2012年2月29日
パブ・ロック
久しぶりにブリンズレー・シュワルツを聴いています。
オリジナルのアナログ盤は手放してしまったので(やむなく)20曲入りCDで。
数年前にブックオフで千円くらいで購入したものですが、これが実に楽しい!
アメリカの南部~西部~東部を行ったり来たりするのがとても楽しいです。
これがパブ・ロックと呼ばれる所以なのでしょうか。
場末の店のカウンターでグラスを傾けながら聴くには最高でしょうね。
ふと、クックハウスのことを思い出してしまいました(ずいぶん長いこと会ってないなあ)
ちょっとウエットに聴こえるイギリス人の描くカントリー・テイストや
ブルー・アイド・ソウルと言われるR&B色の強いナンバー、大好きです。
アメリカ発の音楽がヨーロッパで味付けされた後の方が消化には良さそうな気がします。
ロンドンでレコーディングされたイーグルスのファースト・アルバムを私が好んで聴いたのも
もしかするとそんな理由からなのかも知れません。
ストーンズの「ベガーズ・バンケット」を手掛けたグリン・ジョンズがプロデュースしたせいもありますが
私はあの憂いを秘めた重たい空気のファースト・アルバムが好きだったんです。
カラっとしたものよりは、少々どろっとして、ぬめっとした音の方がいいですね。
(日本人だから、・・なのかしら?)
人種や風土の違いって、解釈の仕方が変わってほんと面白いです。
同じ材料でも微妙に味が異なる料理みたいなものですよね。
*
2012年2月28日
嫉妬
昨日記したように、哲ちゃんが自分の名前をネット検索していて
偶然私のBlogがヒットしたことから、私が今も健在で歌っていることを知るきっかけとなったのだが
それほど彼の名前は幾度も私のBlogには登場している。
このEkoギターのことを書いた昨年11月21日のBlogにもやはり彼の名前はあった。
http://kazura1952.blogspot.com/search?q=EKO
現在も販売されているのをWEBで見掛け、懐かしい記憶が蘇って書いたわけだが
実は伏見の哲ちゃんの家に初めて行ったときにこれが有ったのだ。
イタリア製で、お世辞にもいい音とは思えなかったこのギター、
ヴィンテージ・ギターのような0フレットが有り、おまけにサドルはアジャスタブル。
ネックのジョイントはエレキと同じボルト・オンで、質の悪そうな厚めの合板はずっしりと重く
どう頑張っても音が響くようなモデルではなかったことは確かだ。
当時は、何故こんな変てこなギターをこの男は持ってるんだろう?と不思議に思ったものだが
このことがいい例で、彼は形や経歴には一切拘らない男だったのだ。
面白いもの、珍しいものを発掘し、それを探求する一途さと頑固さがあった。
それゆえ彼が選んだのは、ギブソンでもマーチンでもギルドでもなく
Eko(エコー)という傍目には不可解なギターだったわけなのである。
ファッションがそうであるように、猫も杓子も同じような格好で歩いていては誰も振り返らない。
人は常識から外れたものを「奇抜」と呼ぶが、その常識を覆すような発想がなければ
新しいものは何ひとつ生まれては来ないのだ。
たとえ奇異に映るような装いでも、堂々と胸を張って街中を歩くことで人は目を奪われる。
そしてその者の生き様にカッコ良さを感じてしまうものだ。
音楽も同じく。野暮でもいい、荒削りでもいい、
その者にしか表現できないスタイルを貫くことがカッコいいのである。
きっとそれを、どこかで誰かが胸躍らせて聴いている。
もしかすると、やがて一世を風靡するかも知れないのだ。
哲ちゃんは私が出会ったあの日から、たぶん何も変わっていなかったんだろう。
そんなカッコ良さに、実は嫉妬しているのだ。
端山龍麿クンのBlogによると、末期癌の宣告を受けて入院した後も
延命治療を拒み、病院食には目もくれず最後までカツ丼を食べていたらしい。
彼の昔からの口癖に「美」という言葉がある。
穴の開いた靴下、ジーンズからはみ出たパンツ、無精髭、
それらは男の美だと彼が言い放っていたことを思い出してしまった。
どうやらあの男、最期の日までその「美」に拘っていたようで
そのカッコ良さが、悔しい。
*
2012年2月27日
哲ちゃんの思い出
昨夜遅く、友人であるミュージシャンの端山龍麿クンからメールを頂いた。
(それに気付いたのは半日以上経過してからだったが)
私とは旧知の間柄である京都の岸本哲クンの訃報を知らせるものだった。
1970年の蒸し暑い夏、私は京都の伏見に居た。
帯広畜産大学を卒業した糸川氏の実家に居候しながら、あちこちで歌っていたのだ。
(このアナーキーで変人呼ばわりされていた男とは、帯広の伝説的なレコード店サウンド・コーナーの店主である高村知魅氏を介して知り合った)
その糸川氏が「近所におもろい奴が居るで」と紹介してくれたのが岸本哲、哲ちゃんである。
早速彼の家を訪ね、よもやま話に花を咲かせた。
私が未だ知らなかったデイヴ・メイスンを教えてもらったのはその時だったし
その後、布谷文夫氏や大瀧詠一氏と何度か会うことができたのも彼のおかげだった。
(昨日ご紹介したロニー・レインの「エニイモア・フォー・エニイモア」も彼から教えてもらったものだ)
当時から様々な知識を持ち、交友関係も幅広かった彼の話はとても面白く
大瀧氏がデビュー前の遠藤賢司にトニー・ジョー・ホワイトを教えてしまい
自身がやろうと目論んでいたものを先に世に出されて悔しがっていたという逸話も
(裏情報通の)その哲ちゃんから聞いた話だった。
数年後、私よりも一足早く結婚した彼の家に女房と遊びに行ったとき
当時の価格で30万円ほどもしたTEACの4トラック・マルチの1インチテープ・デッキが居間においてあったのには驚かされた。今なら車が1台買える金額の代物だ。
音楽に精通していて、ギターのピッキングにも独特の哲学を持っていた男ではあるが
決してミュージシャンではなかった彼の家にレコーディングの機材が置かれていたのである。
私はそのとき、遊びでラフな録音をしたような記憶もあるが定かではないし
その機材がその後いったい何に使われたのかを知る由もない。
ただし、彼からはレコーディングのテクニックを幾つか教わった。
トラック数も少なくエフェクターも貧弱だった時代に、ピンポンでボーカルを何度かダブらせて
楽器に埋もれることなく艶と厚みのある声にする方法もそのひとつだ。
