2012年10月31日

冬支度


10月も終わり、そろそろ冬支度を始めなければなりません。
今日は冬物のパンツをまとめて7本洗濯しましたが
天気が良さそうなので、また明日も引き続き5本を洗濯する予定です。
・・え?計12本は多すぎるんじゃないかって?
お恥ずかしい話ですが、実はその内の半分はサイズが合わず履けなくなりました。
ここのところ、お腹がぽっこりしてきたもんで
ウエストが窮屈になってしまった物がほとんどなのです。
一度綺麗に洗ってから、仕舞うなり処分するなり考えようかと。。

午後から少しだけ陽が翳ってきましたが、外に干したまま散歩へ出掛けました。
途中、友人に電話した折「夕方頃に降るかも・・」と言われ空を見上げると
怪しげな黒い雲が西から東へゆっくりと流れて来るではありませんか。
こりゃいかん、せっかく洗ったのに濡れてはかなわん、とばかりに
急いで家まで戻り、全部取り込んでから再び散歩コースへと向かったのでした。
(自分で洗濯した物が雨に濡れてしまったら怒りが込み上げますもんね)

しかし・・
黒い雲はそのまま通り過ぎ、雨が降ることはありませんでした。
用心してるときってのは、得てしてこんなものなんでしょう。
急病の友人も快方に向かっているようで
めでたしめでたし、な10月最後の一日でございました。

ところで、昨晩のBlogのタイトル「Wet man」
憂いのある男、というつもりで書いてしまったんですが
よく考えたら「湿気た男」ですよね、こりゃあ。
かずら元年の人間性、言い得て妙です(笑)

2012年10月30日

Wet man


私のように、何度か入退院を繰り返した者であればいざ知らず
スポーツで鍛えた肉体を持ち、爽やかな笑顔の似合う者が急な病を患い
それが私よりも遥かに若い方だったりすると、何だかとても心配になります。
友人の体調が思わしくないと聞き、今夜は少々気を揉んでいるのですが
大事に至らず、快方に向かってくれることを祈るばかりです。

こんな夜は、何か爽やかな音はないかしらと
がさごそ探して出て来たのがアメリカでした。
(私の部屋にはヌメッとした音源の物ばかりなもんで)

結果、期待したほどの爽やかさは無かったのですが、私にはむしろそれが好印象。
個々の楽器もボーカルも、音が細くてクリアな音像なのですが
ぎらぎらの乾いたカリフォルニアの空ではなくて、少しばかり湿った影があります。
調べてみると、三人共イギリス育ちでアメリカン・スクールに通っていたそうです。
なるほど、やっぱりね。あの辺りの空気を吸ったミュージシャンは皆いいですよ。
かのイーグルスも、ファースト・アルバムは敢えてロンドンでレコーディングしてましたし
ややどろどろしてヌメッた感じの音のファーストが私は未だに好きですもの。
スコーン!と抜けるんじゃなくて、モノラルっぽく真ん中の芯がどっしりした音。
アトランティック盤が好きだったのも、その辺の音作りのせいだと思いますけどね。

いや、待てよ。
60年代後半に台頭して来たカリフォルニア・サウンドって
どれもブリティッシュ風な音に仕上げられてるなあ。。何故?
ま、ここから先は評論家諸氏やコレクターの方にお任せしましょう。

余談ですが、
iPhone5でこのアルバム・ジャケットを撮影したとき
イラストの顔に対して「顔認識」のインジケーターが働きました。
おまえ、賢いなあ!と、褒めてあげるべきなんでしょうかね?

さらに余談となりますが、
音楽も映画も文学も、少年時代から一貫して憂いを含んだものが好きなのは
私の心が病んでいるからなのかしら。
そんな男に気を揉まれても、前述の友人はありがた迷惑なのかも知れませんが
早く良くなって、いつもの笑顔を見せてほしいと願うのです。

2012年10月29日

冬はアナログだ!酒だ!人間だ!!


ほうぼう屋にて三十数年ぶりに再会したヨシムラくんから
店内で撮影したとても素敵な写真が届きました。
彼がバッグの中に忍ばせていたミラーレス一眼で撮られた一枚なんですが
私、こんなに柔らかな表情でカメラに収まるなんてこと滅多にありません。
歌ってるときよりも、よっぽどいい顔してますもんね。
旧友と酔いしれる時間が、よほど心地好かったんだろうなあと思います。

この絵が大いに気に入ってしまった私は、ふと思ったのです。
これは先々の葬儀に必ず使ってもらうべきだ!と。
かなり現実的な位置に居る私ですから、決して冗談で言ってるわけではありません。
こんな幸福そうな柔和な目で、皆さんとお別れできたなら素敵じゃないですか。

ただ、あまりそれを強調すると、撮った本人から縁起でもないと叱られそうなので
さらっとこれくらいに留めておきましょう(笑)
けど、いい絵だよなあ・・

いい絵といえばもう一枚。
やはりヨシムラくんから送られて来た酔っ払い三人衆。


さすが一眼、いい色合いしてますよね~
先日UPしたiPhoneで撮ったものとは奥行き感が違います。
前述の絵もそうですが、私みたいに薄っぺらな人間でも深みが出るっちゅーもんですわ。
いろんなものが凝縮されてるようで、とても温かな色彩の絵です。

そうそう、ツトムと寄った二軒目の店で飲みながら
「どう?機会があったらまた一緒に演りたい?」て、尋ねてみたんです。
すると彼、「そりゃあ演りたいさあ~」と、眠そうな目で答えてました。
ほぼ意識を失いかけてたんで、たぶん全然覚えてないんでしょうけどね(笑)
実現できるかどうかは別として、そう答えてくれたことが嬉しかったです。

あれからずっと、気分の良い夜が続くもんですから
今夜は久しぶりにアナログ・ディスクを回してみました。
テリー・メルチャーの声が、冷えた部屋の空気を暖めてくれます。


さて、次は何を回そうか?
などと考えている暇(いとま)も無く、ついいつもと同じジャケットを引っ張り出してしまいます。
ああ、やはり出て来てしまいました。ステファン・スティルスのCBS盤。
このアルバム、ほとんど話題にならなかったと思いますし
アトランティック盤も勿論いいんですが、私は妙に気に入ってるんです。


本日の総括として・・
冬はアナログだ!酒だ!人間だ!!
そう思えて仕方ないのであります。

2012年10月28日

こわやこわや・・


翌日、ツトム邸で目覚めたのは12時ちょうど。
家の前を走る車の音が間近でずっと聴こえていたせいか
夜中に何度も目が覚めたのですが、窓を締め切った部屋は明かりも入らず
おまけに家の中がしーんと静まり返っていたものですから
これはまだ起き上がるような時間ではないのだろうと思いながらうとうとしていたのです。
足元で寝ていた筈のタロウも居ないし、ツトムが犬の散歩から帰ったら起きようか
なんてこと考えながら焼酎臭い息を吐いて再びうとうと・・
暗がりの中で、ふと外してあった腕時計を見て「げっ!もう昼じゃん!!」てことになった次第。
奥さんや娘さんが在宅の日だったら「なんや、このおっさん」みたいに思われたでしょうな、きっと。
飲んで人様のお宅に泊めて頂いた翌日、昼近くになってからむっくりと起き上がり
食卓に用意された朝飯とも昼飯とも言えない微妙な時間帯に
奥様を目の前にしながら食事をする気まずさっていったらないですからね。
奥様も娘さんも所用で不在の日だったことが幸いでした。ふうぅぅ。。

