2012年1月31日

明日はお休みします

明日、女房と娘、ポンタと一緒にお見送りをして参ります。
藤が丘から環状4号に出て海軍道路を抜け
瀬谷の阿久和に古くからある「よこはま動物葬儀センター」という所です。
横浜に移り住んで以来、我が家の犬と猫は全てここで見送ってきました。
人間と同じように丁寧に焼かれ、お骨あげをしてから骨壷に収めてくれます。
近くには納骨堂もあるのですが、我が家は毎回家に持ち帰ることにしていますから
のんたんの遺骨は、娘の家か仲間たちの居る我が家に置かれることになるでしょう。

ここでの葬儀はもう7、8回目になりますが
季節に関わらず毎回とても良い天気に恵まれます。
空が綺麗な穏やかな日に、皆旅立って行きました。
どうやら明日も、そんな日になりそうです。

そんなわけで、明日の仕事はお休みします。
私の職場、ふだんは融通の利かないことが多すぎるのですが
「ペットの葬儀に参列のため」という理由でも休みを取らせてくれるのは有り難いことです。



2012年1月30日

ありがとう、のんたん


午後にレンタルの酸素濃縮機が届き、
ビニールカバーで覆われた介護ケージに入れてあげたんですが
つい先ほど、今夜から泊り込んでいる女房から電話がありました。
さほど苦しむこともなく、娘の腕に抱かれたまま息を引き取ったそうです。

母子共に危険な状態になるほどの難産となったポンタの出産、
その後の健やかな成長と飼い主である娘の体の回復、
そして昨日のお宮参りを迎えるまでに至った平穏な日々を見届けて
彼女は自分の役割を全うして天に召されたのでしょう。
一昨年に他界したボーダーコリー犬のフェアリーとは一番の仲良しだったので
密かに娘のその後のことを託されていたのかも知れません。
今ごろは天国でフェアリーと再会していることでしょう。

賢く、物静かで、美人だった彼女。
家に侵入した昆虫や害虫を誰よりも早く見つけ
そして誰よりも俊敏に一撃で捕らえることが出来たほどに
我が家では一番「猫らしい」本能を持った子でした。

娘宅に女房を送り届け、注文していた薬を病院へ受け取りに行き
帰りしな、なんとなくこれが最後になるような気がして声を掛けた時
「行っちゃうの?わたし今夜あたりお迎えが来そうよ」
虚ろな目で、そう言っていたような気もします。

のんたん、享年6歳。
早すぎる死ではありましたが、
その限られた一生の中で十分すぎるほどの役割を果たしてくれました。
共に暮らした家族全員が感謝しています。

・・ありがとう、のんたん。



2012年1月29日

二つの儀式


快晴の空なれど強い北風が吹いた本日、
ポンタのお宮参り、滞りなく終えることができました。
場所は柿生の琴平神社、娘が住む藤が丘からは車で15分ほどの場所です。
巨大な鳥居がそびえ立つその神社は、田園風景が広がる麻生区に在り
日曜の今日はお宮参りや厄除けの参拝客で賑わっておりました。
境内の看板に目をやると・・

気付いてませんでしたが、私・・今年は本厄らしいです。
想定外で驚いちゃいました。
この歳になっても、まだ厄年ってあるんですねぇ。
もういいじゃないか、てぇ気がするんですが(笑)
女房が慌てて御守を買ってくれました。

今さらなので、むろん気休めにすぎませんが
厄除御守、年内は肌身離さず持ち歩くように致します。



ちょっと気になったので帰宅してから改めて調べてみると、
数え年で男性が25歳・42歳・61歳、女性が19歳・33歳・37歳・61歳が厄年だそうです。
迷信だとは言われながらも、医学的にも体の変調が起こりやすい時期であり、
社会的にも大きく環境が変わる時期と重なっているようでして
何となくではありますが、振り返ってみると確かに当たっているような気もしてきます。
けれど今年が最後、来年の後厄を過ぎれば全てが終わるのですから
良からぬ事が起きぬよう体調管理に務めることにしましょう。


ポンタ、皆から祝福されるお前は幸せ者だぞ。
なあんて言ってみたところで、本人に分かるわけがありません。
大きくなってからこの日の写真を見て、それを感じてもらえればいいでしょう。
生まれて初めての長い時間の外出でしたが、終日すやすやと眠っておりました。
私の孫たちは三人共11月の生まれなもので、寒いこの時期がお宮参りとなってしまいます。
次は暖かな時期に頼みますよー!



皆で食事をした後、夕方近くになってから病院へ向かいました。
のんたんの一時帰宅です。
首を動かしたり、目を開いたり、昨日よりは(少しだけ)回復したようにも見えましたが
娘の家に戻ってから少しだけ水を飲んだだけで、やはり何も食べようとはしません。
トボトボと徘徊老人のように歩き、やがて部屋の隅に蹲ったまま微動だにしない状態には
ある程度の予想はしていたものの、落胆が大きすぎます。
それどころか、しばらくすると台所までふらふらと歩いて行って
上の方をちょっと見上げた瞬間にキッチンカウンターを目掛けて飛び上がり
(いったい、どこにそんな力が残っていたんでしょう)
足を踏み外しそうになりながらも必死で飛び乗った後、空のシンクの中に蹲ってしまったのです。
これはマズイ、我が家の疾患を抱えた先代の猫たちの末期もこうでした。
内臓を患うと、その熱を冷ますため冷えたステンレスに腹や胸を押し当てるんですが
経験上、それは終焉が近付いている猫の最後の行動なのです。

ここ数日・・かな。
その姿を目にして、そう思わざるを得ませんでした。
子育てと看病の両方は大変なので、明日から再び女房が娘の家に泊まり込むことになりました。
最期を自宅で看取ってあげる、これもまた飼い猫に対する我が家の伝統です。
今までにそうして何匹を見送ったことでしょう。
家族に見守られ、最期に「ニャア」とひと鳴きしてから静かに息を引き取る。
これは或る意味、我が家の儀式でもあるのです。

今夜の娘宅、
のんたんが居るリビングに布団を敷いて
家族全員が同じ部屋で寝るそうです。
そんな話を聞くと、なんだか嬉しくなってしまいました。



2012年1月28日

役割、なのでしょうか


明日はポンタのお宮参りなんです。
イイニク(11月29日)に生まれたので、イイニクもどきの(1月29日)にしました。

年末、娘の家でカレンダーを見ながらこの日に決めたんですが
のんたん(病気の猫です)は、皆のその会話を耳にして
そうか、それが終わるまでは逝けないな。と、思ったのかも知れません。