知識や理論、最新の情報など、とにかく物知りな男だったのだ。
そのさらに数年後、京都のジーンズメーカーHALFに入社した彼は東京転勤となる。
営業車に乗り東京中を走り回っていたが、ナイアガラ・レーベルを立ち上げた大瀧氏のお抱えドライバーとなったのもその頃だ。
ナイアガラに絡んでいたミュージシャンとも親交が深かったので、彼を知る者は多かった筈である。
彼を介して大瀧氏とは何度も顔を合わすことができた。
一番面白かったのは、銀座で催されたニッポン放送の使用済み機材の売却セール。
モノラルのオープンデッキがマウントされた放送局用の大型コンソールを大瀧氏は即決で購入したのだった。
ラジオ局用のモノラル機材を、大瀧氏が福生の45スタジオに届けさせたことは
彼の60年代ポップスへの思い入れを窺わせるのに十分だったからだ。
哲ちゃんは東京在住中に夫婦で私の家に泊りがけで遊びに来たこともあり、
(その頃の奥さんとはその後離縁したようだが)彼女もまた魅力のある面白い人だった。
大瀧氏が「ロング・バケーション」をリリースした当日に家に電話を掛けて来て
女房に「今一番聴きたい音楽がいっぱい詰まってる!」と嬉しそうに話していたそうだ。
離縁した、と書いたが、そのことを知ったのはわずか4年ほど前。
彼が娘のパソコンを使い(哲ちゃんはWEBには無関心だったようだ)
岸本哲の名前で検索していたら私のBlogがヒットしたらしく
懐かしくてメールを送って来たのだった。それも娘のアドレスで。
電話番号を伝えると、数日後携帯に電話が掛かって来た。
それが4年ほど前のこと。
最後に顔を合わせたのが1980年頃だろうから、実に30年ぶりくらいの会話だ。
京都で自転車屋を営みつつ「さらさ」というカフェを数軒経営していること、
私が知っている奥さんとは離婚したこと、などなどを聞かされた。
旧い銭湯を改造した「さらさ西陣」では時折ライブを催しているらしく
春になったら招待するから是非歌ってくれ、と楽しそうに言われもしたが
それきり彼からの連絡は途絶え、私も催促するようなことはしなかった。
私らのように長くて旧い付き合いをしている者同士ともなると
お互いに「そのうち何処かで会えるだろう」と、やたら気長になってしまうものなのだ。
現代のように携帯も無ければメールも無かった時代、
人と会うということは、綿密な計画を練るか偶然に頼るしかなかったのだから
その接点を見出すまでは私も彼も先を急ごうとは思っていなかったのだろう。
(実はその間に前述の端山龍麿クンが西陣でライブを行い、哲ちゃんと歓談中に私の名前が出て来て驚いたという逸話があり、その縁で訃報を知らせて来たのだった)
そう、先は急いでなかった。私も彼も。
今居る場所も、行き先さえもそれぞれ違うのだから、急ぐ理由など当然ない。
30年ぶりくらいに声を聞き、再会を楽しみにしながらそれが果たせなかったことにも悔いはない。
たぶん彼も同じ感覚だろう。
逝ってしまったことは悲しい反面、むしろ今は会わずに済んだことが幸いだった気もしているのだ。
顔を合わせ、昔話に興じ、そして今と未来を語り合った後だったとしたなら
おそらく私はこんなに冷静でいられなかったことだろうから。
昭和の同じ時代を生きた者たちの相次ぐ訃報を耳にする機会が多くなったのは
それだけ私も歳を取ってしまったことに他ならない。
けれど私は先を急がない。慌てることもない。
受け入れることだけが私にできることであり、この先をどう生きるかが彼らに対する答なのだ。
癌で亡くなった哲ちゃんを、不憫に思うこともない。
彼なりの一生を全うしたのだろうから、さぞや楽しい人生だったに違いない。
いずれ天国という場所で出会ったなら、そのことを問い質してみたいものだ。
人間は何年生きたではなく、一生の中で何を欲しがり何を出来たかだ。
何を持ち得たかなんて問題ではない。
そう念じながら、哲ちゃんとのことを思い出している夜である。
・・いささか酔ってしまった。
*画像は端山龍麿「Marolog」から引用。
*
2012年2月26日
ダストカバーの誘惑
プレーヤーの上に所狭しと積まれていた諸々を片付けました。
これからは、わずか数十秒でレコードを掛ける準備が整うのでありまして
最近もやもやしていた鬱憤が、すっきりと晴れた気がします。
何気なく物を置いてしまう習慣、無くさなければいけませんね。
そのためには、頻繁にカバーを開けてレコードを掛けるしかなそうです。
そう、そこなんです。
ダストカバーの平たく大きな面積は「物置」には最適なんですもの。
郵便物や、もう一度目を通す必要がある書類、頂いたパンフ類など
とりあえず、という安易な気持ちがその後の放置に繋がってしまうのです。
「ダストカバーの誘惑」とでも言いましょうか、この誘惑に負けないよう頑張る所存であります。
その発掘?されたプレーヤーを紹介しておくと、
10年ほど前に友人から譲り受けたテクニクスのSL-Q3というモデル。
大昔に愛用していたDENONのDP-3000あたりと比べると、とてもコンパクトです。
フルオートなので、居眠りしててもアームが自動的に戻って来てくれますから
目が覚めると最内周をプチン、プチンとエンドレスでトレースしていた、なんてこともありません。
夜中に聴いていたレコードが朝まで回っていた、そんな経験もありますからね(笑)
音響特性やトレース能力は中程度のレベルですが、便利さがそれを補ってくれてます。
それにしても、およそ30年近くは経過してるであろうこのお方、老いてもなお元気です。
ワウも無く、今でも正確に回ってくれます。
サーボ・コントロールよりもクオーツ・ロックの方が長寿なのかも知れませんね。
DENONはサーボ基板がよく壊れてしまいましたから。
そして今聴いているのは・・
ロニー・レインの「エニイモア・フォー・エニイモア」
フェイセズを脱退した翌年の74年にリリースしたアルバムで、
京都の友人から教えてもらって以来、ずっと大事にしているアルバムです。
ロニーの歌、いいんですよね。
ソロの中ではこれが一番好きで、特にB面がお気に入り。
ちなみに私の持っているUK盤は、ジャケットの表に馬車の写真しかありません。
アルバム・タイトルもロニーの名前も、全てが裏面にのみ記されています。
このレイアウトが斬新で素敵でした。
*
2012年2月25日
朝まで待てない!