ひとしきり会話をした後、帰りは井の頭線で渋谷へ出るのが良かろうと
ツトムが吉祥寺まで送ってくれると言うので、またまたお言葉に甘えることに。
細い裏道・抜け道も、日曜だったせいか五日市街道に出る直前で大渋滞。
悪いことしたなあと思いつつ、ようやく駅まで辿り着きそこでバイバイ。
歩き出してみて気が付きました、まだ酒が残ってる(笑)
吉祥寺なんて、いつ以来だあ?10年?15年?久しぶりだよなあと感慨に浸り
懐かしさのあまり、ちょいとその辺をブラついてみようかとは思ったものの
日曜の人並みは物凄く、おまけに再開発で景色は変わってしまってるし
田舎もんが歩き回るには酷な環境だろうと決め込み、そそくさと駅に入ってしまいました。
旅慣れてないと、こういうところが駄目なんですよね。

それにしても、東京って凄い処ですねぇ。
半ば強制的に流れに乗せられてしまうような怖さがあります。
山手線がホームに入って来るときのスピードに驚き、
それがわずか3分間隔で次の車両が入って来ることにまた驚き、
乗り損なっても次がすぐ来るのに、敢えて飛び乗る乗客の姿にまたまた驚き、
みんな、なんて忙しい暮らしをしてるんでしょうね。
分刻み、秒刻みの営みに慣れてしまった都会の人間たちのうねりが
この国を物凄いスピードで引っ張って行ってるような、そんな風に思えるのです。
渋谷駅のモヤイ像の顔を見ていると、なんだか憂いを感じます。
僕らが棲んでいた頃の、人通りもまばらだった渋谷には
呼吸できる隙間と実感できる空があったものですが
それが、今は無い。

駅前の、人とは認識できないほどの塊になった群衆を見てしまうと
いくら用事があったとしても、あの中へ身を投じることだけはできないでしょう。
電車の窓から見た情景は、まるで奈落でしたもの。
乗換えで素通りするしか、私にはできそうにありません。
もはや都会恐怖症にまで陥ってしまったのでしょうか。
こわやこわや・・


2012年10月27日

西荻窪にて


西荻窪ほうぼう屋さんにて、同窓会的な飲み会を催しました。
四十年ほど前、私が渋谷ジァンジァンで歌っていた頃のサポート・メンバーでして
左が7年ぶりに逢うベースのツトム、右が30数年ぶりの再会となったギターのヨシムラです。
二人とも当時はまだ高校生、私は二十歳になったばかりくらいだったでしょうか。
若く凛々しかった少年たちの姿も、今ではこんなになっちゃいました(笑)

それぞれの思い出やら記憶やらを肴に酒は進みます。
なんと言っても大昔の話ばかりですから、
誰かが当時のエピソードを口にしたとしても
三人の内の必ず一人くらいは思い出せないでいました。
老齢化のせいかも知れませんけどね(苦笑)

いやあ、ずいぶんと飲みました。
途中退席したヨシムラを見送った後もツトムと飲み、
閉店の時刻を過ぎていることにも気付かず居ました。
(女将、申し訳ない!だって居心地が良すぎたんですもの)


そそくさと会計を済ませ、近所の店で軽くもう一杯飲んでから
ほぼ意識を失いかけている上石神井のツトム邸へ向かうためタクシーを拾い
いきなり運転手に「京都まで行ってください」などと馬鹿な冗談を飛ばしつつ
無事に?ツトム邸のお布団に潜り込むことができました。
私、バタバタと大急ぎで横浜へ帰るつもりなどハナから無く
ツトムのお言葉に甘えて、当初から一泊させて頂く予定で来ていたのですが
日頃はひたすら朝を待ち、始発電車で帰宅することが多かったものですから
横になって寝られるというのはとても有り難いことでした。
彼の愛犬タロウが妙に懐いてきて、とりあえず口元をベロベロ舐められ
布団が敷かれると私が寝付く前までは足元で寝ていました。
久しぶりの犬との接触、それもまた嬉しかったなあ。

話は戻り、Blues居酒屋ほうぼう屋さん、お世話になりました。
期待していた通りの温かでいいお店でした。


一人で店を切り盛りしているスーちゃんも一緒にパチリ。
実はこの方、実力派ブルーズ・シンガーでもあるのですが
生き方に勢いを感じるほどパワフルな女性でした。
Facebookでは以前から繋がっていましたけど、お逢いするのは今回が初めて。
これもまた良き出会いとなりました。

人間て、いいなあ。


2012年10月26日

Hobo


中央線に乗るのは、いつ以来のことでしょう。
明日は西荻窪の駅に降り立ちます。
旧い友人と、止まったままの時間に潜り込んで
サニー・ボーイ・ウィリアムソンを聴きながら
旨い酒でも飲もうかという魂胆なのですが・・

楽しみです。

そして、
生きながらBluesに葬られたという
そんな女性にお逢いできるのもまた
楽しみで仕方ないのです。

私、一度だけでも頭を過ぎってしまったイメージを
なかなか元へ戻すことができない性癖なものですから
軽率に「淳子さん」て、呼んでしまいそうな気がします。
そのときは、呆け老人の戯言とお許しください。

今、いろんなことを思い出しています。
渋谷ジァン・ジァンの薄暗いステージと楽屋、
私のバックでベースを弾いていた少年とギターを弾いていた少年の影、
お坊ちゃま風少年の自宅に在ったラックスのアンプとフォスターのスピーカー、
断片的な石神井界隈の夏の風景・・

あの頃は、いつもお腹を空かしていました。
その飢えを凌ぐために、痩せた体を欲望で満たしていたのかも知れません。
十九、二十歳の、そんな時代。
人間は食べてなんぼ、そう思っていましたから
当時は餓死するんじゃないかという恐怖心に苛まれたものです。
眠れない夜、彷徨う都会、
寝ても覚めても、白昼夢のような毎日でした。

先日、還暦を迎えた私に女房がこう言いました。
「お互い、よくぞここまで生きて来られたもんだわ~」

・・深く頷いたことは言うまでもありません。




*画像はBlues居酒屋ほうぼう屋から転載

2012年10月25日

紙は愛してやまないのですが・・


iPhoneのユーザーである私としては、以前からiPadも欲しい物のひとつでした。
携帯の小さな液晶の中では完結できない部分を補いたいと思うのは当然のこと。
ましてや本を読もうとするには、ある程度大きな画面が必要になりますが
両方を持つにはコストが掛かりすぎますし、重複する機能が勿体ない。
そんな折、AmazonからKindleの日本発売が発表されました。
一番安いKindle Paperwhiteで¥8480、6インチ液晶ですが小振りなところがいいです。

この年齢になってしまうと、読みたい本があっても活字の小さな紙ベースの物は駄目。
老眼鏡を掛ければ済むことじゃないかと思われるかも知れませんが、
あれを着用すると「くっきりすっきり」しすぎてしまい、過剰な集中心が生じてしまうのでして
何事も曖昧さが一番だと思っている私にとっては、かなり辛い環境になるのです。
視覚的には文字をルーペで見るようなものですから、これは肩が凝ってしまいます。
他にも、読書中にコーヒーカップに手をやったり、ふと目を上げて辺りを見たりするときに
視界の先がボヤけてしまうのが老眼鏡を掛けたくない理由でもありますけどね。
要は、意識的に集中したりサクッと流したり、そのサジ加減を思いのままにこなすには
私の場合(ちゃんと見えてなくても)「裸眼」でなければならないのです。
眼鏡によって強制的に集中させられるのは御免被りたい。

などと話しながら女房と晩飯を喰っていると、
私よりもっと活字好き読書好きの女房が(私以上に)欲しがってしまいました。
パソコンもネットもまるで興味が無くアナログな暮らしぶりの彼女ですが、
ランニング・コストが掛からないという部分に重大な関心があるようです。

ああ・・言わなきゃよかった。
私が買ってしまうと奪われそうな勢いです(困惑)

でもね、これはあくまで私の場合ですよ。
何でもかんでもデジタル化されて、紙やインクが消滅してしまうのはもっと困ります。
若い方や視力に問題の無い方々は製本された物を愛してください。
気軽だから手軽だから、場所を取らないからと仰らずに
装丁や紙の匂い、指で頁を捲る感触を楽しみながら文学に浸ってくださいね!