病院のケージの隅っこに蹲ったまま
半目を開いて身動きひとつしない彼女に会ってきました。
ここ数日は食事も全くしてないので、体力が残ってないんでしょう。
先生の話では、肺の炎症が治まったので酸素吸入を朝から止めてるそうでしたが
心臓の中にできた大きな腫瘍は手の施しようが無く
いつ危篤状態に陥っても不思議ではないほどに予断を許さない状態のようです。

それでも一時帰宅はできるそうなので、明日のお宮参りが終わった後に迎えに行きます。
レンタルの酸素吸入機が付属したケージを業者に依頼したり
いくつかの準備が残ってはいますが、明日から娘の家で様子を見ることにしました。
問題は投薬と食事。うつ伏せのまま抱っこをすることもできない状態なので
薬は水に溶いてスポイトで飲ませなければなりませんし、
衰弱して食欲も無いので餌を全く口にしてくれないかも知れません。
恐々先生に尋ねてみると、食事が出来なければ2週間ほどで衰弱死してしまうそうです。
食べられる物なら、ふだん口にしないような物であろうと、何を与えてもいいと言われました。
生きている者は、生きるために食べなきゃ、なのです。
病院に見舞った帰り道、娘は明日に備えて何種類も餌を買いました。
練り物やスープ仕立ての物など様々、どれかひとつでも食べてくれれば良いのですがね。

夜になってからの発症だったので、娘宅の近くに救急治療の出来る病院がないか
ネットで検索してたまたま見つけた今回の病院、中田動物病院というのですが
設備もスタッフもとても充実した所なので驚いてしまいました。
元々は獣医さんだったらしく、今でも馬の治療をしているそうです。
ちなみに今回の主治医は副院長の古守先生、信頼できそうな方でした。
中田動物病院 http://www.nac-c.co.jp/top2.htm




病院の行き帰りも、病院の中でも、買い物の最中も
娘の抱っこ紐の中でポンタはすやすやと眠ったままでした。
のんたんの役割は、この平穏な暮らしを守るためのものだったんでしょうか。
もしも家族に降りかかる災いを肩代わりしてくれたのだとしたら
感謝の言葉もありません。



2012年1月27日

病魔


猫は自分の病気を隠すと言われています。
外敵から身を守る野生の本能らしいのですが
飼い主がそれに気付く頃には、
もう手遅れなほど病気が進行していることが多いようです。

我が家で6年近く暮らしていたこの子、
飼い主である娘の家に引っ越して数ヶ月が過ぎました。
孫の顔を見に行った折に何度か顔を合わせていましたが
さしたる変わったことも無いように見えました。
けれど、病魔が巣くっていたのです。

人間で言うなら喘息のような症状が現れて、緊急入院したのが一昨日の夜。
今日娘が改めて診察結果を聞きに行ったところ
なんと末期の心筋症で、おまけに心臓の中には腫瘍まで有ることが分かったそうです。
とても神経質な子だったので、病院という環境に馴染めず
餌をほとんど食べないせいか、げっそりと痩せ細っていたと娘から知らされました。
果たしてあとどれくらいの時間生きられるのか、
明日一緒に病院へ行き、先生と今後のことを話し合わなければなりません。

急なことで本当に驚いています。
そして悲しい。
家族、でしたから。
一番俊敏で賢い子でしたから。

一緒に暮らしているんだから、隠すことなんてないのにね。
言葉が分かれば、もっと早く治療もできただろうにね。
体温が低くて足先がいつも冷たかったのは
心臓に欠陥があったからなんだと、今さら気付くお粗末さ。
皮膚が弱くて、引っ掻いて出血することがよくあったのに
娘の家に越してからはそれも治まり綺麗な顔になったというのにね。
異常に気付けなかったことが悔やまれます。

明日、病院で対面するのが怖いです。
本心を言うなら・・

顔を合わせるのが辛い。



2012年1月26日

パソコン凍る

twitterで、友人のハードディスクが動かなくなって困っているのを見かけ
家もそろそろ気をつけなきゃなあ・・と思っていた矢先、
夜になってパソコンの電源を入れてみると、なんと起動しませんでした(汗)
Windowsは立ち上がり「ようこそ」画面にはなるのですが、
その後しばらくすると真っ黒になり先に進みません。
Ctri+Alt+Deleteでは何故かこんな画面が現れました。


昨日まではなんともなかったというのに・・
ユーザー切り替えをしてログインするとようやく動き始めましたが、
アンチウイルスの一部が機能しなくなっていました(危険!)
おまけにCPUは常時100%近くの稼動を続けているし
メモリーを含め何もかもがメーターを振り切っているような状態です。
いったいどうなってしまったんでしょう?

ひとつ分かりました。
安全のために急遽Windows DefenderをONにしたのでスキャンしていたようです。
今それが終わってCPUは50%程度に落ち着いています。

と思ったら、またしても100%のフル稼働状態に。
作業は出来ていますがメーターを見る限りではフリーズ状態かと(汗)
いったい中で何をやってるんでしょう?

この不安定な動作は厳しい寒波のせいなのでしょうか。
10年ほど前、この家に越して来た年の冬
旧いMacが他界したことを思い出してしまいました。
あのときも今年と同じように、寒い寒い冬でした。

データやファイルのバックアップしておかなきゃ・・



2012年1月25日

・・歳をとったからなのでしょうか?


