病気も嗜好も、流行りモノには乗りたくないので
敢えてここでは「あまロス」などという軽々しい流行語は使わないでおこう。
否、使いたくない。言われたくない。一緒にされたくない。
みたいな、子供じみたアンチテーゼで自分を覆い尽くす。
けれど月曜の今朝、
そのぽっかり空いた時間を埋められなかったのは事実だ。
困惑と少々の気まずさが入り乱れ、朝の時間を持て余す。
宮藤官九郎、この男にしてやられたわけである。
彼の作り出す朝ドラは、月曜から土曜まで毎日発刊のコミック(漫画)であり
映像の中に吹き出しが付いていそうな台詞や表情、身のこなし
そしてスピーディーな場の展開など、決して片手間に観られるものではなかった。
常に集中して対峙する様は、まさにマンガ本と向き合う人間の姿だったのだ。
週刊、月刊、隔月刊など、紙媒体の漫画であれば
次を楽しみにしながらも幾ばくかの冷ます時間を与えてくれる。
ところが毎朝15分、濃厚な「続き」が自宅のテレビに送られて来るのだから
これは即ち「日刊」の漫画、手を止め画面に釘付けとなるのも無理はない。
事実、古田新太はラジオ番組でこう言っている。
「毎回手渡された台本を読みながらゲラゲラ笑い、
そして翌週分が待ち遠しくなる。まるで少年ジャンプを読んでるみたいだった」と。
強烈なキャラクターが揃った北三陸編から始まり、
やがて東京編へと移行すると、両方の暮らしぶりや話題が同時進行するという
この手法にもまんまと引きずり込まれてしまった。
隙間無く詰められた小ネタと合わせ、面白さが倍増しないわけがないのだから。
そこへ更に80年代の隠された歴史が散りばめられては
読者(視聴者)を翻弄させる見事な技としか言いようがないではないか。
してやられて当たり前だ。
演出の井上剛も凄腕だった。
クドカンの脚本を生かすべく、同じシーンをカメラだけ位置を変えて撮り直し
テストの回数を減らし「ぶっつけ」に近いリアルさで撮影したそうだ。
後半の名場面のひとつとして挙げられる「生まれたての鹿状態の足」
あれは井上が古田に(台本に無い)アドリブを要求したものらしい。
結果、それに喰らい付き同じ足の動きを真似たアキは笑いを隠せず
布団の中の鈴鹿ひろ美は顔を覆って爆笑を堪えていた。
(正宗さんに鈴鹿スペシャルを飲ませるシーンでも鈴鹿は笑いを堪えてたよね)
普通のドラマであればNGとなるような、そんなカットがあちこちに使われていたのも
この作品をより面白いものにした要因なのだろう。
因みに井上剛氏、朝ドラでは「ちりとてちん」「てっぱん」も演出している。
どれもタイトルが平仮名だあ、なんてところにも目が行ってしまうけれど
思えば「てっぱん」も、のっけから女子高生が海に飛び込んでいたっけなあと
おかしな共通点を見出してしまった。(笑)
・・と、
徒然なるままに書いたつもりだが、読み返してみると「評論」に近いものとなっていた。
あわわ、偉そうに!(汗)
いずれにしても、ぽっかりと空いた穴は心にではなく
一日が始まる朝の時間に、なのだ。
総集編とか、全編再放送とか、パート2だとか、そんなことはどうでもいい。
毎朝届いた「日刊マンガ」が廃刊となってしまったことが辛いのである。
くっそー、クドカンめ。
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