2012年10月24日

石川町にて


文香に逢って来ました。

石川町から山手へ抜ける坂道、
イタリア山公園のすぐ近くの小さなギャラリーは
閑静な住宅地にぽつんと建っていました。
行き交う人もまばらで、
先が行き止まりなことから道路を走る車も無く
とても静かな時間の中でゆったりと過ごすことができました。

表で一服していたお父様に案内され中へ入ると、
1階には文香が少女時代に描いた幾つかの作品や
彼女が生前に愛してやまなかったハーレーダビッドソンに跨る写真、
子供ミュージカル時代の写真など、思い出の品々が並べられていましたが
やはり目を引くのはこの油絵の自画像、小学5年生のときの作品だそうです。
この髪型、この表情、私が覚えている文香はこのまんまでしたから
私の中では、彼女と過ごした時間があれ以来止まっているわけなのです。
成人して二児の母となってからは、一度も会っていなかったですからね。

文香が気を利かせてくれたんでしょうか、
私らが伺う直前まで、大勢のお客様で賑わっていたそうです。
お父様は遅くなった昼食を手短に済ませ、表で一服しているところでした。
伽藍と静かな空気と佇まいの中で
私の息子や娘と共に、お父様とゆっくりお話できたのが何よりです。

2階にはお父様の革工芸と、もうお一方の藍染めの作品が飾られていましたが
さすがにどれも見事な作りのものばかりで、
革の特性を知り尽くした者にしか成し得ない、繊細さと力強さを感じてしまいました。
(革のアートについてはまた後日にでも)

今日は娘と孫も一緒に行ったものですから
プレゼントだと言いながら、その場でお父様がこんな物を作ってくださいました。


10円玉くらいの大きさの(特性)ハロウィン・キーホルダー。
子供たちは学校なので、一人で来ていた長男にも二人分を用意してくれました。
思えばハロウィンですものね。
ギャラリーの外のテーブルには沢山のキャンディが置かれてました。
最終日の日曜、石川町駅界隈はパレードで賑わうそうです。

私、オリジナルのギター・ストラップを注文することにしました。
デザインと材質、アドバイスを受けながら煮詰めます。
柔らかで使い勝手の良い物が出来上がりそうですね。
楽しみ!


2012年10月23日

君は天然色


AYAKAに捧ぐ「革いい藍の物語」展

明日は革工芸作家である知人の個展に行って参ります。
今年の7月に幼い子供を残して急逝した29歳の娘に捧げるものであり、
その彼女が幼少の頃に描いた油絵も一緒に展示されているそうなので
彼女をよく知る私の娘や息子たちと共に出掛けるつもりです。

私が昔携わっていた子供ミュージカルがご縁となり
一時期は家族ぐるみのお付き合いもさせて頂いたお宅でしたから
彼女やその妹、父上や母上との懐かしい思い出がたくさんあります。
葉書の真ん中に載せられた肖像画は、今でもはっきりと覚えています。
十数前、お宅に伺ったとき居間に飾られていましたからね。

そうは言っても、目にした出来事と時間の経過との間にはいつも曖昧さがあります。
彼女のお通夜に伺い、お見送りをしたのはわずか三ヶ月前だというのに
記憶の中では、もうずいぶん昔のことのように思えてしまうのですから。
ただ、その曖昧さのおかげで、私の中の彼女は今でも少女のままなのです。
十数年前の思い出も、三ヶ月前の出来事も
昨日より昔のことは、すべて同じ器に収まっているからなのかも知れません。

文香(AYAKA)という名の、私が知っている少女時代の彼女に
明日もう一度逢えるような気がして仕方ないのは
果たして記憶の曖昧さからなのか、老人性のものなのか、
そこが微妙ではありますが・・(笑)

けれど、思い出という記憶は
むしろ曖昧な方がいいこともありますし、
その不確かな色や形がおぼろげに見えることで
或る物や出来事の幾つかだけが鮮烈に蘇るんだと思うのです。

一昨日の「モノクローム」も、そういうことなのでして、
断片的に「フルカラー」となるのです。

・・故に、君は天然色!


2012年10月22日

ドロン!


間に合わせで購入したバンパーが手に馴染まず
思い切って裸にしてしまったiPhone5でしたが、
ツルンと滑って落っことしてしまうのが怖くなり
評判の良いカバーを注文することにしました。

パワーサポートのエアージャケットセット
薄くて精密な作りであることから人気のモデルです。
しかも単品で¥1680する同社の液晶保護フィルムが2枚、
アンチグレアとクリスタルが付属して¥2680と、お得なセットになっています。
カラーはクリアブラックにしてみました。

到着が待ち遠しい・・




さて、明日から暫くの間
空想と創作と小旅行の日々となります。
これから先を生きるための充電期間とも言えそうな
ゆったりとした時間に身を置く予定でいます。


見慣れた夜の屋上の風景も
来月の半ばまでは見ることが無いでしょう。

おさらばです。
ドロン!


2012年10月21日

モノクローム


案外と早く目覚めたものの
やはり昨日の疲れが残っておりました。
痛いとかだるいとか、そういうことではなく
椅子に座っていると、ただただ眠くなってくるような
そんな日曜の午後でした。

先日、六十を過ぎてしまったもので
現在の仕事場での雇用形態が変わります。
今日は必要な書類を集め、二十数枚にも及ぶ提出書類と格闘してました。
家のプリンターは調子が悪いので、コンビニへ行ってコピーしたり
すべてが終わるまで2時間ほどは掛かったと思います。

署名・捺印、署名・捺印、これを二十枚ほど繰り返すと
私は筆圧が高いせいか、それだけでも肩が凝ってしまいます。
そこへ一字一句間違えないように書こうとするプレッシャーが加わると
なんだか気分が悪くなってきて苛々し始めます。
いくら紙が好きな私でも、書類と名の付くものだけは大嫌いなのです。
おかげで今日も、疲れ果ててしまいました。

嗚呼、それにしても
秋の青空はなんて綺麗なんでしょう。
思い出はモノクロームなのですが
空の蒼色だけが心に焼きついています。


明後日から暫くの間、
鶴見の海へと続く大きな空を見ることはできません。





2012年10月20日

快挙



・・え!?
予想だにしない結果に誰もが驚きました。
50m走の4コースでスタートした我が1号機クンが
事もあろうに、1着でゴールしたのですから。

両手を横に振り、小首を傾げながら走るその姿は
どう考えても短距離走の走り方ではないのですが
同じ組の他の者たちが遅すぎたのか(マイペース走りで)勝っちゃいました。
これは嬉しい誤算です(笑)

けれど、他の種目を観ていて思ったんです。
去年(1年生のとき)とは明らかに体の動きが違います。
ダンスも振り付け通りにきちんと出来てましたし、
団体競技の中で他の子たちと全く違う動きをすることも無くなってましたからね。
これは進歩です。終わってから大いに褒めてあげました。
地元のサッカーチームに入っていることが幸いしたのかも知れませんが
ようやった!!

いやあ、それにしても疲れました。
昨晩の就寝はいつもと同じ時間、そしてあっという間に朝を迎え
車を飛ばして長男宅へ向かい、車を停めてから徒歩で公田の急な坂道を上って行き
学校のグラウンドに着いた頃には膝がガクガクになってましたもの。
(日頃の運動不足もありますけど、あの坂と階段はかなり堪えます)
そして6時間にも及ぶ長丁場を、ほとんど立ったままで観戦し
合間を縫って路駐している車の様子を見るために徒歩で急な坂道を下り
再びその(過酷な)道を引き返して午後の部を観戦して・・
片道15分以上は掛かる「山道」を、計2往復+立ちっぱなしだったんですからねぇ。
終わって長男宅に帰った時には、腰と背中と膝が悲鳴を上げてました。
坂道のある風景は大好きなんですけど、さすがにあそこの急坂だけは・・(泣)

とは言いながら、肉体疲労と寝不足のくせに
夜ともなると、いつもと同じように元気になるから不思議です。
不埒な爺さんの面目、てやつなんでしょうかね?