珍しいことに、今夜は長女が機嫌良く帰って来ました。
お給料日だったからでしょうか。
ホクホクした顔でDSのクリアファイルを数枚譲ってくれたので
大切に使わせて頂きます。これは重宝しますから。




facebookは己が丸裸になってしまうから嫌だと言う人が居ます。
確かに、ちょっと前までの私もその理由から敬遠してました。
けれど最近になってから思ったんです。
隠さなければならないような正体が、果たして自分にあるのだろうか?と。
あれも自分、これも自分、仮の姿が幾つあったとしても
突き詰めると全てが合わさっての私なんですから
実像の少しくらいがNET上に露見したからといって困ることもないのです。
むしろ今は「俺、ここで元気にしてるよ」と、あからさまに公開しているようなもので
英語表記の実名が表示されることも嫌ではなくなりました。

それは個人的に、受け入れられるかどうかという問題ですが
私がそうであるように、この国のNET事情も大きく変わろうとしているように思えます。
facebookのユーザーが増えているのも、その表れでしょう。
今まで閉ざしてきた物を、大勢の人が解き放とうとしているのです。
名を名乗り、堂々と言葉にする。これはとても素敵なことだと思えるのです。
ただしそれぞれに考え方は違いますから、好き嫌いが明確に分かれるでしょうけどね。

私には
隠す(べき)ものは何もありません。

・・歳をとったからなのでしょうか?



2012年1月24日

冬の野郎め


冬の野郎め、あたふたと駆け込みでやって来やがる。



毎年この時期になると、そう思ってしまいます。
これでもか、と言わんばかりの強烈な寒波。
そう簡単に春に陣取られてたまるかい!
そんな冬の意固地さを感じさせます。
前日には雪を降らせ、今夜もかなり冷えてますが
どうやらこの寒波、しばらくは列島に居座り続けるようです。

私、北国で生まれ育ちました。
寒いのは平気でしょ?と、よく言われますが
暑いのも寒いのも、極端なのは苦手です。

実は雪も嫌いです。
嫌いと言うより、雪に弱い体質。
雪の降る凍えた大地で育ったくせにね。
たぶん体に染み付いた自然への無力感からでしょう。
勝てませんもの、自然の強大な力には。
氷点下20℃とか、1mのドカ雪とかを
目の当たりにすると人間の負けを認めざるを得ません。
尻尾巻いて逃げて、家に閉じ篭ってしまうしかないくらい
何にも出来なかったですからね。
私が猫背になってしまったのは
凍土の道を歩いたからか、ストーブの前で丸まっていたからか
そのどちらかなのだと思います。

いずれにしても
冬は嫌い。雪も嫌い。そう呟きながら
背中を丸めてウィスキーを飲んでいる、軟弱な私なのであります。



2012年1月23日

あーでもない、こーでもない


一日中パソコンに向かってました。
もはや引き篭もりの典型みたいな状態。
だって、寒かったんですもん。

先日、sound.jpに引越しさせたホームページを何気なくiPhoneで開いてみたら
恐ろしいほどの数のバナー広告がバチバチ出現して唖然。
パソコンで見慣れた画面の状態ではないのでマニュアルを確認してみると
「広告の表示変更はスマホには対応しておりません」と記されているじゃありませんか。
あっちゃあー!事実を知って愕然としました。

こりゃいかん。
以前のサーバーの方が、スマホで開いても広告表示は少ないようなので
多少長くなってしまうURLには目をつぶることにして
せっせせっせと再構築の(ついでにリニューアル)作業に励んでしまったのです。

こちらがそのサイト、http://kazura1952.web.fc2.com/
ひとたび始めてしまうと、あーでもないこーでもないの悪循環に陥り
書いたり消したりを繰り返しながら、数時間掛けてようやく形が出来上がった次第です。
もう少々手直しを加えてから正式にお知らせしますので
おい、また引越しかよ!・・なんて言わないでくださいね(汗)




明日の朝は雪が積もっているのでしょうか。
車を出せるのか心配です。



2012年1月22日

NHKと私の関係


NHK大河ドラマ「平清盛」本日3回目となりましたが
うーん、この時代のエネルギー感が今ひとつ伝わって来ません。
導入部が暗く、遊び心が全く無いせいか
どこぞの知事がボヤいていた通り、華やかさが足りないのかも。
ゆるいキャラが一人くらい居てくれれば、もう少し楽しめるのにね。
「龍馬伝」「江~姫たちの戦国」「坂の上の雲」などに見られたような
少し気を抜いて楽しめる作りの方が私はいいのですが・・
次も観たい!そんなワクワクした気分にはなれないのが残念です。

ま、明日の「カーネーション」で口直しすることにしましょう。
NHKと私の関係、かなり親密です(笑)



2012年1月21日

facebookとカーネーション


登録してから、やや放置気味だったfacebookの面白みがようやく分かってきました。
フォロワーさんはtwitterとほぼダブってはいるんですが
ツブヤキ以外の部分で視覚的に直接伝わって来る楽しさがあるようです。
要はtwitterに足りなかった物を補ってくれているような、そんな感じなのでしょうか。
色気を出して?ウォールをタイムラインに切り替えたり、友人検索したりしながら再度構築中です。
アカウントは(そのまんま)かずら元年、繋がりご希望の方はお気軽にリクエストしてくださいね。

ここ数日間、twitterとの連携が上手く行ってないようで(以前から時折その傾向はありましたが)
Blogの更新データがfacebookの方に反映されてなかったりしています。
一部の投稿が重複してしまうかも知れませんが、本日から個別に書き込むことにしますので
拙い言葉の羅列ではありますが、「かずら的日常」ご贔屓にして頂ければ幸いです。

話は唐突に飛び、NHKの連続TV小説「カーネーション」実に面白いです。
大阪弁のスピード感と、キャラクターの濃さからなのでしょうか、15分の時間がとても濃厚に感じられます。
毎作観てはいるんですが、第1話から一度も欠かさず観ているのは今回が初めてで
しかも土曜が終わると月曜が待ち遠しくて仕方なくなるくらいです。
ちょっとした中毒症状?いや、それほど楽しみになるのですよ。
来週の展開も面白くなりそうだなあ・・と、いつものように期待しながらも
3月が近付いて来ると、終わりを迎えることが残念な気持ちになってしまいます。
もっともっと観ていたい。
椎名林檎のテーマ曲が流れて来るたび、そう思うのです。

連続TV小説は半年ごとに東京と大阪で交互に制作されるのですが、
私は毎回、秋から春にかけての「大阪版」が好きでした。
その中でも岸和田を舞台にした今回の大阪版はバタ臭い作りとなっていて
大河ドラマでもお馴染みとなったフィルム映像に似た色合いが良い雰囲気を醸し出し
昭和の家庭の日常のドタバタ感に、言いようの無い楽しさを覚えてしまいます。
「カーネーション」もう中盤を過ぎてしまいましたが、おススメですよ!