我慢できずに、アナログプレーヤーの上に積まれていた諸々の物を取り除き
埃がハラハラと降るのをものともせずにレコード盤が掛けられるようにしました。
かなり強引、休日の明日まで待てば掃除もできたのかも知れませんが
思い立ったらすぐ実行に移すのが、深夜のかずら元年なのであります。
DENONのMCカートリッジ、DL-103はさすがにくたびれているようなので
SHUREのM-97HEという、これまた骨董的に20年ほど放置してあった物と交換しました。
カンチレバーもダンパーも、たぶん耐用年数の限界を超えているんでしょうけど
案外と使えるもんですね、感心してます(笑)
音の輪郭が明快なSHUREのパチッ!というスクラッチ・ノイズ、気持ちいいですねぇ~
アナログの醍醐味ここにあり、て感じで楽しくなります。
アナログの時代は音楽を聴く上で避けて通れなかったノイズ音、
これがまた実に懐かしい風情なのです。と言うよりも、音楽の一部なんでしょうね。きっと。
最初に引っ張り出してみたのはリンゴ・スターの「BEAUCOUPS OF BLUES」
1970年にアップルから発売されたカントリー・ソングのカバーアルバム。
本場ナッシュビルの大御所ミュージシャンをバックにレコーディングされた物でしたが
発売当時は全くと言っていいほど売れなかったようです。
リンゴの歌はお世辞にも上手くはありませんが、
彼が好きだったカントリー・ナンバーを網羅したこのアルバムを
私はジャケット全体がコーティングされたUK盤(英国プレス)で持っていました。
そんなレア?な物をなぜ持っていたのかと言うと、
昔々勤めていた某レコード店に大量の在庫があり(千枚以上は有ったと記憶してます)
500円の売値でも一向に在庫が減らないことが不憫に思えて買ってしまったのです。
確かこの後は300円に値下げされた筈ですが、じゃあ何故千枚以上も在庫が有ったのかと言うと
その当時、海外のバイヤーから輸入盤を仕入れる時はタイプで打たれたリストが送られて来て
売れ筋や新譜を安くしてもらう代わりに、処分に困っている旧譜もセットで買わされたのです。
その貢献度が仕入れ価格に反映されるわけで、このリンゴの(売れ残り)アルバムも
無理やり押し付けられて大量に在庫を抱えてしまう羽目になったのです。
私も持っているだけで、敢えて「聴きたい」とは思ったことが無かったのですが
今こうして聴いてみると素朴な歌声が実に味わい深く感じられます。
ジェリー・リード、ピート・ドレイク、チャーリー・ダニエルズ、D.J.フォンタナによる演奏に支えられ
とても上機嫌で歌っているリンゴの姿を想像してしまいます。
いつも思うんですが、アナログ・ディスクの30Cm角というサイズは
写真やロゴ、デザインを含めて一番妥当な大きさだと今でも実感しています。
どんなに小さなフォントでも文字は全部読めますし
その文字の配置やデザインが絶妙なアートを醸し出してくれます。
これはCDのサイズでは絶対に表現できないものです。
裏ジャケをこんなふうにレイアウトしたり、
見開きジャケットの内側がこんなふうだったり、
歌詞やクレジットまで全部そのまま読むことができます。
レイアウトの自由性という点では、この30Cm角が限界でしょうね。
つまりは究極のアートと言えるわけで、当時は「ジャケ買い」が多かったことも頷けます。
お次はデイヴ・メイスンにキャス・エリオットが絡んだブルー・サム時代のアルバム、
ママス&パパスで鍛えぬいた彼女のコーラスが絶妙な一品です。
現在でもCDで購入できるようですが、前々からアナログで聴きたかった1枚でもあります。
それに何と言っても見開きジャケットの大きな写真がたまらない魅力です。
クレジットが無いので不確かですが、このモノクロで髪に風を当てる構図、
たぶんノーマン・シーフの手によるものじゃないかと思います。
数多くのジャケット写真を手掛けた彼の作品もまた、アナログ時代の象徴なのです。
それにしても・・
老朽したSHUREのボロボロなカートリッジも立派ですが
毎夜褒め称えているFE-103、アナログ盤も見事に再生してくれてます!(嬉)
*
埃がハラハラと降るのをものともせずにレコード盤が掛けられるようにしました。
かなり強引、休日の明日まで待てば掃除もできたのかも知れませんが
思い立ったらすぐ実行に移すのが、深夜のかずら元年なのであります。
DENONのMCカートリッジ、DL-103はさすがにくたびれているようなので
SHUREのM-97HEという、これまた骨董的に20年ほど放置してあった物と交換しました。
カンチレバーもダンパーも、たぶん耐用年数の限界を超えているんでしょうけど
案外と使えるもんですね、感心してます(笑)
音の輪郭が明快なSHUREのパチッ!というスクラッチ・ノイズ、気持ちいいですねぇ~
アナログの醍醐味ここにあり、て感じで楽しくなります。
アナログの時代は音楽を聴く上で避けて通れなかったノイズ音、
これがまた実に懐かしい風情なのです。と言うよりも、音楽の一部なんでしょうね。きっと。
最初に引っ張り出してみたのはリンゴ・スターの「BEAUCOUPS OF BLUES」
1970年にアップルから発売されたカントリー・ソングのカバーアルバム。
本場ナッシュビルの大御所ミュージシャンをバックにレコーディングされた物でしたが
発売当時は全くと言っていいほど売れなかったようです。
リンゴの歌はお世辞にも上手くはありませんが、
彼が好きだったカントリー・ナンバーを網羅したこのアルバムを
私はジャケット全体がコーティングされたUK盤(英国プレス)で持っていました。
そんなレア?な物をなぜ持っていたのかと言うと、
昔々勤めていた某レコード店に大量の在庫があり(千枚以上は有ったと記憶してます)
500円の売値でも一向に在庫が減らないことが不憫に思えて買ってしまったのです。
確かこの後は300円に値下げされた筈ですが、じゃあ何故千枚以上も在庫が有ったのかと言うと
その当時、海外のバイヤーから輸入盤を仕入れる時はタイプで打たれたリストが送られて来て
売れ筋や新譜を安くしてもらう代わりに、処分に困っている旧譜もセットで買わされたのです。
その貢献度が仕入れ価格に反映されるわけで、このリンゴの(売れ残り)アルバムも
無理やり押し付けられて大量に在庫を抱えてしまう羽目になったのです。
私も持っているだけで、敢えて「聴きたい」とは思ったことが無かったのですが
今こうして聴いてみると素朴な歌声が実に味わい深く感じられます。
ジェリー・リード、ピート・ドレイク、チャーリー・ダニエルズ、D.J.フォンタナによる演奏に支えられ
とても上機嫌で歌っているリンゴの姿を想像してしまいます。
いつも思うんですが、アナログ・ディスクの30Cm角というサイズは
写真やロゴ、デザインを含めて一番妥当な大きさだと今でも実感しています。
どんなに小さなフォントでも文字は全部読めますし
その文字の配置やデザインが絶妙なアートを醸し出してくれます。
これはCDのサイズでは絶対に表現できないものです。
裏ジャケをこんなふうにレイアウトしたり、
見開きジャケットの内側がこんなふうだったり、
歌詞やクレジットまで全部そのまま読むことができます。
レイアウトの自由性という点では、この30Cm角が限界でしょうね。
つまりは究極のアートと言えるわけで、当時は「ジャケ買い」が多かったことも頷けます。
お次はデイヴ・メイスンにキャス・エリオットが絡んだブルー・サム時代のアルバム、
ママス&パパスで鍛えぬいた彼女のコーラスが絶妙な一品です。
現在でもCDで購入できるようですが、前々からアナログで聴きたかった1枚でもあります。
それに何と言っても見開きジャケットの大きな写真がたまらない魅力です。
クレジットが無いので不確かですが、このモノクロで髪に風を当てる構図、
たぶんノーマン・シーフの手によるものじゃないかと思います。
数多くのジャケット写真を手掛けた彼の作品もまた、アナログ時代の象徴なのです。
それにしても・・
老朽したSHUREのボロボロなカートリッジも立派ですが
毎夜褒め称えているFE-103、アナログ盤も見事に再生してくれてます!(嬉)
*
2012年2月24日
「G」繋がり
すでにご承知の通り、私は優柔不断で一徹さに欠ける人間である。
飽きっぽい性格を見透かされないよう、切り替えの速さに置き換えたりもしながら
あちらこちらをつまみ食いしながら、しぶとく生きている。
それはある意味では堂々巡りとも言えるのだが、仮に元の鞘に納まったとしても
そこへ至るまでの過程が面白いのだし、もっともらしい理由付けを考えることも無駄ではないと
そう勝手に思い込んだまま60年近くを生き抜いてきたわけである。
前置きはさておき、Gibsonが自分にとっての原点だとツイートすると
友人から「あなたにはGuildが似合っている」と返って来た。
もちろん両方共、私の大好きなギターであることは間違いない。
GibsonとGuildは、マホガニーモデルに関してはとてもよく似た性格を持っている。
どちらも私好みの太くてウッディーな音で鳴ってくれるのだが
ザクザクとパーカッシブなGibsonに対して、Guildの方は倍音成分の艶が乗り
大音量でやや深く重い音になる傾向がある。けれど音離れはいい。
板厚が薄く軽いボディと相まって、スコーンとした抜けの良さが気持ちいいのだ。
とにかく音はバカでっかい。
コンパクトな音量のGibsonと比較すると倍くらいの音圧がある。
もしもPAを通さずに歌ったなら、たぶん声量が負けてしまうほどの音なので
私はセーブすることもなく一晩で喉を潰してしまうくらいの勢いで歌わなくてはならないだろう。
けれども「かずら元年」のスタイルを変えずにこのまま歌い続けるのだとしたなら
それも悪くはない選択なのだと思う。
私のことをよく分かっている男の言葉だ。
その返信を見て、よーしやってやろうじゃないかと喧嘩腰になってきた。
挑むよ。Guildを従えてガツーン!と行ってみるよ。
GibsonもGuildも元年も、どれもガッツ溢れる「G」繋がり。
おまけにGは私が好んで使うコードでもあるし、ジジイのGでもあったりする。
さあ、Gで行くよ!Gで!!
