的なフレーズを白人のプレーヤーが演奏していても不思議と違和感がまるで無い。



リーダーでピアニストのトーマス・M・ローダーデールが、アメリカの中古レコード店で由紀さおりの古いアルバムを見つけたのがきっかけだと言う。
ジャズ、映画音楽、ラテン、フレンチ・ポップス、イタリアン・ポップス、そして日本の歌謡曲と、世界中の美しいメロディを発見、カヴァーしてきた彼の触覚とアレンジが素晴らしいではないか。
今年10月のロイヤル・アルバート・ホールでのライブには、ゲストとして由紀さおりが登場し「夜明けのスキャット」他4曲を歌い、アンコールの「マシュケナダ」では観客がスタンディングオベーションで賞賛した模様が彼女のオフィシャルサイトに記されている。http://www.emimusic.jp/pmsy1969/

由紀さおりのニューアルバム「1969」はピンク・マルティーニとのコラボレーションで構成され、
そのタイトル通り、69年当時にヒットした国内外の名曲で埋め尽くされている。
その中から、いしだあゆみのヒット曲「ブルーライト・ヨコハマ」を聴いてみよう。



ラテン系の味付けもまたよし。



2011年11月10日

心の準備に入る


末娘の出産が間近に迫ってきた。
予定日は23日だし、初産は遅れ気味になるもんだと聞いてはいるが
私の予感(勘?)では、早まるような気がしてならない。
もう3000gくらいまで成長しているらしいし、
腹の中で暴れまわっているようなので、早く解放させてあげたい気分。

明日は預かっていた猫を家まで送り届ける役目。
真ん中の美人な子だ。
賢く、働き者だったので居なくなると寂しくなりそうだな。
(後の方でぐうたらしてる子とは姿勢からして違いすぎる)笑

昼間、娘が大きな腹を持て余し気味に迎えに来るようなので
そしたらケージに入れて車に乗せ、娘の家へと向かう。
臨月の妊婦を乗せた車・・運転、緊張するかもな(汗)

何はともあれ
そろそろ落ち着かない日々がやって来そうなのだ。

名前・・決まったのかなあ?


2011年11月9日

意見

いったい何が得策だと言うの?
国や国民にどれほどの利益があるの?
失うものはないの?
冷静に考えて、十分な議論を重ねた上で
交渉の席についてもらわなければなるまいて。
今や売国奴と化した政権与党よ、参加表明を急ぐな!

TPP協定に、私は反対だ。
おそらく国民の大多数がそうだろう。
一握りの大企業と金融機関が潤うだけで
この国の実態が消滅しかねない事態となる。
外交が不得手な「後進国」の人間が、危ない橋を渡ることはない。

サルでもわかるTPP http://luna-organic.org/tpp/tpp.html




2011年11月8日

めしや


と、いうわけで
今夜も深夜食堂の下町話に舌鼓。
いいなあ、あったかいなあ。

さらっとした人情が
ぎすぎすした世の中に
ひとときの安らぎを与えてくれる。

これがニッポンだ。
どうしてもそう思ってしまう。

飯も酒も
旨くなければいかんのだ。
そして人間は
面白くなければいかんのだ。



2011年11月7日

黎明期の音


YouTubeが便利で楽しいところは関連する膨大な紐付け。
ひとたびサイドバーのクリックを始めるときりがなくなる。
今夜はこんなものを拾ってしまった。
「ロック・サーフィン・ホットロッド」と「レッツ・ゴー・モンキー」
東芝が64年と65年にリリースしたアルバムだ。
ボーカルは尾藤イサオと内田裕也、バックはブルージーンズとブルーコメッツの混合バンド。
コピーとカバーを繰り返していた我が国のロック黎明期を感じさせる熱い演奏を聴くことができる。
特に小田啓義のオルガンは必聴もの!
尾藤イサオの不良っぽいドスの利いた声とシャウトが生きる「アイム・ダウン」はいいなあ。



余談だが、私が中学生くらいの時にTVで観た尾藤イサオは
「悲しき願い」がヒットした後だったせいか、とても突っ張っていた。
顔つきも目付きも悪く、お茶の間向けじゃないよなあと子供心に思ったものだが
その夜、自身のバックバンドを引き連れて歌っていた彼が(たぶんカバー曲)
メンバーが出したミス・トーンに腹を立て、演奏中ずっとその男を睨み付けていたのを目撃した。
ほんと、すごい形相で。
たぶん楽屋で殴りつけていただろうな、ありゃあ。
それくらいワルな顔していたわけだが、今こうして聴いてみると
この当時の歌い手の中じゃピカイチなシンガーだったんだなと改めて思う。

それに比べて・・

ねえ、内田裕也って何者なのさ。
尾藤のシャウトに比べると声もひ弱で上手くもない。
一時期はロック界のドンとまで呼ばれたこの男の功績って、何だったんだろうね。
70年代に入った早々くらいの雑誌の座談会で「英語じゃなきゃロックじゃねえ!」と一喝、
日本語はロックのビートに絶対合わないと豪語しまくったのだが
本人の歌う「英語のロック」聞くに堪えないじゃありませんか。
今もってワカラナイ。。


2011年11月6日

おそるべき16歳!