・・それにしても、今夜も脈絡が無いな(自戒)



2012年1月20日

とんとん冬が戸を叩く


横浜にも初雪が降りました。
夜の間は気温が高めだったので、雪に変わることはあるまいなどと
素人判断していた自分が甘かったようです。
朝にかけて気温が下がり、予報通りの積雪となりました。
冬本番の1月とはいえ、寒い寒い一日です。

今夜は北風が強く吹いてます。
「とんとん冬が戸を叩く」
私の古い古い歌を思い出してしまいました。



2012年1月19日

冷たい女

アルバム「悲しき夏バテ」の中に、「冷たい女」という曲があります。
70年代の一時期に仲良くしていた私の友人、千葉信行の作品です。
笑うと笑窪ができる、どこか憎めない顔つきで
のらりくらりと暮らす様はフーテンの寅さんみたいな人でした。
布谷さんはこの曲をレコーディングするにあたり、
「おんな」は「おな」、「おとこ」は「とこ」と聴こえるほどに
言葉をリズムに乗せるため巧妙にアクセントを変えていました。
それには理由があって、バックコーラスを担当したのがシンガーズ・スリーという
ある意味当時の著名な女性コーラス・グループだったことによります。
伊集 加代、団 洋子、尾形 道子の三人からなるこのグループは
大瀧さんもベルウッドのソロ・アルバム以降に重宝していたのですが、
如何せんそれまではロックとはまるで無縁の畑違いの方々。
イメージ作りから始まり、かなり無理な注文をつけてようやく収録できたと
後で笑いながら布谷さんが教えてくれました。
まだこの時代は、レコーディングに使えるプロのコーラス・グループというのが
彼女たちくらいしか居なかったというお寒い現実があったわけです。

ニコニコ動画にスタジオ・テイクの音源があったので聴いてみてください。
たぶん何を言ってるかわからないでしょうが(笑)歌詞は至ってシンプル。

おまえは女 冷たい女
どうしてそんなに冷たくするの

俺は男 おまえが欲しい
だけどおまえは振り向いてもくれない

銀次さんのスライド、ゆかりさんのドラムも最高です。
そして(熟年)シンガーズ・スリーも頑張ってくれてます。

そのノブユキさん(実は大瀧詠一氏と同郷で同級生)
一緒に福生の大瀧さんの家に遊びに行って朝までブラックジャックに呆けたとき
私や女房、大瀧さんらに(冗談で)ボロクソに言われたことに腹を立て
それっきり顔を見せなくなったまま現在に至っています。
三十数年前の出来事・・ふと思い出してしまいました。
今ごろは何処でどうしてるのやら。



2012年1月18日

昭和の達人がまた一人・・


Twitterで布谷さんの急逝を知りました。
何度かお会いしたことのある、類稀なミュージシャンであり
大瀧さん(大瀧詠一)のファースト・アルバムに収められている「びんぼう」も
彼のバックコーラス(シャウト)によって独特の色合いに味付けされ、
後の「ナイアガラ音頭」で、その名が広く知れ渡り
廃盤となっていた73年の「悲しき夏バテ」の再発売に至った経緯があります。
突然の訃報、まだまだ歌っていてほしかったので残念でなりません。

布谷文夫・・彼は1947年、私と同じ北海道に生まれ
DEW、ブルース・クリエーションのボーカルを経てソロ・シンガーとなりました。
当時のライブでは、声もアクションも(揉み上げも)まるでジョー・コッカーのようで
田舎から出て来た私は、羨望の眼差しで溜息をつきながら観ていたものです。
前述のアルバム「悲しき夏バテ」は、大瀧詠一のプロデュースで73年に発売され
サポート・ミュージシャンの豪華さにも関わらず全く売れず
(仲間内の噂では、全国でたったの17枚しか売れなかったそうです)
すぐに廃盤になってしまった経緯があります。
ちなみにその時のバックはココナッツ・バンクで、粘り気のあるいい音を出していました。
伊藤銀次(g)、藤本雄志(b)、上原裕(ds)、駒沢裕城(ペダルスティール、ドブロ)、矢野誠(p)
クレジットを見ただけでワクワクしてしまう、当時のそうそうたる顔ぶれです。
私はこのアルバムの見開きジャケットの内側の写真が好きでした。


たぶん福生の大瀧さんの家(米軍ハウス)だと思われる室内で談笑している光景が
後のナイアガラ・レコード誕生を予見させる、そんな絵に思えるからです。

機会があったら聴いてみてください。
ココナッツ・バンクがサポートしたA面も勿論良いのですが
アコギ1本で弾き語るB面に、より魅力を感じると思います。
(すみません、アナログディスクの表現だとこうなります)

南部臭漂う彼の歌声、新たな物は聴けないことが残念です。
35年ほど前、大瀧さんのライブでお会いした時に
「喰うための気軽ないい仕事、ないですかね~」と尋ねると
「俺のやってる学研のセールス!これいいよぉ、気楽だし!」と勧誘された記憶があります。
「ナイアガラ音頭」が売れてもなお、家族を養うために働かなければならなかった
そんな時代のお話です。

私の中の「昭和の達人」が
また一人逝ってしまいました。
ご冥福をお祈り致します。



2012年1月17日

すくすく。


またまた大きくなっていました。
赤子の成長は本当に早いもので、
数日前に浴槽デビューして父親とお風呂に入っているそうです。

謎なのが髪の毛の癖。
何故なんだか、みんな立ってしまいます。
気合十分、てこと?
すでにパンク系なのかも知れません。

今日は機嫌が良かったせいか
一枚だけ、まともな写真が撮れました。
鼻の開いた猿顔ばっかりじゃね~(笑)

月の終わりにはお宮参りです。
すくすく。



2012年1月16日

マスクマン

私は、マスクをするのが嫌いでした(覆面じゃないですよ)
昔のガーゼで出来た小さいのも嫌でしたが、
紙製で使い捨ての今のは、サイズが大きすぎてもっと嫌だったのです。
顔の半分ほどを覆い隠してしまう見た目が、大袈裟すぎる気がしてずっと敬遠していたのと
私の奥二重の細い目には目力(めぢから)が欠乏しているため
口元が見えない状態では感情を表現する妨げとなってしまいそうな気がしていたからです。
(目力が弱いとアイ・サインにも苦労するものなのですよ)
その元来「マスク嫌い」な私に大きな変化が訪れました。