などとツラツラ書いている傍で流れているのはJ.T
ローズウッド・サドルのJ-50、いい音してるなあと感心しきり。
今宵もFE-103と共に夜は更け行く。
外は春の匂いをいっぱいに纏った雨が降りしきっている。
*
2012年2月23日
ラジオ・モニターがあった時代の音楽ですから
70年代のアルバムはどれも、音がぎっしりと詰め込まれてなくて
楽器間の隙間だらけの、その音の空間が大好きなんです。
そこの部分に人間の息遣いや感情を感じるのでありまして
隙間を埋めて包み込むような歌声が、なんともいえず心に沁み入ります。
FE-103で聴く今夜のハーヴェストもいいですね。
スピーカーの持つ控えめな音質のせいか、
「A MAN NEEDS A MAID」のストリングスも大袈裟に聴こえません。
そして名曲「HEART OF GOLD」のシンプルなリズム、
私が抱くドラムの理想の音は、未だにこれが基本になってるくらい好きなんですが
それが一番いい状態で耳に入って来ます。
改めて・・恐るべし、103!!(しかもボロボロの年代物)
ゆるゆると音楽に浸るときには欠かせないですね。
昨夜掛けていたバッファロー・スプリング・フィールドも実に良かったです。
昔、JBLの4311で聴いていた頃の印象とは大きく異なり
原盤のATCOレコードが意図していたサウンドがようやく分かったような気がしています。
音が厚く中域を重視したこの時代の音作りは
その当時の民生用オーディオ機器の非力な再生能力を補うためと
帯域が極端に狭いAMラジオやカー・ラジオで聴くリスナー向けだったんでしょうね。
レコーディング・スタジオにはオーラトーンの5Cなど「ラジオ・モニター」も有ったくらいで、
最終のミックスダウンはラジオでも良い音が出るように行われていました。
これらを「いまどき」のオーディオで掛けても、いい音がするわけないんです。
たとえ音質は劣悪でも
AMラジオやお店の有線放送、はたまた商店街でふと耳にするこの時代の音楽。
それがとても素敵に聴こえるのも、同じ理由からなんだと思います。
ハイファイばかりがいい音ではない(場合も)あるのですよ。
*
2012年2月22日
ギターもスピーカーも、楽器なのです。
行ったり来たりを繰り返しながら
人は再び同じ場所へと戻って来るのでありまして
その瞬間の懐かしい匂いがとても愛おしくなるものです。
ザクザクとパーカッシブな音を刻むには
やはりこのギターでなければなりません。
そう気付いた今夜の私でありますが、これもおそらく
FE-103が奏でるアナログ・サウンドを彷彿とさせる音に毎夜浸っているからでしょう。
「良い音」とは、決して響きがよくて美しいものだけとは限りません。
たとえレンジが狭く、さほどのサスティーンを感じさせないものだとしても
その人、その歌には、それが一番よく似合うことだってあるのです。
所詮は好みの世界、オールマイティーである必要は無いんですからね。
ちっぽけな図体のFE-103が、それを教えてくれたような気がします。
そんなわけで、今宵も70年代の音に浸りきっているのです。
音楽は中域重視、この時代のどのアルバムからも
意図するサウンド・ポリシーが伝わって来ます。
そろそろ手持ちのCDは全て聴き終えてしまいそうです。
早くアナログ・プレーヤーを手入れして、レコード盤が掛けられるようにしなければ
聴くものが無くなってしまうどころか、すぐにでも聴きたいアルバムを見つめるだけになってしまいます。
ディスクはバッファロー・スプリング・フィールドに変わりました。
60年代の(もっこりした)ATCOレーベルの音、気持ち良く鳴ってくれてます。
たぶんレンジを広げた最近のスピーカーでは、この雰囲気は楽しめないでしょうね。
それどころか、粗が目立って聞き苦しく感じるかも知れません。
けれども私が好んで聴くアルバムは全て60~70年代にかけてのもの。
レンジの狭い音がちょうど良いのです。
今、スティルスの「BLUEBIRD」が掛かっています。
ええ音じゃあ~♪
*
2012年2月21日
薀蓄を語る
今宵もまたFE-103のチープな音を楽しんでおります。
70年代の音楽を聴くにはJBLかALTEC、はたまたFostexのいずれかでなければ!
そう頑なに思うようになってしまいました。
昨夜のJ.J.CALEとの相性にも素晴らしいものがありましたが、
72年にジョン・サイモンのプロデュースで作られたこのアルバムも抜群の音質で鳴ってくれます。
まるでウッドストックの空気が伝わって来るようです。
代表曲である「スモール・タウン・トーク」は文句なしの名曲ですが、
今まであまり興味を示すことがなかった曲も素敵な雰囲気に包まれていることに
改めて気付かされるあたりがFE-103のおかげなのかも知れませんね。
とにもかくにも、フルレンジ1発が醸し出す音は
多少レンジが狭かろうが、上から下までどの帯域もとてもスムーズです。
2発3発のユニットを繋げた時のクロスする帯域のピークやディップが無いからでしょうね。
特にこの10Cmという非力に感じてしまうほどの小口径が実にいい!
大昔に20Cmのユニットを1発で鳴らしたことがありますが、
口径がデカイだけあって中高域はツイーターを追加しないと篭った音になってしまいました。
その点、10Cmという小ささは周波数特性的には有利に働くのでして
妙に強調されるところも無くフラットな特性のまま鳴ってくれるのです。
FE-103についてあれこれ想いを馳せているうちに
その昔、奇抜なアイディアで名作を多数世にだした長岡鉄男氏が設計した作品の中から
バックロードホーンを横向きにした形状のスパイラルホーンを思い出しました。
内部の構造はこんな感じです。
横に渦巻いているので当然箱の厚みは薄くなり、バッフル面が広くなります。
これを天井近くの高い位置にセットして、部屋そのものがホーンの延長となるように
そんなアイディアから生まれた形状なのです。
私の部屋、床に関してはかなり手狭になってますから、これを作ってみたくなりました。
旧い家なので、長押から天井までは60Cmほどの十分なクリアランスがあります。
長押に乗せる形で壁面に固定すれば吊り下げよりも良い結果が得られそうなので
昔のスタジオ・モニターみたいに高い位置にセットしてみようかなと。
さすがにこれのキットは無さそうなので、ラワン合板を切って自作するか
どなたかがヤフオクで売りに出しているのを見つけるしかないですけどね。
ディスクはライ・クーダーの「紫の峡谷」に変わっておりますが、
ライが弾くスライドの音が生々しくてびっくりします。
ちょっと歪ませたギターのリフも、とてもリアルに聴こえてついニヤッとしてしまいそう。
飲みながら聴くには最高です。
*
2012年2月20日
続・FE-103
わずか10Cm口径のフルレンジ、FE-103で聴く音楽はどれも楽しいです。
アコースティック楽器と声の帯域が、癖が無くて特にいいですね。
昨晩の予告通り今宵はジャック・エリオットを堪能しております。
あまりの楽しさから、暖かくなったら部屋の配置換えを敢行して
埃まみれになってるアナログ・プレーヤーを手入れしてあげて
わずかに残ったレコード盤も聴けるようにしようかと思っております。
この音、アナログ・ディスクの方がもっと楽しそう!