そうは言っても、確実にダメージを受けてるこの肉体。
今夜は布団に入ると「あっという間」の「間」を感じることも無いまま
一足飛びに眠りにつくことでありましょう。

それでは皆さま、あっという間に訪れる明日またお会いしましょうね!


2012年10月19日

あっという間の「間」


早いもので、一人目の孫は来年になるともう小学3年生。
すくすくと育ち、どんどん大きくなって行くのです。

この1号機、あと10年もすると立派な大人になっているわけで
その頃には親父は四十を過ぎ、私は七十になっているという
そんな先の世界を想像してみると、楽しみでもあり怖くもあり。
10年なんて、長いように思っていても、あっという間ですからねぇ。

晴天の予報の明日はこの子の運動会なのでして
朝っぱらから車を飛ばして公田まで行かねばなりません。
夜更かし朝寝坊の(不埒な)爺さんにとっては
一年の間に何度かある早起き行事の日なのであります。

今夜は酒をセーブして早めに寝なければ。
布団に入っても、あっという間に朝が来そうです。
この「あっという間」の繰り返しである日常が
物凄いスピードで現在から未来へ物事を運んで行き、
性懲りも無く辿り着いた先で「あっ!」と呟くんでしょうね、きっと。

あっという間の「間」に、何を求めたか何が出来たか何を残せたか
それが問題なのだよと人は言うかも知れませんが
得られるものが何も無かったとしても、
幸せだと感じられれば私はそれでいいのです。

過去にも何度か書きましたが、松本隆の「ゆでめん」に於ける名言
「幸せなんて 何を持ってるかじゃない 何を欲しがるかだぜ」
私はこの言葉が今でも頭から離れないで居るのです。
形ある物を求めて行く行為は想像力を阻害してしまいますからね。
なんちゃって!な、爺さんだとお笑いください。

さてと、1号機の雄姿に期待して
あっという間の「間」を楽しみながら朝を迎えることにしましょう。


2012年10月18日

旧い扉


iTunesに入っている昔の音源を聴いていました。
古い物では25年ほど前に宅録した秘蔵の?歌も。
さすがに今と比べると声が若い。
三十代後半とは言っても「若者」の声帯です。
だからでしょうか、自分の声なのに他人みたいに感じてしまいます。

半ば忘れかけていたそれらの中に、
今また歌いたくなるような幾つかの良い曲がありました。
折を見てご披露できたらと思います。

それと、
現在でも歌っている曲の別バージョンが見つかって
手前味噌になりますけど、それがまた実にいいのです。
旧い扉は、たまに開けてみるものですね。

いつの日か、お聞かせいたします。
お楽しみに。


2012年10月17日

友とBluesを喰らう


来週末、Bluesが流れる西荻窪のとあるお店で
旧い友人と逢うことになりました。
私が渋谷界隈で歌っていた40年ほど前のこと、
バックでベースを弾いていた男です。
その後三十数年間、連絡を取り合うことはありませんでしたが
7年ほど前、たまたま私のホームページを見つけたとメールが届き
一度だけ横浜(山手)の店までライブを見に来てくれたことがあります。
それからまた音信が途絶えてしまっていたのですが、
今度はFacebookを通じて再び繋がるようになり、
時折あれこれと短い言葉を送り合う中で、再度?「再会」を果たすことになった次第です。

携帯電話などこの世に無かった(想像することさえできなかった)70年代、
連絡手段は家の固定電話か手紙、或いは人から人への伝達に限られてましたから
当時はいったいどうやって待ち合わせをしていたのかと不思議に思います。
たぶんですが、まず電話で連絡が取れる人間に用件を伝え
その後は原始的な方法ながら、個々に口頭で伝達してもらったんでしょうね。
そうして約束の時間・場所に、皆がちゃんと集まったものでした。

しかしながら、そのような「直接的な」関わりを保っていた者同士が
いざ音信不通となってしまい数十年が経過してしまうと
連絡を取り合う手段が何も残されてないことに後から気付くのです。
電話番号、住所、仲介してくれた友人の友人、
これらがひとつでも欠けると、当時の「連絡網」は全く機能しなくなってしまいます。
私の旧い友人たちとは、そんな理由で疎遠になっていたのでした。

そこへ「通信の文化大革命」とも呼べるネットや携帯電話が登場して
居所も分からないまま私たちは再び連絡を取り合うことが出来るようになったのです。
旧友をネット上で探し当てられる、これはやはり素晴らしいことですよね。
人を介す手間も無く、ましてや時間帯も気にせず机上で完結するなんて
極めて原始的な方法でやり取りしていた私たちにとっては革命以外の何物でもありません。

そんな紆余曲折を経て再会する友と飲むのは楽しみで仕方がないのです。
待ち合わせに選んだお店も、以前から行ってみたかった場所であり
そこのオーナーも実に興味深い方なので楽しみが倍増してしまいます。

古いテーブルを囲み、旧友と共に酒とBluesを喰らう。
心地好いでしょうねぇ、飲み過ぎてしまうに違いありません。
潰れちゃったら堪忍です!(笑)



(画像はお店のサイトからお借りしました)

2012年10月16日

支離(Siri)滅裂


iPhone5、受け取って参りました。
LTEのスピードもさることながら、A6チップの処理速度も天晴れですな。
手にした瞬間、予想してた以上に4より薄くて軽く感じたのが驚きでした。
ぺらあっとしているので、なんだか華奢に思えてしまいます。

私が予約していた店はフランチャイズのSBショップのようで
あれもこれもと無料月間だけのオプションを幾つか付けられましたけど
さほど嫌な気分にもならなかったので「お付き合い」してあげました。
無料期間が過ぎたら全部外せばいいんですからね(店のお姉ちゃんにサービスさ!)

勧められるままに、今まで愛用していた4は「家族キャンペーン」にしてあげました。
新たなUSIMカードを入れ、電話番号とメールアドレスは付きますが
3Gを切った状態の「ゼロから定額」なのでWi-Fi接続だけの使用に限定されますから
2年間まったく費用は掛からないという仕掛けなのです。
実際に使うかどうかは別として「iPad mini mini」てな感覚で傍に置いておくことにします。

今回初めて気が付いたんですが、パッケージの中に大きなAppleシールが入ってるんですね。
大きな林檎ちゃんが二つも(写真上)


本体の下に入っているアクセサリーを取り出すために引っ張り上げる時の耳の付いた部分、
この中のスタート・ガイドと一緒に入っていました。
4を購入した際も同じパッケージでしたから、たぶん入っていたんでしょうね。
一度も開けたことが無く、単なる「耳」としか思っていなかったもので・・(笑)

それにしても、カメラの解像度がずいぶんと向上してますねぇ。
質感までよく表現されるようになりましたもの。
Siriは・・笑っちゃうくらい毎回NG、御主人様の言葉を理解するまでかなり掛かりそうです。
(中の)女性、混乱してくるとかなり喰らい付いて来るんですが
次の瞬間コロッと態度を変えて「諦めなはれ」的な発言をするのです。
ちょっと知的なあの喋り方、どこかの秘書さんみたいですよね。
たぶん眼鏡掛けてます、たぶん。


2012年10月15日

魔法の林檎


2年と3ヶ月、長らくお世話になったiPhone4とお別れする日を迎えました。
明日、入荷している5を受け取りに地元のSBショップへ行くのです。
片時も離れずに、ずっと傍に居てくれたジョブズの子供に感謝します。

友人たちの、ガラスが割れてしまったiPhoneを幾つも目にしてきましたが
落っことされることもなく、この子はまだ綺麗で美しいボディを保っています。
こうして眺めていると、まだまだ現役で働いてくれそうな気がしますけど
(やめときゃよかった)iOS 6のインストールのせいで
最近はアプリが落ちまくったりフリーズしたりすることが何度もありました。
「もうあたしには無理だよー!」そう叫びながら働いてくれていたのでしょう。
ごめんね、大変な思いをさせてしまって。

5に引き継がれるデータとアプリ、
先ほどiTunesにバックアップしておきました。
遅れ馳せながら、明日からA6チップとLTEのスピードを堪能させて頂きます。
それと、4では対応していなかったSiriも。

あー、でも・・
4の入荷を待ちわびた時のようなワクワク感が無いのです。
これはちょっと寂しいですね。
iPhoneだぜー!みたいな興奮を抱けなくなってしまったのは
やはりジョブズが居ないせいなのでしょうか。
iPhoneはスマホに非ず。
私にそう思わせてくれたジョブズの魔法が恋しくなります。


2012年10月14日

goo goo g'joob g'joob g'joob!