数日前に風邪をひいて喉をやられ、やむなく(大きな)マスクを着用したのですが
この異常乾燥が続く渇ききった気候にはとても有効な物なのだと(今さら)気付いたのです。
喉と鼻に適度な湿り気を与えてくれて、おまけに屋外では顔も暖かいじゃありませんか。
実験的に寝る時もマスクをしてみました。
その効能は以前から耳にはしていたのですが、息苦しくなって眠れないような気がしていました。
ところが・・
その予想とは裏腹に、気持良くて寝つきまで良くなってしまいました。
息苦しくなることもなく、おまけに露出した顔が温まるので心地好いのです。
夜の乾いた空気を吸い込まないせいでしょうか、起きた時の喉も滑らかで
こりゃあええ!!とばかりに毎晩の愛用品となってしまいました(笑)

そんなわけで、今日も仕事場へはマスク姿で行きましたが
誰だか分からないのでは?という根拠の無い不安は今もあります。
(私だったら見分けがつかなくなって人違いしてしまいそうですもん)
果たして目力だけで意思の疎通はできるのか?
目下の研究課題であります。


ねえ、こんな感じでも私だって分かるものなの?
街で擦れ違ったら絶対に気付かないよね(笑)



2012年1月15日

記念日

私事ではありますが、
小豆粥を戴く小正月の今日は結婚記念日でもあるのです。
振り返ると37年・・途轍もなく長い年月を一緒に暮らしてきたわけで
その間にお互いの嗜好性が違って行くのも仕方の無いことなのであります。

ある頃から、全く干渉し合わないようになりました。
簡単に言えば無視、口を挟むと喧嘩になってしまうので
自分にとって居心地の良い空間で、それぞれの日常を過ごすようにしています。
お互いを知り尽くしているゆえの知恵、なのでしょうか。
そんな夫婦生活です。

10年ほど前、私にとっては大変迷惑なCMがありました。
長年連れ添った奥様に、ご苦労さまと記念の指輪を贈る内容です。
それを観るたび我が女房どのは「いいなあ・・」と(こちらを見ながら)溜息をつく。
銀婚を過ぎると、記念日には宝石の名前が付いています。
それが年を重ねて行くと、ごんどん高価な物へとなって行くのですから
私の収入で買い与えられるような代物ではありません。
くっそー、ジュエリー・ショップめ!と、当時は苦々しく思ったものです。

そして30年目を迎えた2005年(30年は真珠婚というのだそうです)
ひと区切りとして何か贈らねばなあ・・と、あれこれ思いあぐねた末に
結婚を境にやめていたライブを復活させることにしたのです。
おそらく一番喜んでくれるであろう人間が、当時の苦楽を共にした女房なのですから
プレゼントとしては打って付けですし、安いコストで済むのも有り難いことでした。
2005年1月15日、三十数年ぶりのステージに上がったその日こそが
私にとっては忘れられない記念日となったわけなのです。

早いもので、あれから7年が過ぎました。
音楽を通して多くの方々と出会い、そして今の私が在ります。
あの時に歌い出さなければ、老け込むだけの人生だったかも知れません。
そう考えると、プレゼントとして思い起こすきっかけとなった女房には
やはり感謝しなければならないのでしょう。

今年は還暦を迎えます。
それでも気持ちだけは若造のままです。
しかも青い。
大人になった子供たちから、よく小言を言われます。
そんな時、私も大人にならなきゃなあ・・と、思うのですが
のらりくらりとかわすもんですから、最後は叱られるんです。
こればっかりは治りそうにありません。


(2005年冬)
いつも思うのですが、この頃の方が老けて見える気がします。
私がそう思うだけでしょうか?(笑)



2012年1月14日

ズンチャッチャ


この冬は風邪もひかず健康だよなあ~
と、思っていましたが
ようやく私の体にも風邪菌が入り込んで来たようです。
鼻と喉をやられ、肺が重苦しい感じ。
口内炎も二つばかり出来ています。
息抜きの煙草も不味いので、仕事は早退して来ました。

今夜のお酒は熱燗一本に留め
薬も飲んだのでもう寝ます。
空のベッドに潜り込み、夢の世界を漂いましょう。
治ったら、馴染みの店にも顔出します。
昨年の10月以来、全く出歩いてないですからね。
そろそろ外に出なくっちゃ。

石油ストーブに乗せたヤカンから
ボッボッボッと蒸気が噴き出しています。
今宵もまた、しんしんと冷える夜。
スクロール・ボタンの調子が悪くなってしまったので
間に合わせに西友で買って来たマウス、
なんでこんなの選んじゃったんだろう?
色も形も使い勝手も、すこぶる悪い三拍子。

ズンチャッチャ ズンチャッチャ・・
もう寝ます。



2012年1月13日

引き篭もり、です

ちょっと気兼ねしながら話す相手が知人、
ついポロッと本音を吐いてしまう相手が友人、なんですかね?
近頃私の中では、その垣根というか違いが分かり辛くなってきました。
一度しかお会いしてない方でも、お互いの中身が分かり合っていることもあれば
頻繁に顔を合わせていながらも、実は何も分かっていなかったりするものです。
これもまた、NETを多用する生活習慣の影響なんでしょうか、
遠く離れた関係であっても、身近な人間以上に物事を共有できたりするわけですから
便利だなあと思う反面、なんだか不思議な気分にもなります。
そして思い起こしてみると、実は自分の周囲に居るのは「知人」ばかりで
「友人」として相対する人間が、実はただの一人も居ないんじゃないのかと。

一日を家の中で過ごした休日の今日、そんなことを考えていました。
群れたり、不用意に馴れ合ったりすることを嫌う人間の性、なんでしょうね。

ずいぶんとライブからも遠ざかってしまっていたので
今日は楽器のご機嫌取りをしながら数曲ばかり歌ってみました。
忘れちゃあいない(つもり)ですが、詞の一部に詰まる場面に遭遇して苦笑いです。
けれども少しばかりのブランクがあることによって
自分の歌でありながら、その解釈というか表現というかが違ってくるのも楽しい瞬間です。
今までに「134号線の夕陽」を、こんなに優しい声で歌ったこともなければ
肩の力が抜けて傍観してるかのように歌う「塀にもたれて」も初めての経験でした。
気負いの無い自然体って、やはりとても良い姿ですよね。
日常の如何なる場面に居たとしても、そのままスーッと歌い出せたら素敵だと思います。
敢えて「かずら元年」に変身するのではなく、
普通のオヤジが、普段通りのままで歌えるようになるのが目下の理想形なのですが
私の歌の性格上、そのあたりが研究課題でもあるのでして
日頃は真っ当に?暮らしている分、見た目以上に苦労する部分は多々あるのです。
中身は変人なのですがね。