数日前、仕事場へ向かう途中カーラジオから流れて来たこの歌が頭から離れない。
すてきな16歳(Happy Birthday Sweet Sixteen)
http://www.youtube.com/watch?v=bzSmF7q_oVk
小学生の頃にリアルタイムで聴いていながら、改めて耳にするとちょっとした衝撃だった。

弘田三枝子、14歳でデビューして16歳の時にレコーディングされた曲だ。
声量もあって実に上手い。さすが小さい頃から米兵相手に歌っていただけのことはある。
コロンビアに移籍後ヒットした「人形の家」も有名だが、私は彼女が歌うカバー曲が好きだ。
整形とダイエット前の、ぽっちゃりした顔立ちのこの頃の方が声も太くていい。
65年のニューポート・ジャズ・フェスティバルには日本人として初めて出場して
居並ぶ本場の大御所にも臆することなく三日目のトリを務めたこともあるそうだが、
とても16歳とは思えぬ堂々とした貫禄には、今聴いても圧倒されるばかりである。

YouTubeに当時の映像があった。
「恋のクンビア」コロンビアに移籍した翌年の曲、溌剌とした身のこなしがパワフルだ。
語尾がクイッと上がるのと「あ」が「は」と発音される独特の癖は64歳の今もなお変わっちゃいない。
ちなみにクンビアは南米コロンビアに伝わるラテン・ミュージックだが、
「恋のクンビア」は弘田三枝子のオリジナル曲で、カバーではない。
65年当時はラテンが大流行していたのである。







2011年11月4日

猫はいいなあ


猫はいいなあ。
猫になりたいなあ。

なんとなく、負の連鎖が続く。
ババを引いてしまうことが多いのは
何かしらの災いを引き寄せているのに違いない。
昨日から良からぬ客に遭遇するばかりだ。
明日は明るい色のシャツを着て行こう。

カミさんが持病の腰痛で動きが鈍くなっているので
今夜の晩飯用に「かつや」の市沢町店に寄ってカツ丼を買って帰った。
和田町の信号の脇にパトカーが停まり、警官が立ち番をしていて
環2の市沢下町に至る道の途中で数台のパトカーとすれ違った。
物々しい雰囲気、何か事件でもあったのかしら。
帰宅して(近所の情報に詳しい)カミさんに尋ねてみたが分からず。
金曜の夜だから、暴走族の取り締まりだったのかもね。
先週もバイパスを100台くらいで爆走してたもの。
けれど今夜は極めて静か、バイクの音など聞こえやしない。
たぶん警察は肩透かしを喰らったのであろう。
おつかれちゃん。

さてと、今夜も寝る前に(未明の)ゴミ出しをしなければ・・



2011年11月3日

Poison Ivy



気分の悪い夜だ。
身に覚えのないことで、見ず知らずの人間からいきなり因縁をつけられたような
そんな不愉快な相手は毒以外の何物でもない。

近付いただけで体がかぶれてしまうと言われるツタウルシの毒。
こんな夜はストーンズを聴こう。
ナンバーは往年の名曲「Poison Ivy」に決まってらあね。


2011年11月2日

青春時代の回想



秋から冬にかけてのちょうど今くらいになると
何故なんだか、ビートルズの歌が妙に染み入るようになる。
クリスマス・シーズンを迎えた街角で耳にすることも多くなるということは
たぶん世の中の風潮としても、それは自然なことなのかも知れない。

今夜のNHK「SONGS」も、来日45周年・結成50周年を迎える彼らの特集だった。
私は昔からポールの歌をあまり好んで聴くことはないのであるが、
「We Can Work It Out」これは別格の部類に入る名曲だと思っている。
サビの後半で3拍子に変わるアレンジがスムーズで実に見事!
60年代初めにそれをやってのけたことにも感服するのみだが、
おそらくはジョージ・マーティンの成せる業だったのであろう。