友人のつぶやきを見て、
今夜「マジカル・ミステリー・ツアー」のTV放映があることを知りました。

さっそくフジテレビの番組表を見てみると・・え?1:35~4:00??
妙に長いなと思いNETで調べてみると、
58分のドキュメンタリー・フィルム「アリーナ:マジカル・ミステリー・ツアー リビジテッド」が
新たに制作されて一緒にオンエアされるそうです。

公開当時、映画としては失敗作だという論評をよく見かけましたが
収録曲には私の好きな作品がずらりと並んでいます。
オマケでキャストやスタッフのインタビューを集めたドキュメンタリー・フィルムが付いてるなんて
これは楽しみですね。観なきゃ損した気分になりそうです。

でも時間が遅いので、録画して今夜は寝ることにします。
休日の昼下がりにでもゆっくりと、ね。

フジテレビ『THE ROCK MOVIES』と題された三夜連続の深夜映画、
この後15日はボブ・ディランの「ドント・ルック・バック」
16日はストーンズの「ギミー・シェルター」と続くようです。




エッフェル塔をよじのぼるセモリナのイワシ
ハレ・クリシュナを歌う初等のペンギン
奴らがエドガー・アラン・ポーを
蹴とばしたのは見ものだった
僕はエッグマン 奴らもエッグマン
僕はセイウチ goo goo g'joob g'joob g'joob


「I Am the Walrus」




・・渋谷のeggmanて、ここから来た名前なのかしら?



2012年10月13日

焚き火


家庭で出たゴミは自分の所で始末する。
燃やせる物はみんな燃やしちゃえ、というのが昔は当たり前のことでした。
焚き火は落ち葉だけのものではありません。
不要になった物、他人の目に触れると困る物、灰にしてしまうのが一番です。

画像は4年ほど前の光景。
大家の爺さんが裏庭で焚き火をしているところです。
私の部屋のサッシを開けるとすぐ目の前、なのですが老人の行動はダイナミックでして
何やら熱い空気が風に乗って私の部屋に吹き込んで来るなあ・・と、外を見てみると


爺さんの姿は無く、赤々と大きな火柱が上がっておりました。
おいおい、爺さん燃えちまったのかい!?と、思ったくらいです。
火を点けてから何処かへ行ってしまい、火事になる心配もせず、
消えた頃に戻って来ましたが、呑気なもんですよねぇ(汗)


実は隣に住む大家さん、先代から造園業を営んでおりまして
現場で切り取られた木や枝を持ち帰って処分するために
数年前までは敷地内に大型の焼却炉を備えていました。
我が家のゴミも年末になるとそこで一緒に燃やしてもらったりしてましたから
シュレッターに掛けなきゃいけないような書類関係を処分するのにとても重宝してました。
けれど造園の仕事は減るわ、広大な土地の固定資産税の負担は大きくなるわで
畑になっていた部分や焼却炉があった場所は売却して宅地になってしまい、
今では建て売りの大きな家が4軒建ち並んでいます。

4年前は元気に焚き火をしたり、大きな庭の草むしりをしていた爺さんも
婆さん(奥様)に先立たれてからというもの、すっかり足腰も弱ってしまい
このダイナミックな炎が立ち上がる焚き火の光景も見られなくなってしまいました。
おまけに裏庭は手入れされることもなくなり、かなり荒れた状態になっているので
数年前の出来事を懐かしく思わずにはいられません。

ちょっと涼しくなった頃の、古き良き思い出なのであります。
焚き火・・したいなあ。



2012年10月12日

文明の光


寒くなってきたので、デスクの灯りを熱源の高いミニ電球のタイプに交換しました。
かなり熱を発するので、夏場はとても使えたものではありませんが
今の時期は温かみのある光と、ほんのり手元が暖まる感じがいいのです。

いわゆる裸電灯の黄色と朱色が混ざり合った色、心が落ち着きますし
光に照らされた物たちすべてが、命を与えられたように鮮やかな色を発します。
それは夕焼けに映し出された風景に似た世界、
デスクの上が黄昏色に染まって行くのは楽しいものです。

けれども世は省エネのご時勢、厄介者の電球は姿を消しつつあります。
後を引き継ぐのは無機質な光を放つLED照明。
昔ながらの電球を小ばかにするように、利口ぶった生意気そうな顔をしています。
私はそんな冷徹さが好きになれません。

確かに省電力化は必要なことでしょうけど、
部屋や人を温かく包み込むような、光がもたらす幸福感てのがあるんだと思います。
如何にご時勢とは言え、それが失われて行くのは悲しい気持ちになってしまうんですよね。

十数年後、電球はオークションで高値で売買されていたり
はたまた真空管のようにヴィンテージな物になっているのかも知れません。
やがて「電球マニア」などとオタクっぽく揶揄されるようになるのは御免ですが、
私は安く手に入る間は使い続けて行こうと思っています。
小まめに消すなど、省エネ対策は別の方法で十分貢献できますからね。
この温かで心安らぐ橙色の光は捨てられません。

ちなみに我が家の電気料金、昨年の節電時期をも凌いで前年比30%減を保っています。
旧型の照明器具ばかりですが、努力と工夫で何とかなるものです。
四六時中点灯させなければならない業務用の照明ならLEDの方が有利でしょうけど
点けたり消したりする一般家庭での節電効果には疑問を抱いてしまいます。
それに何と言っても高い!
売り物が無くなってしまった家電業界の罠なんじゃないでしょうか。

諸説ありますが、ジョゼフ・スワンが発明し、
後にトーマス・エジソンが竹をフィラメントに用いることで実用化されるに至った電球。
明かりを灯すと、大いなる歴史の光が満ちて来そうな気がします。
いけません、そんな文明の光を絶やしてしまっては!

(猫も杓子も省エネ)に関連して、自動車にも同じようなことが言えるのですが
それは次回にでも。


2012年10月11日

向こう岸まで


還暦前夜、「川の向こう岸まで今夜渡ります」と、ツイートすると
或る方から、「向こう岸なんてあるわけないじゃないですか」と、返されました。

でも、やはり私は川を渡ったような気がしてます。
溺れもせず、向こう岸の土手まで辿り着いて
バッグの中から取り出した酒を飲みながら
明け行く空をのんびりと眺めていた記憶がありますもの。

反対側の岸に、何かいろんなものを置いて来ました。
「手ぶらで来い」そう誰かに言われたのかも知れませんが
邪魔臭そうなものはほとんど持たずに渡りましたから
ほら、おかげですっかり身軽になってます。
それはあたかも、トム・ウエイツが歌う「Ol '55」のようでもありました。



時間はすぐに去って行ってしまう
だから俺は急いで乗り込むのさ、自分の古い55年型に
遅い車を追い越して行くと、祝福されているようで気分がいい
神に誓ってもいい、生きている実感がしたんだ

今、太陽が昇り
俺は幸運の女神と一緒に乗っている
高速道路を走る車とトラック
薄れゆく夜空の星達、まるで俺がパレードを先導しているみたいだ
もう少しこのままでいたいと願いながら
俺はこの昂まる気持ちを、お前に話したいと思っているんだ