こんなの引っ張り出してみました。
20年ほど前に購入したShenandoahのMD-18、
C.F.Martinプロデュースによる黒澤楽器のコピーモデルですが、
板材が良質なのと、仕上げがラッカーなので
ほどよく風合いのある色合いに焼けて、おまけに音もいいんです。
これを手に取ると、古い歌を唄いたくなってしまいます。



2012年1月12日

「The」の誘惑

ここ数日の口癖となりました。寒い!!
横浜市内、午前零時の時点で2℃しかありません。
北国で生活している人からすると、ふざけんな!って叱られる気温かも知れませんが
いやはや異常乾燥が続くこちらではとても寒く感じられるのです。
灯油ストーブに点火して1時間が過ぎましたが、室温は未だ11℃台。
もう一度言わせて頂きます、寒い!!

今夜は音楽や楽器の話でもしようかと思っていたのですが、
JTからのニュースが目についたので方針転換しました。


嗜好品の極みとして20本入り¥1000のザ・ピースが来月発売されるそうです。
芳醇な香りのバージニア葉を100%使用している贅沢な代物、
1本吸う度に50円を灰にしてしまう勘定ですが・・味わってみたいという欲望に駆られます。

1946年から今もなお販売されている両切りのピースはとても良い香りがします。
それは数ある国産煙草の中でも異質の存在で、現在も愛好家は多く居るのですが、
いかんせんタール28mg、ニコチン2.3mgという超ヘビー級の数字を見てしまうと
旨いことは分かっていても、すっかり軟弱になってしまった私が気軽に吸えるものではありません。
なのでピースを持っている人間を見掛けると「ねえ、1本いい?」と、おねだりして
「1本だけ」深々と吸い込みながら香りを味わうことにしています。
今回のザ・ピースはタール10mg、ニコチン1mgと少々控えめの数値のようで
ピースが軽くて旨いのか!?とは思いつつ、やはり一度は味わってみたいものです。

対面販売形式の店(いわゆる煙草屋か?)のみで売られるようなので、
2月1日になったら早速探しに行ってみたいところですが
「全国3500店舗」って、置いてある店がかなり少ないのでは?
・・ま、何とか探し当てて後日レポートさせて頂きます。

余談ですが「The」と冠されると、大いなる魅力を感じてしまうのは何故なんでしょうね?
オンリー・ワンの予感と期待??
私も名前に加えてみようかしら、ザ・かずら元年(笑)




明日は日が悪いので完全休養日、
家から一歩も出ない所存なり。



2012年1月11日

メリハリ

冷えてます。乾いてます。
東京・横浜界隈は、もう一ヶ月近くも雨が降ってないんですってね。
寒いわけだあ。

以前、北海道に居た頃よりも寒く感じると書きましたが
ひとつ思い出して、なるほどと頷いてしまいました。
冬の間、地元の人間は必要な時以外は極寒の屋外を出歩かないんです。
だって半端じゃないくらい寒いんですもん。
近い場所でも移動は車(100m先の店に煙草を買いに行くとかね)
体を外気に晒すのは必要最小限の時間内に留め、
暖房の効いた家や店の中に長い時間居るようにしています。
挙句、暑いなあ~と言いながら何枚か脱いで薄着になるのですから
どうしてもこちらの冬の方が寒々しく感じてしまうわけなんです。
北国では建物も乗り物も、これでもかってくらい暖房が効いてましたからね。
外へ出ない限りは暖かで快適だったんですよ。
それに比べると、中も外もこちらは寒すぎます。
明朝の最低気温が氷点下だなんて聞くと、何だか怖くなってきました。

それと、ふと思ったんですが
暖房器具の省エネモードって、どちらかと言うと寒く感じませんか?
そりゃ何かと節約しながらなんですからパワー不足は当たり前ですけど
一瞬にして眼鏡が曇ってしまうような、ガツーン!と来るものが無いどころか
温かな風に時折冷たい隙間風が混ざっているような感覚に陥ることがあります。
どっちなんだ、はっきりしろー!みたいな。
ハイテクな都会の省エネな暮らしって、人間のメリハリを奪って行きますね。
センサーによって温度と一緒に感情までもがコントロールされてるみたいで
そのストレスがどんどん溜まって行くような気がします。
一定の温度に制御されるその平べったい無機質な機能が
曖昧で時に突出したくなる人間の本能を脅かしているのだとしたら
それはそれは怖い話なのであります。




なんだか、取り留めの無い展開になってきました(笑)
明日あたりは気分を変えて久しぶりに楽器の話でも。
都会の寒さに打ちひしがれてなければ、ですが。




あ、何気なく顔を上げた瞬間に
目と目がばっちり合うのって、とてもいいですね。
そんなことがあると、なんだか一日が楽しくなるもんです。
これもまた人間に必要なメリハリ感。
いい夢に有り付けることを願いながら、おやすみなさい。またあした。



2012年1月10日

FIFAバロンドール獲得!