ただ、10個くらいある手持ちのカートリッジはMMもMCも
どれも10年から20年前の旧い物なのでまともにトレースできないでしょうから
音が太くて安いSHUREのM44Gあたりを1本買おうかしらと思っていたら・・
ちょっと胸騒ぎのするモデルを見つけてしまいました。
しかも実勢価格¥2200と、交換針より遥かに安い!
オルトフォンのオメガというMMカートリッジであります。
適正針圧1.75g、出力電圧4mVと、DJ用に比べると扱い易そうな数値でして
ヘッドシェルにマウントするとこんな風貌です。
私の本来の好みは無骨なほどに四角い箱型のボディなんですが
これ、針先も見え易くて視力の衰えた身には良いかも知れませんからね。
FE-103には癖の少ない音質のカートリッジの方が良さそうな気がするので
ドンシャリ感の大きなSHUREよりも合うと思います、たぶん。
ディスクは替わり、J.J.CALEの「ナチュラリー」
なんだかアナログ盤を掛けてるような錯覚に陥る音質です。
懐かしい!そして楽しい!!
しばらくは(旧式)オーディオにハマリそうな感じの今日この頃。
ちなみに今聴いてるこのディスク、かなり昔に購入したCDなんですが
「ナチュラリー」と「リアリー」初期LP2枚が1枚にパッケージされたお得盤。
ノン・ストップで一番好きなアルバムが2枚ともいっぺんに聴けるわけでして
これもまた楽しさを増幅させる一因でもあるのです。
*
2012年2月19日
FE-103バンザイ!
ふと思い立ち、ずっと使っていなかったプリメイン・アンプをコンセントに繋ぎ
埃を掃ってから恐る恐る電源スイッチを入れてみました。
なんたって5年くらい前にハード・オフで五千円で購入したジャンク物、
それを更にほったらかしていたわけなのですからね。
けれどそんな不安をよそに、リレーもきっちり作動して無事電源が入りました。
心配していたボリュームやスイッチ類のガリも全く無かったのは驚きです。
ハード・オフのジャンクの中では当たり物だったんでしょうかね。
ちなみにこのアンプ、テクニクスのSU-A900というMOSクラスAA回路を持つ一品でして
音の線が細くならず、なかなかに深みのある音色なのですよ。
真空管アンプの感触に近づけるため、長年擬似A級動作を研究してきた同社の傑作かも知れません。
MCカートリッジ用のヘッドアンプが搭載されてるのも美味しいところですが、
(これまたほったらかしの)アナログ・プレーヤーの手入れには時間が掛かるので
今夜は断念してCDプレーヤーを繋いでの音出しです。
それも、敢えてこんなチープなスピーカーで。
これもジャンクで二千円だったFostexのFE-103という10Cmのフルレンジがマウントされた箱。
本来のモニタースピーカーには目もくれず、今夜はこれを鳴らしたい気分になったのです。
さすがに10Cmの小さなユニット、バスレフではあっても低域は細くなってしまいます。
けれど1発というのは定位感が抜群に良くて、小音量で聴くにはとてもいいんですよね。
特にFostexのユニットは篭った感じが無く、音抜けが良いのも好きなところです。
このジャンクのスピーカー、コーンやエッジを見る限り30年以上は経過してるんでしょうけど
今も衰えることなく元気に勇ましく鳴ってくれてます。
この音に浸っていると、10Cmをマウントしたバックロードホーンもいいかも知れませんね。
ディランを2枚掛けた後、今はブルーノートの名盤「サムシン・エルス」を聴いていますが
マイルス・デイヴィスのミュートしたトランペットの音がすうーっと抜けて
ハンク・ジョーンズの厚いピアノが埋もれずに聴こえて来るのが快感ですなあ。
いやあ、実にいい。FE-103バンザイ!な気分です。
キーボードを叩いていて、なんだか人差し指が痛いなあと思って見てみると
第一関節の辺りから血が滲んでいました。
どうやらアンプのケーブルを引っ張り出す時に粗目状の壁面と擦れたようです。
何かに夢中になってると、怪我をしてても気付かないものなんですよねぇ(笑)
*
埃を掃ってから恐る恐る電源スイッチを入れてみました。
なんたって5年くらい前にハード・オフで五千円で購入したジャンク物、
それを更にほったらかしていたわけなのですからね。
けれどそんな不安をよそに、リレーもきっちり作動して無事電源が入りました。
心配していたボリュームやスイッチ類のガリも全く無かったのは驚きです。
ハード・オフのジャンクの中では当たり物だったんでしょうかね。
ちなみにこのアンプ、テクニクスのSU-A900というMOSクラスAA回路を持つ一品でして
音の線が細くならず、なかなかに深みのある音色なのですよ。
真空管アンプの感触に近づけるため、長年擬似A級動作を研究してきた同社の傑作かも知れません。
MCカートリッジ用のヘッドアンプが搭載されてるのも美味しいところですが、
(これまたほったらかしの)アナログ・プレーヤーの手入れには時間が掛かるので
今夜は断念してCDプレーヤーを繋いでの音出しです。
それも、敢えてこんなチープなスピーカーで。
これもジャンクで二千円だったFostexのFE-103という10Cmのフルレンジがマウントされた箱。
本来のモニタースピーカーには目もくれず、今夜はこれを鳴らしたい気分になったのです。
さすがに10Cmの小さなユニット、バスレフではあっても低域は細くなってしまいます。
けれど1発というのは定位感が抜群に良くて、小音量で聴くにはとてもいいんですよね。
特にFostexのユニットは篭った感じが無く、音抜けが良いのも好きなところです。
このジャンクのスピーカー、コーンやエッジを見る限り30年以上は経過してるんでしょうけど
今も衰えることなく元気に勇ましく鳴ってくれてます。
この音に浸っていると、10Cmをマウントしたバックロードホーンもいいかも知れませんね。
ディランを2枚掛けた後、今はブルーノートの名盤「サムシン・エルス」を聴いていますが
マイルス・デイヴィスのミュートしたトランペットの音がすうーっと抜けて
ハンク・ジョーンズの厚いピアノが埋もれずに聴こえて来るのが快感ですなあ。
いやあ、実にいい。FE-103バンザイ!な気分です。
キーボードを叩いていて、なんだか人差し指が痛いなあと思って見てみると
第一関節の辺りから血が滲んでいました。
どうやらアンプのケーブルを引っ張り出す時に粗目状の壁面と擦れたようです。
何かに夢中になってると、怪我をしてても気付かないものなんですよねぇ(笑)
*
2012年2月18日
いいんです、大人気ない男のままで。
四ヶ月ぶりに訪れたNO BORDER、
ステージにAKGのコンデンサー・マイクがピンで立ってたり
いつの間にやらSoftBankのワイファイが導入されてたり
目にする物に驚く、ちょっとした浦島太郎状態でありました(笑)
久しぶりのライブ、時間は短かったものの
とても楽しく歌うことができました。
心と体が勝手に反応して、いつもと変わらぬ調子に乗って行く
やはり生はいいもんです。
うだうだと、頭の中で考える必要などないのです。
いや、仮に思い詰めたり考え込んだりしたとしても
答なんて簡単に見つかる。
それが生の醍醐味なんでしょうね。
昨日(正確には今日)45歳を迎えたタケーシー、
素敵な友人たちに囲まれる彼もまた、良い歳の取り方をしているようです。
昨晩のTaCasy45、ストラトを構えゴキゲンな表情ですね。
さて私はというと、腰痛に悩まされながらも反町まで電車で行った甲斐があり
この店でしか飲めぬ旨いビールを数杯頂くことができました。
この「外飲み」も実は久しぶり、車で行かなくてよかったあ~と心底思いました。
そんなわけで、当初は早々に電車で帰るつもりだったのですが
もう一杯・・もう一杯、と飲むうちに、「流れ」で東白楽まで数人と相乗りして
結局はボギーズ・タクシーのお世話になり、朝の4時頃の帰宅と相成った次第です。
(午前3時半の東白楽は、ボッタボタの雪が降りしきっておりました)
なんだか懐かしくって、2時頃に一度店を出て焙り家へと向かったのですが
途中で自転車に乗ったその店主とばったり出くわし(所用で早々に店を閉めた様子)
一緒に再び東白楽の店に舞い戻り、カウンターで四方山話が出来たことも嬉しい誤算でした。
彼にも話したんですが、実は私、大きな勘違いをしておりまして
そのモヤモヤが四ヶ月ぶりのライブですっきりと解消されたのでありました。
今年還暦を迎える私、パワー全開の従来のスタイルを変え
少々楽をして、歌い続けるための「延命措置」を密かに練っていたのですが
いつも通りの(こぶしを利かせる)ライブを終えてみて
この直球勝負が失せてしまうと私ではなくなることに気付いたのです。
かずら元年は、やはりガツーン!と歌ってなんぼのもんです。
それが辛くなったら、潔く引退するしかないのだと昨日思いました。
いいんです、大人気ない男のままで。
歳相応の燻し銀のような渋さなんて求めません。
青二才のまま天寿を全うしますんで、永久微熱少年のかずら元年をどうかよろしく!