朝の6時
急かされなくても、出発しなければならない時間だ
トラックがパッシングしながら俺を追い越し
通り過ぎざまライトが煌めく
こうして俺はお前の処から家へと帰るのさ

今、太陽が昇り
俺は幸運の女神と一緒に乗っている
高速道路を走る車とトラック
薄れゆく夜空の星達、まるで俺がパレードを先導しているみたいだ
もう少しこのままでいたいと願いながら
俺はこの昂まる気持ちを、お前に話したいと思っているんだ


「Ol '55 私訳」 ひとつのポケットから出た話から引用



私も今、52年型の車のシートに座り、エンジンを掛けたところです。
日常は何ひとつ変わっちゃいませんけど
川の水で洗い流されたのか、とても新鮮で神聖な感覚でいます。
大袈裟に聞こえるでしょうけど、生まれ変わったような気分。
何かが静かに始まろうとしている予感がするほど穏やかです。

還暦という名のその川を渡った先に、
「老齢」と呼ばれる者たちが棲む「向こう岸」が在るのです。
私はその町の住人となり、
この先の旅に思いを馳せながら歌っていたいと思うんです。



2012年10月10日

汽車が田舎を通るそのとき


69年の秋、田舎の本屋で音楽誌を立ち読みしていた私は
URCレコードという見慣れぬ音楽出版社の名前を目にしました。
何やら面白そうなアルバムが何枚かリリースされていて聴いてみたくはなりましたが
高校2年のその当時、北海道の片田舎のレコード店に置いてあるわけもなく
途方に暮れていましたら、なんと駅前のサウンドコーナーにそのほとんどが並んでいたのです。
このBlogでも何度か書いている(私の音楽の師)高村知魅氏の小さな小さなお店に。
記憶では、北海道で仕入れていたのは彼の店だけだったと聞いた覚えがあります。
そこで手に入れたのがこれ、高田渡フォーク・アルバム「汽車が田舎を通るそのとき」
前作のプロテスト・ソングから一変して、内面を描く作品が並んだそれを
凍えそうな北海道の長い冬の間中、何度も何度も繰り返し聴いていました。
なのでいつこれを聴いても、私はすぐに冬の匂いでいっぱいになります。
遅い春を待ちわびた、高校生の頃の思い出が蘇ってくるんです。

けれど、愛聴盤であった時期があったにも関わらず
私は若い頃から全く、彼の作品を歌うことはありませんでした。
「フォーク・ソング」という括られ方が嫌だったからです。
それはずっとずっと、つい最近まで変わることがなかったほどに頑固な想いでした。
7年前にスーマーと出逢うまでは。

トラッドや高田渡を見事に消化して歌うスーマーは、
それまでに出会ったミュージシャンの中で異彩を放っていました。
彼が歌うと、そのすべてがスーマーそのものになってしまうのです。
そんな男との出会いは驚異でした。そして何度か彼の歌を聴くうちに、
私の音楽観が如何に狭くて窮屈なものであったかを教えられた気がしました。
なんたって、バンジョーで「マザー・ネイチャーズ・サン」を歌ってしまうんですからね。
その自由奔放な感覚には脱帽です。

先日のバースデー・ライブの折、ゲストで歌ってもらった彼にリクエストして
最後の締めに高田渡の「生活の柄」を一緒に歌わせてもらいました。
私が(私流に)歌い、彼がバンジョーとコーラスで合わせてくれたんですが
予想していた以上に楽しく歌うことができました。
彼とは何度も顔を合わせていながら、一緒に歌うことなどありませんでしたし
ましてや高田渡を人前で歌う自分の姿など、想像したこともなかったものですから
その心地好さに酔いしれながらも、どこか不思議な感覚に襲われていました。

正直、嬉しかったのです。スーマーと歌ったこと、
自分の中で拘っていたフォーク・ソングという呪縛にも似たものから解放されたこと。
ベルリンの壁のように強固だった垣根が取り払われ
その瞬間、何だかとても自由で身軽になれた私を客観的に見ていました。
折りしも還暦を迎えた夜、気負い無くその一歩を踏み出せたのは
どうやらその辺りに理由があったのかも知れませんね。

ちなみにこの夜のスーマー、
本邦初と称して日本語でレナード・コーエンの「ハレルヤ」を歌ってくれたのですが、
これがまた悔しいくらいに(憎たらしいくらいに)良かったのです。笑

「汽車が田舎を通るそのとき」に話は戻りますが、
私が擦り切れるほどに聴いたアナログ盤はすでに手元にはありません。
見開きのレコード・ジャケットというのは、中も外も開いたときに完結するものなのでして
このアルバムの裏側まで繋がった絵が実にいいのです。





2012年10月9日

還暦初夜(2)


昨夜、友情出演のスーマーが「いい写真が撮れた」と嬉しそうに言っていた
私が歌っているのを前で観ている孫の姿を捉えた画像です。
「孫たちを前に歌うってすごいなぁ」と、instagramの彼のページには書かれてました。
http://instagram.com/p/QhUi9YqDOG/
ほんと、自分でも凄いと思いますよ。
小学校低学年の子に分かるような歌、わたし歌ってませんからね!
いつものようにいつものナンバー、幼児向けの曲は何ひとつありませんもの(笑)
それでも興味津々で見つめていたのは、音楽好きだからなのか
それとも爺さんの歌ってる姿が珍しくて驚いていたのか、果たしてどっちだったのやら。

いや、そんなことはどうでもいいんです。
私が見たもの聞いたもの感じたものを、私の歌を聴きながら
それをどう受け止めるかは個々の問題なんですから、相手が大人でも子供でも関係ありません。
感じてくれた何か、或いは(何だかわからないけど)生で演じられるライブの醍醐味、
そんな「何か」が、彼らの脳を刺激したり心を揺さぶってくれたりしたのならそれでいいんです。
音楽って、所詮そんなものですよね。
私の歌がどう伝わったか、やがて思春期を迎える頃にでも尋ねてみることにします。


お爺ちゃんカッコイイ!そう思われたかどうかは分かりませんけど
ごく稀にですが、小さな体でライブに足を運んでくれるのは嬉しいことです。
演奏後にパチリ。さすがにこれは気恥ずかしいですな(苦笑)

数日前から山口の(旦那方の)祖母宅へ子供連れで出掛けていた末娘から
前の日にお店宛てに内緒でケーキが送られていました。
びっくりするやら嬉しいやら、家族に乾杯!いや、家族に感謝!!であります。
本当にそうです。この歳でこうして歌っていられるのも家族の理解があってこそですもの。
ドサクサ紛れに?昨夜のステージでこう宣言させて頂きました。
「家族の皆さま、すみませんが私はこの生き方を変えられません」・・とね。

実は還暦を迎えるにあたって、いざその日が近付いて来ると
水溜りを避けるときのようにピョンと跳ねなきゃいけないのかな?
日付変更線の前でそんなことを思っていました。
歌い続けたまま通過するってことに、少しだけ気負いめいたところがあったようです。
けれどいつもと変わらずに、その日は過ぎて行きました。
自分にとっての未知なる世界、60歳を迎えるというプレッシャーからだったのでしょうか、
それが解き放たれ、今はいつも以上に身も心も軽くなったような気がします。
超えられたことの安堵感、なのかも知れません。

旧い友人が、Facebookの私のタイムラインに一枚の写真を載せてくれました。
40年ほど前の私の姿だそうです。


場所は石神井公園の野外ステージ、イベントに出演したときの映像です。
72年くらいのものでしょうかね、たぶん私はまだ19歳。
この痩せ細った少年が、まさかこの歳になるまで生きて来られたとは。
いや、それ以前に今なお歌っているだなんて驚きです。

何度か死にかけ、失いそうになったこの命、大切にしなければいけません。
だってこの先、どれほど面白いことが待ち受けているのか
それをこの目で見届けなければなりませんからね!

かずら元年は、これからもずっと歌い続けて行きます。
その糸口が、昨晩のライブで見つかったことをお知らせしておきます。
この体が朽ち果てるまで歌いますとも!!