そのジョージ・マーティン、自身の存在をアピールすることにも長けていた。
世界初の衛星中継、その試験放送である67年の「アワ・ワールド」の冒頭にも登場する。
ビートルズの音は俺が創ってるんだぜ、と言わんばかりにね。



この映像は懐かしい。
当時は白黒の画面で、こんなに鮮明なものではなかったけれど
深夜(未明か)興奮しながらTVを凝視していたものだ。
このイベントのためにジョンが書き下ろした歌が「All You Need is Love」なのであり、
EMIのアビーロード・スタジオには、ミック・ジャガーやキース・ムーン、
クラプトンやマリアンヌ・フェイスフルなどなど、大勢のミュージシャンが顔を並べていた。
その光景を目にして、田舎の15歳の少年が興奮しないわけはない。

でもね、邦題の「愛こそはすべて」とは口にできなかった。
照れ臭かったのか、純情だったのか、
そんな時分のことが思い出される夜なのであった。
いわゆる私の青春時代の回想、というやつかな(笑)


2011年11月1日

クルマのお勉強、3

深夜食堂を観ていたら、アサリの酒蒸しが食べたくなってしまった。
あの汁をすする音と貝が皿に当たる音・・たまらんねぇ。。じゅるっ

さて、気を取り直して「クルマのお勉強、3」

(愛車テリオスキッドのエンジン)


近頃の新し目の車を運転するドライバーの皆さん、
エンジンを掛けた途端にサーッと発進して行くのをよく見かける。
なんでも、現代の車は構造的に昔みたいな暖機運転の必要が無いんだとか。
そういやあ以前修理の間に借りたほぼ新車の代車、水温計も付いてなかったんで驚いた記憶がある。
どうやらエンジン素材の進化や精度が上がったおかげらしい。
オイルポンプの回転を上げて末端まで潤滑させるためにも、はたまたギヤ周りを暖めるためにも、
手っ取り早く走り出しちゃった方が得策というのが最近の説。
暖機で無駄な燃料を消費しないようにと、省エネルギーの風潮も追い打ちをかけている。

私みたいな古い人間には、どうにも馴染めない言葉ばかり。
水温計が動いてから走り出さなければ、エンジンを傷めてしまうものだと信じ込んでいるので
今でも始動した後に煙草を1本吸ってから発進することにしているくらいだ。
(車が旧いせいもあるけどね)

実はエンジンを止める時もそう。
ターボ車はタービンを冷やすためにクールダウンさせるものなんだって教えを今でも守ってる。
なので停車してからエンジンを切るまでの間に煙草を一服、となるわけだが、
これも最近のマニュアルでは「必要ない」ときたもんだ。
オイルも良くなったし、レースカーでもない限りアフターアイドリングは不要なんだってさ。
むしろ走行風が入らない分、エンジンルームの温度が上がって悪影響を及ぼすとまで言われる始末。
いやあ、どれをとっても昔の教えとはかなりの隔たりがあって困ってしまうよ。

ちなみにガソリン車って、10年ほど前からは
エンジンも足回りもこれ以上ないくらい完成の域に達してると思うんだよね。
だからよほど荒っぽく走らない限り、製造のバラつきが無い車に関しては
うまく行けば10万Kmはおろか20万Kmくらいまで平気で走っちゃう気がしてる。
けど現在の低燃費車やハイブリッドって、そこまで持ってくれるのかしら?
エコカーの耐久性にはやや疑問あり。

私は頻繁にエンジンを掛けたり切ったりするのが嫌いだ。
根拠は無いのだが、何となくエンジンに負担をかけてしまうような後ろめたさからである。
なので停車時間が数分であれば、なるべく切らないようにしている。
排ガスの環境問題からしてみると時代に逆行しているかも知れないが
これは私の哲学なので致し方ない。
そんな私ゆえ、流行のアイドリング・ストップなんてとんでもない話だ。
そもそもあんなに回したり止めたりを繰り返して、エンジンなんともないのかしらね。
環境問題を考える前に、根がケチなのでそっちの方が心配になる。
始動時のピストンの負荷って、結構なもんだと思うんだけどなあ。

(勝手な推測だけど)故障が相次いで、廃車率が高まって
スクラップの山が別の環境問題を生み出したりしなきゃいいんだけどね。
火力発電が原子力へと移行して行った過程とその危うい結末が
なんとなくダブって見える今日この頃。
飛躍しすぎと言うなかれ、資源だ環境だと叫んだ挙句
地球を滅ぼしかねないほどの危機を招くのは言語道断というものだ。
そして機械や道具にブラックボックスは無い方がいいに決まってる。
人間が動かし、管理するべきものなんだから。