今夜もfacebookでシェアされた映像をご紹介しましょう。
私が自身の言葉で歌を書き始めた高校生だった頃に衝撃を受けた映画が数本あります。
「ウッドストック」や「中津川フォーク・ジャンボリー」、「卒業」や「レット・イット・ビー」など
これらは未だに私の音楽観の原点でもあるわけですが、
その中から「レット・イット・ビー」に於けるアップル本社屋上でのライブのフル・バージョンを。
これは見応えがあります。
The Beatles - Rooftop Concert (Full Version)
*
ステージにAKGのコンデンサー・マイクがピンで立ってたり
いつの間にやらSoftBankのワイファイが導入されてたり
目にする物に驚く、ちょっとした浦島太郎状態でありました(笑)
久しぶりのライブ、時間は短かったものの
とても楽しく歌うことができました。
心と体が勝手に反応して、いつもと変わらぬ調子に乗って行く
やはり生はいいもんです。
うだうだと、頭の中で考える必要などないのです。
いや、仮に思い詰めたり考え込んだりしたとしても
答なんて簡単に見つかる。
それが生の醍醐味なんでしょうね。
昨日(正確には今日)45歳を迎えたタケーシー、
素敵な友人たちに囲まれる彼もまた、良い歳の取り方をしているようです。
昨晩のTaCasy45、ストラトを構えゴキゲンな表情ですね。
さて私はというと、腰痛に悩まされながらも反町まで電車で行った甲斐があり
この店でしか飲めぬ旨いビールを数杯頂くことができました。
この「外飲み」も実は久しぶり、車で行かなくてよかったあ~と心底思いました。
そんなわけで、当初は早々に電車で帰るつもりだったのですが
もう一杯・・もう一杯、と飲むうちに、「流れ」で東白楽まで数人と相乗りして
結局はボギーズ・タクシーのお世話になり、朝の4時頃の帰宅と相成った次第です。
(午前3時半の東白楽は、ボッタボタの雪が降りしきっておりました)
なんだか懐かしくって、2時頃に一度店を出て焙り家へと向かったのですが
途中で自転車に乗ったその店主とばったり出くわし(所用で早々に店を閉めた様子)
一緒に再び東白楽の店に舞い戻り、カウンターで四方山話が出来たことも嬉しい誤算でした。
彼にも話したんですが、実は私、大きな勘違いをしておりまして
そのモヤモヤが四ヶ月ぶりのライブですっきりと解消されたのでありました。
今年還暦を迎える私、パワー全開の従来のスタイルを変え
少々楽をして、歌い続けるための「延命措置」を密かに練っていたのですが
いつも通りの(こぶしを利かせる)ライブを終えてみて
この直球勝負が失せてしまうと私ではなくなることに気付いたのです。
かずら元年は、やはりガツーン!と歌ってなんぼのもんです。
それが辛くなったら、潔く引退するしかないのだと昨日思いました。
いいんです、大人気ない男のままで。
歳相応の燻し銀のような渋さなんて求めません。
青二才のまま天寿を全うしますんで、永久微熱少年のかずら元年をどうかよろしく!
今夜もfacebookでシェアされた映像をご紹介しましょう。
私が自身の言葉で歌を書き始めた高校生だった頃に衝撃を受けた映画が数本あります。
「ウッドストック」や「中津川フォーク・ジャンボリー」、「卒業」や「レット・イット・ビー」など
これらは未だに私の音楽観の原点でもあるわけですが、
その中から「レット・イット・ビー」に於けるアップル本社屋上でのライブのフル・バージョンを。
これは見応えがあります。
The Beatles - Rooftop Concert (Full Version)
*
2012年2月16日
ギャイーン!
健康診断終了。
昨年と比べ腹囲1Cm、体重1Kg増加しておりました。
細い体ではあっても、間違いなくメタボ化は進行しているのでしょう。
前回「要観察」の烙印を押された悪玉コレステロールの値、
後日知らされるであろう結果がとても気になるところではありますが
バリウム一気飲みで締めくくった後の半日ぶりの煙草と飯が、どれほど美味しかったことか!
先日、古典的なバックロードホーンへの憧れを書きましたが
やはりそれには球のアンプが不可欠ですよね。
KT88をマウントした手ごろなプリメインのキットを見つけました。
ザ・キット屋というショップのSV-mini88というモデル。
入力はラインのみですが、フォノ・アンプは持っているので問題ありません。
出力は定格で8W+8W、能率の高いバックロードホーンであれば十分でしょう。
別売でボンネットもあるようですしデザインが良いのでちょっと惹かれてます。
よんきゅっぱ、かあ・・うーん。
春になって部屋の模様替えをする気分になったら真剣に考えてみます。
さて、明日は朋友タケーシーのバースデー・イベント。
私にとっては四ヶ月ぶりのステージとなります。
久しぶりなのでギターを手入れして弦も張り替えたのですが
昨晩から腰の左側に鈍い痛みがあって、ある角度になった時にギャイーン!と激しく痛みます。
(実はギターを弾いてる時も、ある瞬間にギャイーン!と)
これにはちょっと参ってます。
ギターケースを携えて、果たして店まで辿り着けるのか。
大きな難関ではあります。
明日の朝の調子はどうなんでしょうかねぇ?