「こんな夜は」

思いあぐね闇に逃れ
彷徨う夜は
行くあてもないまま
風に吹かれて

こんな夜は帰りたくないよ
千鳥足で何処行こう
千鳥足で何処行こう

電信柱にぶら下がる
雑巾みたいな夜は
星明りさえ見えない
空を見上げて


こんな夜は帰りたくないよ
千鳥足で何処行こう
千鳥足で何処行こう



Lyric & Music by Kazura



実は昨晩のライブで、この曲を歌っていると涙が出て来たんです。
気が付かれた方は居なかったと思うんですが「半べそ」かいてました。
こんな夜は帰りたくないよ、そう歌いながら泣いていたのは何故なのか
いくら考えても、明確な答は見つかりませんでした。
音楽って、そんなものです。



2012年10月8日

還暦初夜(1)


ビト&かずら元年バースデーライブ、盛況でした。
お集まり頂いた皆さん、友情出演のスーマー、一人で店を切り盛りしたボーマス、
そしてFacebookに寄せられた沢山のメッセージ、そのどれもに感謝感激な夜となりました。
人生の節目とも言える「還暦初夜」を存分に楽しみながら歌うことができたのも
温かな声援、お言葉などなど、ひとえに皆さまのおかげであることを噛み締めております。
どうもありがとうございました!私は幸せ者であります!!

余韻に浸りながら(のんびりと)朝まで六角橋周辺で過ごし、
電車を乗り継いで帰宅したのは6時半頃となりました。
還暦を迎えた初っ端から「午前様」と相成った不埒なジジイではありますが、
どうか皆さま、これから先もお付き合いのほど宜しくお願い致します。



2012年10月7日

前夜・・


昼過ぎまで雨がパラつく寒い一日でした。
今日が運動会だった子供さんと父兄の方々は大変だったでしょうね。
夜になって一段と冷えてきた感の横浜です。

さて明晩、皆さまのお越しをお待ちしております。
かずら元年とビトちゃんのバースデー・ライブ!
1952年生まれの私は、長い道程を経て還暦を迎えることに相成りました。
ちょっとしたひと区切り、けどいつもと変わらずいつものナンバーを歌います。
かずら元年60歳!めでたしめでたし。




10月8日(月)反町NO BORDER
OPEN 19:00 START 20:00(予定) MC¥500+投げ銭
出演:ビト、かずら元年、スーマー(ゲスト)

NO BORDER  横浜市神奈川区松本町4-28-2Rotunda1F TEL 045-314-8985
http://www.geocities.jp/noborderyokohama/top.html



2012年10月6日

Nドラがイイネ!


正直、ドラマ好きです。
それもNHKの渋めのもの(Nドラと勝手に名付けました)

今夜、吉田茂を描いた「負けて、勝つ」が最終回でした。
渡辺謙さん演じる吉田茂がスマート過ぎるのは難点でしたが
動乱の時代のダイナミズムは十分に伝わってきました。
マッカーサーが言い放った「この国に責任者はおらんのか!」という台詞、
現在のこの時代に聞いても耳が痛かったです。
正面から交渉できるような、そんな政治家は居ません。
相変わらず責任者不在の我が国が、恥ずかしく思えて仕方ないですが
外交が国の行く末を決めるという原理を、政治家諸氏は肝に銘じてほしいものです。
世界に対して言うべきことは言う、そして賭けとも思えるような駆け引きで
お互いの妥協点を見出すような演出は、いつの時代にも必要なのだと思います。

密約で調印された日米安保条約、今なお残る多くの米軍施設など
日本のその後に影を落とす結果となったことは否めませんが、
この小さな島国が連合国による分割統治とならずに済んだことを考えると
いったい何が正しかったのか、何が過ちだったのか、分からなくなります。
けれどひとつだけ言えるのは、やはり平和憲法は遵守すべきだということ。
理想としての第九条は、決して改訂するべきではないと思うのです。
不毛な武力衝突を避けるためにも、強い外交力がどれほど重要か
「負けて、勝つ」の五話を見終え、改めてそう思いました。



そしてもう1本。
毎週火曜日が待ち遠しくなるようなドラマがあります。
「つるかめ女産院~南の島から~」http://www.nhk.or.jp/drama10/tsurukame/
キャスティングとストーリーがとても良い作品です。
仲 里依紗と余 貴美子の掛け合い、そこへ重厚な演技の伊東四郎が加わり
軽いポップな作りではあるんですが、重心の低い内容になっています。
あまり感情を露にしない仲 里依紗、いいですね。
この(素人っぽい)何処にでも居そうな顔とスタイル、好きになりました。
ぶっきらぼう感の表現はピカイチですもん。

こちらは全8話、10月16日が最終回です。
再放送その他、1話からご覧になれる機会がありましたら是非!



さてと、明日の休日は8日に迫ったバースデー・ライブ(またの名をカンレキ・ライブ)
それに備えたリハーサルという名のリハビリに徹します!(笑)


2012年10月5日

土地の柄


北海道の実家へ戻って暮らし始めた旧い友人のBlogを読んでいて
うんうん、確かにそうだ。と、頷いてしまいました。

若い世代の方々の今の暮らしぶりは分からないのですが
あの地では、高齢者がストーブをガンガンに焚く習慣が昔からあるのです。
冬は勿論のこと、春先でも秋口でも、果てはちょっと冷える夏でも
寒いな、と感じると居間の大型ストーブのスイッチを入れます。
関東のヤワな家とは違い、断熱効果の高い住宅内のそれはかなり暑くなるのですが
長きに渡っての生活習慣のせいか、暑がる私を尻目に家主は平然としています。

氷点下20℃近くまで下がると、野外は痛いほどの寒さです。
ところが室内は暑いくらいで、真冬でも家主は薄着のまま暮らしているから驚きます。
私の父も晩年まで、寝床から「らくだの下着」のまま抜け出てくると
そのままの格好で勢いよくストーブを焚いていたものです。
寒いときでも厚着しようとはせず、ふだんの服装で暖かくなるまで焚くのです。
(私の父の冬の家着が、らくだの上下だったほどですからね)

幼少の頃は一緒に暮らしていたので、当たり前だと思っていたのかも知れませんが
しばらく遠ざかっていると異様な光景に驚いてしまいます。
冬が来る前でも、煙突に繋がった大型のストーブが赤々と燃えてるんですからね。
省エネなど眼中に無いくらい徹底していて、ある意味あっぱれで滑稽です。

その反面・・
私が中学生くらいまでの頃は石炭ストーブだったものですから
週に一度は煙突を全部外してススを抜く大作業「煙突掃除」がありました。
真冬の日曜の早朝、家の窓や扉全てを開け放っての極寒での過酷な作業です。
凍てつく北海道で朝の8時前から、防寒着を着込んだ父はそれを始めるのでして
寝起きでまだ体が温まってない私は泣きそうになりながら手伝っていたものです。
汗ばむくらいの室温と、真逆の外気と同じくらいの室温。
少年時代、冬はこの落差が嫌でたまりませんでした。極端すぎます。
やがて燃料が石炭から石油に変わり、煙突掃除の光景は見なくなりましたけどね。

今振り返ってみると、古の北海道民の営みはダイナミックなものでした(笑)
友人のBlogを見て、あれこれ想い出した光景に苦笑いしています。


2012年10月4日

これぞニッポンの子供!!