FIFA女子年間最優秀選手賞に澤穂希が選ばれました。
異論など全くない当然の結果ではありますが、やはり快挙と言わざるを得ません。
アジアでは初の受賞ですからね、実力とは言え立派なものです。
トロフィーを手にメッシと同じ壇上に立つなんて、1年前までは誰も予想しなかったことでしょう。
苦難の末に日本女子をチャンピオンに導いた澤穂希が、日毎にどんどん大きくなって行きます。
本当に凄い人です。凄いことをやり遂げ、この先さらに進化しようとしています。
アメリカやドイツなどの強豪を尻目に、女子サッカーのスタイルを大きく変えたことも
彼女を含めた、なでしこジャパンの功績だと言えますし
それを指揮した佐々木則夫監督の受賞も当然の結果でしょう。
男子と女子ではサッカーそのものの捉え方も大きく異なりますが、
綺麗(華麗)に魅せようとする男子と比べ、女子のあのバタ臭いほどのプレーには心打たれます。
一途にゴールを目指すという姿勢は男子も見習わなくてはいけないと思えるほど
彼女たちの妙に格好つけない姿が私は大好きです。

それにしても澤さん・・
顔は今でもゴツイままですが(失敬)ずいぶん美しくなりましたよね。
他の選手たちもそうですが、ピッチに立つ形相との違いに驚かされます。
秘めたる女性としての美しさや柔らかさをお持ちなんでしょうね、きっと。
これからの更なる健闘に期待してます。



2012年1月9日

Blue Moon

降り注ぐ蒼い光、空には大きな月が輝いています。
なんて静かで穏やかな夜なんでしょう。
成人を迎えた若者たちを祝福しているかのようです。
この優しい夜が深い闇に閉ざされることなく
彼らを明日に続く道へと導いてくれることを祈らずにはいられません。

満面の笑みで、夜明けを迎えられますように。



「Blue Moon」 ビリー・ホリデイ

昔むかし、僕が心から笑えるようになる前
僕は月の光が大嫌いだった

詩人たちが魅力的に歌に詠む闇夜の影も
僕には単なる月影でしかなかった

夜更かしする相手もなく
夜10時にはベッドに入る

世の男の中で最も哀れな者にとって
人生とはなんとも苦いものだった

青い月よ
独り佇む僕を、君は見ていたんだね
心に抱く夢もなく
生涯愛する人もいない僕を

青い月よ
僕が何のためにそこにいたかを、君は知っていたんだね
そして君は僕の願いを聞き入れてくれた
心から愛する人に出会いたいという願いを

そう、あの時、突然僕の前に現れたんだ
僕のこの腕で一生抱きしめたいと思う唯一の人が

そしてこう囁く声が聞こえたんだ
“お願い、私を深く愛して...”

空を見上げたら
月よ、君は金色に変わっていたね!

青い月よ
もう僕は独りなんかじゃない
心に抱く夢もなく
生涯愛する人もいない僕なんかじゃない


(日本語訳:東エミ)



2012年1月8日

砂糖の思い出

諸事情から昨日作り損ねた七草粥を今夜になってから食しました。
一年の無病息災を願う伝統ある風習と素朴な味、いいものです。
(一日遅れてしまったので、ご利益が無いかも知れませんが・・)

この七草粥、辞書を紐解くと関東地方の古には
七草をまな板の上に載せ、歌いながら叩いて細かくしたそうです。
その歌というのが、「七草なずな 唐土の鳥が 日本の国に 渡らぬ先に ストトントン」
我が家もさすがにここまではやりませんが、次の世代にも受け継がれて行ってほしいものです。

ちなみに私の家では、このお粥にお餅が入ります。
とろっとろになったお餅、これがまたよく合って旨いのですが
ついいつも食べ過ぎてしまうのが困ったところ。
丼で二杯も頂くと、しばらくしてから胃袋がかなり膨らみますからね。
(今夜もしっかりと二杯たいらげましたが・・)

お餅と言えば、地方によってその食べ方は千差万別。
故郷の北海道では、焼いたお餅を砂糖醤油で食べていたものですから
東京の海苔を巻いて醤油で食べるその習慣には、馴染むまでかなり時間が掛かりました。
今まで甘口で食べていたものが間逆の味になるんですからね。
そんな甘い餅の味を数日前ふと思い出し、早速口にしてみたくなったのですが
砂糖がどこに仕舞ってあるのか分からず、女房に聞いてみようかと思ったものの
江戸っ子の彼女にそんな食べ方を欲しているなどと言おうものなら
おそらく猛烈に不味そうな顔をするに違いないと、やむなく断念してしまいました。
(けど、今も密かに食べたい気分でいっぱい)
四国・・でしたっけ?
味噌味のお雑煮に餡子餅が入っているのは。
それも是非一度食べてみたいものです。

思えば、北海道(私のおふくろ)では、何かにつけて食卓に砂糖が登場してました。
納豆を混ぜる時にも(辛子醤油ではなく)砂糖醤油、これもまた旨いんです。
捥ぎたてのトマトを切って食べる時にも、砂糖をザクザクッとかけてやると
畑の土の臭いが和らいで立派なスイーツに変身したものです。
言ってみれば、田舎では何でもかんでも砂糖をかけていたようなもんで
それが東京へ来てみると、何でもかんでも塩と醤油をかけるようなもんで
若き日の私は、その文化の違いに大いに驚いたものであります。

あーいかんいかん。
こんな夜更けに、無性に砂糖醤油で餅が食いたくなってきた。
砂糖は何処かな・・ゴソゴソ。



2012年1月7日

衰えを隠せないものがあるとしたら

昨夜以上に今夜は冷えているようです。
帰宅して見上げた月夜の空には、無数の星が煌いてました。
山間の里にでも行ったような気分、ちょっとだけ都会に居ることを忘れそうになります。
(私の家が在るあたりは田舎の風情ぷんぷんですけどね)

寒くて乾燥しているせいでしょうか、巷では体調を崩した方を多く見かけます。
長男の家では年末年始にかけて家族全員に重度の風邪が蔓延したとのこと。
例年であれば私が真っ先に具合が悪くなることが多く、
12月を健康な体で乗り切った験しが無いのですが、
今回は不思議なくらい体調が良いので驚いています。

前にも書きましたが、事故に遭って以来
体のあちこちで変調をきたし、毎年何らかの病気にやられるようになりましたから
病院通いも無い今の健康な状態は異常現象とも言えるのです。
うーん、どうしちゃったんでしょう。
この先しっぺ返しが怖いので、逆に何だか心配にもなってしまいます。
眼をやられたのも、耳をやられたのも、春先だったよなあ・・と。

自分が六十になる頃には、体がどうなっているんだろう?と、
未知なる世界に足を踏み入れるずっと前から想いを巡らせていましたが
私の場合、何も変わりませんね。
10年前と比べても衰えている箇所が見当たりません。
ふだんは車ばかりの生活なので、休日には遠くまで歩くようにしてますが
足が痛くなったり、スピードが落ちることも無く山坂を越えられます。
疲れやすくなったということも無く、毎晩遅くまで起きていられますし
ありがたいことに食欲も旺盛、酒も煙草も美味しく戴けてます。
平均寿命が延びているということは、人間の老齢化も先へ延びているんでしょうね、きっと。



あ・・うそ。

あっちの方だけは正直言って自信が無いです。
錆び付いて動かなくなってる・・かも知れません(汗)
衰えを隠せないものがあるとしたら
たぶん、あそこでしょう。



2012年1月6日

春よ来い!