オラ知らねぇ、腰に聞け(投げやり)
「TaCasy 生誕祭」 2月17日(金)反町NO BORDER
OPEN 19:00 START 20:00 MC¥500
出演:TaCasy、WINNIE、かずら元年(他ゲスト有)
NO BORDER 横浜市神奈川区松本町4-28-2 Rotunda1F
TEL 045-314-8985
*
2012年2月14日
ナロー・レンジの音が好き
この無骨な形の箱、バックロードホーンと言います。
フォステックスからキットで販売されていたBK-20というモデルで
その大きさもさることながら、確か1本が20Kgほどの重量だったと記憶してますが
友人と秋葉原から家まで運び、手にマメを作りながら組み立てたのは35年ほど前でしょうか。
これにFE-203という当時定番のダブル・コーンのフルレンジ・ユニットを組み込んで
ご近所から苦情が殺到するほどの大音量でレコードを掛けていた頃が懐かしく思えます。
スコーンと抜けて音離れが良いせいで、とても爽快な気分になるんですもん(笑)
さすがにデジタルに移行してからというもの、最近では見かけなくなってしまいましたが
敢えて今、この無駄に思えるくらいの図体のこいつを鳴らしてみたい欲望に駆られています。
アナログ盤を心地好く鳴らすためには、こういう大仕掛けが必要なのでして
小さなしょぼいスピーカーでは鳴らしきれない音というのがあるのです。
私が組み立てた物は引越しの折に友人に譲ってしまったので手元にはありませんし、
今さらここまで大型の物を置くスペースも無いので、もう少し小型の物がいいですね。
ネットで探してみると・・ありました。長谷弘工業(株)バックロードホーン自作キット
http://www.spnet.ne.jp/~hasehiro/product/backroadhorn.html
この中の16Cmユニットをマウントするくらいの物が手ごろな感じですが
FOSTEXのFE-163を入れた姿を想像するとワクワクしますねぇ。
往年のFOSTEX FE-163、いい感じでしょ。写真を見てるだけでもうっとりしてしまいます。
現在はモデルも変わってしまい、高級な外観で高価な物になってしまったようですが
何とか探し出して当時のナローレンジで「紙臭い音」に浸ってみたいものです。
これ、ボーカルやアコースティック楽器を鳴らすにはとっても優れてるんですよ。
そしてアナログ盤に付き物の「パチッ!」というスクラッチ・ノイズ、
このノイズ音の抜けが良い物ほど音楽の表現力には適していた気がします。
コーン紙が軽い方がレスポンスも良かったんでしょうね、きっと。
あー欲しくなっちまったなあ。
しかしながら、後悔先に立たずとよく言いますが
およそ千枚ほどあったアナログ・ディスクのほとんどを手放してしまったことが悔やまれます。
手元に残っているのはわずか百枚足らず、名盤と呼ばれた物は全て金に変わってしまいました。
1枚で7万円の値段が付いた物もありましたが、もちろんその金が残っているわけもなく
お恥ずかしい限りです。とほほ。
*
2012年2月13日
間もなく完治!・・の予定
体調が思わしくなかったので数日間Blogを休んでました。
まだ喉に違和感が残りますが、間もなく全快することでしょう。
金曜に迫ったミニ・ライブに何とか間に合いそうなのでホッとしてます。
さてさて、こんな素敵な映像をfacebookで見掛けたのでご紹介します。
「Eat The Document」
1時間20分に及ぶディランの66年の英国ツアーのドキュメンタリーフィルムですが
いやあ、この時代のディラン、かっこいいですよ。
私が一番好きな時代のディランです。
おまけにツアーに同行したのがホークス(ザ・バンド)なわけですから、
まさに私好みの音で溢れていると言えましょう。
驚きだったのはロビー・ロバートソンのギター・フレーズがこの時すでに完成されていたこと。
66年という時代を考えると、それはとんでもないことなのです。
後半には車の後部座席でジョン・レノンと語り合う姿も見られます。
が、1時間20分はキツイ!という方は、YouTubeでタイトル検索してみてください。
細切れでシーンごとに楽しめると思います。
いいとこだけ見たい、という方は是非!
*
まだ喉に違和感が残りますが、間もなく全快することでしょう。
金曜に迫ったミニ・ライブに何とか間に合いそうなのでホッとしてます。
さてさて、こんな素敵な映像をfacebookで見掛けたのでご紹介します。
「Eat The Document」
1時間20分に及ぶディランの66年の英国ツアーのドキュメンタリーフィルムですが
いやあ、この時代のディラン、かっこいいですよ。
私が一番好きな時代のディランです。
おまけにツアーに同行したのがホークス(ザ・バンド)なわけですから、
まさに私好みの音で溢れていると言えましょう。
驚きだったのはロビー・ロバートソンのギター・フレーズがこの時すでに完成されていたこと。
66年という時代を考えると、それはとんでもないことなのです。
後半には車の後部座席でジョン・レノンと語り合う姿も見られます。
が、1時間20分はキツイ!という方は、YouTubeでタイトル検索してみてください。
細切れでシーンごとに楽しめると思います。
いいとこだけ見たい、という方は是非!
*
2012年2月9日
Prohibition Blues
ピ、ピンチです。
私の鼻が大量の水漏れを起こしています。
ゴミ箱はティッシュで溢れ
くしゃみ、はなみず、はなづまりの三拍子。
じゅるじゅるじゅる~(泣)
熱燗かーっと飲んで、素早く寝ます。
BGMは来日記念でヨーマ・コーコネン「Prohibition Blues」
おやすみなさーい。
*
2012年2月8日
After Midnight
まさかの風邪再発、
朝から鼻水が治まりませぬ。
こんな夜はJ.J.CALEを聴きながら、速やかに寝るべきでしょうな。
明日の朝も冷え込みそうです。
通勤通学の皆様、温かな服装でお出かけください。
それがしは半年振りとなる聖マリでの眼科検診へと赴きます。
全く完治はしないのですが、術後の経過だけは診て頂かないとね。
あ、嫌なこと思い出した。来週は健康診断だ!
あの白い悪魔、バリウムとの戦いが今年も目前に迫っています。
やだなあ。。
*
2012年2月7日
ゆるゆると・・
昨年の10月以来、長らくライブをサボっていたもんですから
ちょっとだけ娑婆の空気が恋しくなってきました。
ライブはおろか、外飲みも皆無でしたからね。
そんなわけで
今月、お誘いがあったのでミニ・ライブをやらせて頂きます。
友人TaCasyのバースデー・イベントにちょこっと。
久しぶりなので弾け飛んでしまうかも知れません(笑)
「TaCasy 生誕祭」 2月17日(金)反町NO BORDER
OPEN 19:00 START 20:00 MC¥500
出演:TaCasy、WINNIE、かずら元年(他ゲスト有)
NO BORDER 横浜市神奈川区松本町4-28-2 Rotunda1F
TEL 045-314-8985
HP http://www.geocities.jp/noborderyokohama/top.html
気が長くなったんですかね?