先月、飛行機デビューして北海道の私の実家へ遊びに行き
そして今月は新幹線デビューまでして山口まで行くという(一歳未満児のくせに!)
今や北から南まで列島を縦断する勢いのポンタの顔を見に娘の家まで行って来ました。

会う度にデカクなっていて、おまけに何らかの知恵まで付けていて、
子供の成長ってやつは本当に早いもんですね。
高速ハイハイの次に、本人の目下の課題は二本足だけで立ち上がることのようで
今日も時折、お相撲さんの「はっけよーい」みたいな格好をしながら悩んでおりました。
たぶん、立ち上がるタイミングと重量バランスの相関関係について
本能的に体が試行錯誤を繰り返しているんでしょうね。
誇らしげに立つ姿が見られるのも、そう遠くない気がします。

母親としての娘を見ていて思うのですが
この時期の子育てって、子供のペースに上手く合わせて行くことが肝心なんでしょうね。
鬱陶しいとか煩わしいとか、そんな気持ちがちょっとでも湧いてしまってはいけません。
子供と一緒に自分も成長して行くことを楽しみながら毎日を生きている、
そんな娘の母親としての姿がとても素敵に感じてしまいます。
もちろん、その生活を支える父親(娘の旦那)の逞しさがあってこそですけどね。
(・・たまには旦那のこと、褒めてあげなくっちゃネ!)

写真は夕飯時のスナップ。
お粥、お野菜、豆腐、全て完食しました。
飯粒が付いてる顔って、いいなあ~
これぞニッポンの子供!!

この子が大きくなり、やがて生意気な言葉を口にする歳頃になるまで
私が歌っていたとしたら面白いだろうなあ。
「お爺ちゃんの歌、どうだった?」

・・果たして、その答えは!?(笑)


2012年10月3日

裸体


弦を外したギターは裸体のようなもんです。
露な姿を見ていると、何だか恥ずかしそうですもの。

成田のショップから注文していたパーツが届いたので
ひと夏の垢を落としたり、ボディのケアをしてあげたりしました。
ちょっと嬉しそうに微笑んでくれた、ような気がします。

眼が悪くなったもんで、相変わらず弦の張替えには苦労します。
糸巻きの穴に弦を通すのに難儀したり、
巻き具合を確かめようにもボヤけて見えなかったり、
なので今日は指先の勘だけでやっつけてしまいました。
見えてなくても、案外と上手く行くもんですね(笑)


新品の弦の響きは新鮮で気持ち良いものです。
アコギの場合は特にそう感じます。
けれどもこのGibsonていう代物は、逆に響かない方が心地好いから不思議です。
「J-45は鳴りが悪い」ほとんどの人はそう酷評します。
でもそれは鳴らないんじゃなくて、鳴りを抑えた音作りだからなんです。

敢えて音を響かせない、それって凄いコンセプトだと思いませんか?
太く野暮ったい音で、ちょっと詰まったように聴こえる性格が
私みたいに低音弦をミュートさせたストロークには良く合うんですよね。

面白いことに、最近は古くなって伸びきった弦の音が好みになりました。
いわゆるガシャガシャしたチープな音。
力ずくで持って行くような、そんな感じがGibsonには合ってるような気がします。
ちなみにこのJ-45、夏場だというのに2ケ月ほど張りっ放しでしたからね。
しかしながら、さすがにそのままライブで使うわけには行かないので
(渋々)後ろ髪を引かれる思いで張り替えてしまったわけです。
切れる心配が無ければ、そのままにしておいたんですけどねぇ。


ショップに注文の折、愛用のピックが値下がりしてたんで纏め買いしました。
この製品の厚みと弾性が一番しっくりきますし、なんたって安いのが素敵!
単価80円がなんと50円に値下がりってのは嬉しい限りです。
しかも従来品と比べて少し硬めの素材になったのも有り難いことでした。
(数年前に仕様変更されて柔らかめになってましたからね)
J-45をガシガシ鳴らすには良き相棒となることでしょう。

さてと、ライブの準備をしなくっちゃ。
鈍った体も鍛え直しておかなきゃね!


2012年10月2日

避けては通れない高齢者としての入口に佇む


遂に・・
こんな物のお世話になる時がやって参りました。

国民の皆様、すみません。
将来的な財源不足が明白とは言え
この冬から収入が激減する身としては頼らざるを得ないのです。

しかしですねぇ、
内容を見てみると、この仕組みは極めて複雑です。
一般の人間には分かり辛くて(たぶん)損をする人も多いでしょう。
高年齢雇用継続給付金(ネーミングもすごいっしょ!)を申請した私、
一体いつから、どれほどの額面が減額されて頂戴できるのか
今の時点ではさっぱり分かりません。

と言うよりも、あちこちに罠がたくさん潜んでいる気がします。
実際は「なるべく多くを払いたくない」ような魂胆が伺えるほど難解な内容なのです。
60歳以降も仕事を続ける場合は、その必要書類をひとつ提出する度に
年金の支給額は減って行く仕組みなのですが、その計算方法は分かり辛く
或る意味アバウトな表現であったり、やたら厳しい漢字が並ぶ名称だったり、
とても庶民の手に負えるようなものではありません。
しかも前述の高年齢雇用継続給付金の申請書は、
会社を通じてハローワークへ送られるため年金機構とはその時点でリンクしないのです。
つまり、ハローワークが給付の決定と給付金の金額を算出するまでは
おそらく私の年金は支給されないんだと思います。

契約の関係から、60歳以降の(減額された)給与が最初に支払われるのは12月。
そこで初めて以前の給与との差が生じるわけですから
それ以降じゃなければ給付金の算出はできないのですし、
その額面が分からなければ年金の減額も計算できないことになるので
実際に私の口座に年金が振り込まれるようになるのは2月くらいになるかも知れません。
その間の数ヶ月、少ない給料で生活を維持して行かねばならんのです。
これはちょっと深刻な問題。
取り敢えず見切りで払ってくれて、多かった分は次回に相殺してくれるような
そんな(気の利いた)サービスがあれば有り難いんですけどねぇ。。

いやあ、それにしても
老齢厚生年金やら、在職老齢年金やら、高年齢雇用やら、
見渡す限り「老」と「高齢」の文字が躍っています。
それらが自分の置かれている立場なのだと考えると
これはかなり憂鬱になってしまいますなあ。

加齢臭が漂って来そうな本日の文面、
最後までお読み頂いた方には申し訳なく思います。
ごめんなさい!


2012年10月1日

ぽっこり


台風一過、さぞかし夕焼けが綺麗なんだろうなと思い
外へ出てみると陽が落ちた後でした(笑)
ずいぶんと日が短くなったもんですなあ~

休みの日はなるべく歩くことにしています。
さしたる買い物が無くても、
急な坂道を下って丘の下のコンビニまで煙草を買いに出掛けてみたり。
そして帰りは遠回りしてみたり。
それで日頃の運動不足が補えるわけでもありませんけど
自分なりに努力はしている(つもり)なんです。

それというのも・・

ヤバイんですよ、腹が。
ぽっこりと出て来てしまいました。
私と接するほとんどの方は、私が細身だと思っています。
確かに見た目は全体的に細い。けれどお腹だけが・・

ここ数年、健康診断の度に腹周りは年間1Cm程度増えていました。
春に計測したときも前年比+1Cmくらいだったのですが、
それはお腹を露にした場合であって、洋服を着てしまえば誤魔化せる範囲でした。
ところが最近では、洋服の上からでも「ぽっこり」が分かるほど出っ張ってきたのです。
真横から見られると一目瞭然、隠しようがないほどにまで(汗)
Tシャツ1枚だけになると、自分でも目を背けたくなってしまいます。
そこへ家族の(容赦ない)言葉の攻撃、今じゃ反論することもできません。
それどころか、爆弾喰らって失意の連続です(泣)

旧い友人であった京都の故・岸本哲クンは若い頃の或る日、
靴下にあいた穴を嫁から咎められたときに「美だ!」と言い切ってました。
シャツや靴下にあいた穴は、彼に言わせると「男の美学」だったようです。
けれど「ぽっこり・もっこり」の腹はどうなんでしょう。
中途半端な生き様にしか見えないでしょうね、きっと。
いっそのこと、貫禄十分なほどにどっかーんと太く大きな体になってしまえば
それはそれで歳相応の美があるような気がします。
何事も中途半端は駄目ですね。

10月は「ぽっこり」から始まりました。