逸る気持ちが薄らいで、そんなにガツガツ歌わなくてもいいように思っちゃうんです。
歌いたくなったら歌えばいいか・・そんな感じ。
今年はこんな調子でゆる~くやって行きます。
先は長い(この歳になっておきながら)呑気にそう思ってます。
ご無沙汰している皆様には申し訳ありませんが
ゆるゆると(時折)歌いますので、かずら元年をお忘れなく。
あ、17日はTaCasyメインの日であります!!(笑)
*
2012年2月6日
2012年2月5日
ダブルでどーだ
二日ほど前から歯茎が炎症を起こしているせいか微熱があります。
人間の体はとても繊細で、こんな鈍い私でさえ
コンマ幾つのちょっとした熱で寒気を覚えてしまうものです。
そこで今夜は、大変贅沢にも部屋の暖房をダブルにしてみました。
灯油ストーブは熱量こそ大きいのですが、暖まった空気は全て天井に上がってしまいます。
特にこの形状の小型のタイプは前面があまり温かくなりません。
反面電気ストーブは、部屋が暖まらない代わりに直線的に前だけ温めます。
この千円ほどで買える安価な電気ストーブも、非力ながら近くに置くと足がとても温かくなるのでして
エネルギー消費の後ろめたさを感じつつ、今夜はダブルにしてみたわけです。
シロクマさん、ごめんなさい。
「ダブルでどーだ」と、今夜の日記のタイトルを思いついた裏には
その昔、イカ天に登場した宮尾すすむと日本の社長の代表曲「二枚でどうだ」を思い出したからに他ありません。
ふふ、今改めて聴いてもファンキーですよね。
昼間、娘の家に出向き、のんたんのお骨を引き取って来ました。
旦那さんのご両親が昨日花を手向けにみえて
ひと通りのお別れが済んだので、仲良しだったフェアリーの待つ我が家に帰って来たのです。
寝床として愛用していた形見のクッションも一緒に持ち帰ったので
残された仲間の猫たちが散々臭いを嗅いでいましたが、どうやらありがたく頂戴したようです。
しばらくすると気持ち好さそうに寝ていました。
そんなわけで「本日のポンタ」
時折見せるひょうきんな口元が愉快です。
あーうーではありますが、ずいぶんお喋りもするようになりました。
話しかけると、えへ~と笑うのですが
この愛想よさは誰に似たんでしょうかねぇ?
すでに芸人です。
*
2012年2月4日
任務遂行
休日だった今日は、車を使わずに遠くまで歩いてみました。
見慣れた風景が車窓からのものとは違うことは当たり前ですが、
硝子越しに目に入る光と、目の前に降り注ぐ光とでは
たとえUVカットの眼鏡を掛けていたとしても全く違うものなんですね。
足元の光が跳ねてる、そんな印象でした。
立春を迎えた町は、空気はまだ冷たいのですが
陽の光を受けた木々の葉が、どこか春の気配を感じさせてくれます。
数年ぶりにドコモショップへ足を踏み入れました。
地元の駅ビルの中に在る、どちらかというとローカルな店舗ですが
改札からすぐの立地条件のせいか、ここはいつも大勢の客で賑わっています。
ただ、どちらかというとアダルトな客層。中高年の女性客が目立ちます。
そのせいなのか、他店に比べるとスタッフの年齢もやや上のようで
落ち着いた口調と身のこなし、接客業のお手本のような対応に感心してしまいました。
悪い癖で、どんな店へ行っても表情や言葉遣い、手先とかに目が行ってしまうんです。
体に染み付いたサービス業の性?なんでしょうかね。
仕事の娘に代わり、本日予約開始のチョコレート柄のQ-potを申込みに行ったわけですが
さすが毎回人気の商品、田舎町とは言っても午後には初回入荷分が埋まってました。
(お店で聞いた話によると、なんと前夜から並んでいた女性も居たそうです)
次回入荷は2月14日の発売日から1週間ほど後になる模様ですが
限定5万台、なおかつ怖い長女に依頼されたミッション(ここ重要)
無事に任務を果たして次回入荷分をゲットできたので内心ホッとしています。
このモデル、当初の3万台から5万台に増えたとは言っても
どうやらドコモショップのみで完売しそうな勢いらしく、
街の携帯ショップでは入手できないだろうと予測されているそうで、
そんな話を後から聞かされると「はあ~よかったあ~」と改めて安堵してしまいます(笑)
今日、モックを手に取ってみましたが、触感もまさしくチョコレート。
娘の好きそうな、美味しそうな色合いでした。
帰宅した娘が上機嫌だったことは言うまでもありません。
*
2012年2月3日
鬼退治
深夜になってしまいましたが、今年もきっちりと豆撒きしました。
先日琴平神社で買い求めた福豆、御利益があると思います。たぶん・・ですが。
毎年、1階のリビング以外の場所(私の主たる生活空間)は私が撒き
リビングと2階(女房と長女の主たる生活空間)は女房が撒くことになっています。
今夜も二手に別れ、窓という窓の全てから鬼を追い払いました。
晩飯は恵方巻きを一本喰い。
北北西を向いたまま無言でかぶりましたとも。
・・鬼退治、できたのかしらね?
*
2012年2月2日
少しだけ懐が
かなり冷えてます。
ガス湯沸かし器の凍結注意インジケーターも点灯しているほどに
ここ横浜の「山間部」はとても寒い夜となりました。
雪が降らないだけマシですが、明朝の最低気温は氷点下2度とか。
貧相な灯油ストーブではパワー不足で、室温もあまり上がりません。
辛抱、ひたすら辛抱の、春を待つ凍える身でございます。
そんな私にプレゼントが。
光回線に切り替えた際のキャッシュバックが郵便為替で本日送られて来ました。
パッと消え失せてしまいそうな額面ですが、ちょっとしたお小遣いです。
少しだけ懐が温かくなりましたとさ。
*
2012年2月1日
南風吹く午後
南風が吹き、ほんのちょっぴり春の匂いがした今日、
のんたんは遠い空に向かって旅立って行きました。
ふだんの寝顔のまま、タオルケットが掛けられた小さな体は
わずか30分足らずで真っ白なお骨になってしまいましたが
病気だったとは言え、若かっただけにとても綺麗なものでした。
物静かで、どこか気品さえ感じさせる賢明な子だった彼女。
今頃は天国で親友フェアリーと再会していることでしょう。
葬儀を終えて、ひとまず娘の家に連れて帰りました。
週末に旦那さんの両親が花を手向けにいらっしゃるそうなので
それが済んだら、長年住み慣れた私の家で引き取る予定です。
残された仔たちにも、ちゃんとお参りさせなきゃね。
私と留守番をしていた長女の話を聞いて、ひとつ思い出したことがあります。
のんたんが息を引き取った頃に、2階の天井裏で大きな音がしていたそうで
実は同じ時間帯に、私の部屋と洗面所の間の壁の中を
小さな石ころが転がり落ちて行くような音を耳にしたのです。
それから間もなく女房から電話があり、亡くなったことを知らされました。
長女はすでに床に就いていたので、夜が明けてから伝えようと思っていたのですが
大変珍しいことに、ふだんは夜中に起きて来ない彼女が2階から降りてトイレに入ったので
その夜の内に訃報を伝えることができました。
翌日改めて聞いてみると、天井裏で音がしたり何だか寝付けない夜だったようです。
たぶん、のんたんの仕業ですね。
あの夜、住み慣れた家に帰って来たんだと思います。
ポンタは今日も長い距離を一緒にドライブ。
終始おとなしく寝ていましたが、家に戻って腹ごしらえが済むと
たくさん寝た筈なのに、すやすやと眠ってしまいました。
生後二ヶ月ほどだというのに、時折「お兄ちゃん顔」になります。
子供の成長は早いもので、それを目の当たりにすると
なんだか自分がとても歳を取ってしまったような気がします。
おかげで、この子に話しかける時は不覚にも
「おじいちゃんだよ~」なんて口にしてしまうのです。
嗚呼その姿、人様には見せられないほどにデレデレで
紛れも無く、爺さんになってしまっているのでした。
とほほ・・
*
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