小寒を迎え、いよいよ冬本番です。
北海道で生まれ育った私でさえも、関東平野の空っ風は堪えます。
ひどく乾燥しているためでしょうか、
先の鋭い刃で体を抉られているようで、空気がとても痛いんです。
腰の軽そうなその寒さは、風に煽られ体に纏わりついて来ては
まるで嘲笑うように冷たい息を私に吹きかけて行きます。

北海道の冬はというと、
気温では内地(本州の意味)と比べ物にならないほどですが
重厚でずっしりとした寒さの方が、体に与えるダメージが少ない気がします。
ぺらっぺらの薄情な冬よりも、分厚く重たい冬に温もりを感じてしまうような
上手く言葉にはできませんが、そんな不思議な感覚です。
外がどれほど凍て付いていようとも、
赤々と燃えるストーブを囲むと気が和みます。

薪、石炭、灯油、時代と共に暖房用の燃料が変わっても
寒気の隙間を埋め尽くすように、濃厚な熱が部屋を体を温めてくれるのが
北海道の冬であり、それは今も昔も変わってないのです。
関東の冬は、その暖房ですらペラッペラに薄情な感じがして
それが余計に寒さを募らせているのでしょう。

あとひと月ほど
この寒さに耐えて行かねばなりません。
それでも徐々に日が長くなっていることに気付くと
春の足音が近付いているようで呼んでみたくなるのです。

春よ来い!
毎年この時期になると口にしてみたくなる命令形です(笑)



2012年1月5日

女体の神秘


娘の家に届ける物があったので、新年を迎えたポンタの顔を見て来ました。
この時期の成長の早さには、ほんと驚いてしまいます。
つい十日ほど前までは猿顔だったというのに、それがずいぶん優しい表情に変わり
すっかり人間の子供らしい顔つきになっていました。
命あるもの、その逞しさって凄いですね。

最近、こんなことを思うんです。
数億年前、水中で暮らしていた生物が陸に上がり
それがやがて二足歩行を始めるまでの気が遠くなるような人類生誕までの進化の過程が
羊水に満たされた母親のお腹の中で再現されているんじゃないかと。
四つ足のハイハイ歩きから、掴まり立ちして歩き出すまでのわずか1~2年に
それらが凝縮されているような、そんな気がするのです。
まさに神秘の世界。
赤子の顔つきが猿から人に変わって行くのも、そのせいなんじゃないでしょうかね。
私たちは人類の進化の過程を、赤子を通して間近に見ているわけなのですから
生命の尊さを教えてくれる子供たちは、やはりこの星の宝物なのでしょう。

余談ですが、
私の少年時代に「女体の神秘」というドイツの映画がありました。
おそらく性教育を兼ねた、ある意味真面目な作品だったと思うのですが
その内容に関わらず、思春期の少年にはとてもエロチックな響きを感じたものです。
それは別として、原題「Helga(小惑星)」とこの邦題も、今改めて目にすると言いえて妙な気がします。
女体はまさしく宇宙そのもの!ですからね。



うーん、いったいどこから侵入して来るのでしょう。
昨年の後半辺りから、玄関と台所の間の壁の僅かな空間に時折ネコらしき動物が入り込み
身動きが取れなくなって、もがき苦しむ音が聴こえる夜があるのですが
(壁の中だから、如何にネコとは言えどもそりゃあ狭くて焦るわけですよ)
それが今夜は私の部屋の天井裏に出没したのです。
天井から聞き慣れない音がするのに気付き見上げていると
すりーすりーと斜めに横断して行きました。
明らかにネコの警戒した足音です。
旧い家なので、やつらの出入り口を見つけるのは容易なことではありません。



2012年1月4日

器(うつわ)

昨夜、携帯に友人からの着信があった。
根拠は無かったけれど、たぶん何かしらの理由で淋しい思いをしているような予感がして
帰宅してから他愛もない文面でメールを送ってみた。
すぐにいつもと変わらぬ装いの文面が返って来たけれど、
いやいや、きっと何かあったに違いない。
もう一度メールを送ってみると、即座に電話が掛かって来た。
案の定、ふだんの陽気さとは懸け離れた消え入るような沈んだ声だった。

何事にも真っ正直に、人には嫌な顔をみせず力いっぱい生きている彼女を見ていると
危うさと脆さが背中合わせであることが、顔を合わせるたび心配に思ったことがある。
それが本人の生き方であるなら、安易に口を挟むこともできないし
それが幸せなのだと言われれば、返す言葉などあるわけもない。
笑顔の裏側に秘められた覚悟など、傍からは知る由も無いのだから
会うたびに世間話はするものの、敢えて掘り下げた話題になることはただの一度もありはしなかった。

話を聞いてみると、今までずいぶん無理をしてきたようだった。
人への気遣いや思いやりの強い性分がそうさせてしまったのだろう。
或いは、取り残されてしまう孤独感から必死で逃げようとしていたのか
ここ2年ほどの生き様には、胸を打たれる思いがする。

けれど私は聞き役に過ぎない。
悩める者に道を指し示したり、気の利いた言葉で癒すことさえできない。
解決策を授けるような振りをして、人の心を弄んだりしたくないからだ。
たとえ奈落の底に居たとしても、出口はきっちりと自分で見出さなければ
この先さらに複雑な迷路に迷い込んでしまうだろうし、
人を救ったり支えてあげたりすることは、善意だけで成り立つものではなく
その責任を共有するこちら側にも相当の覚悟が必要になるのだ。
軽はずみなことを言って、その結果相手がどう動くのか
私にはそれら全てを受け入れるほどの大きな器が無い。
否、それ以前に
私ごとき体たらくな人間に、そんな度量があるわけがない。

「おかげで少し元気になれた」
それでもそう言ってもらえたのは嬉しいことだ。
切羽詰って危険な状態から、ほんの少しだけでも抜け出すことができたのなら
ただそれだけでも本当に良かったと思う。

「人から嫌われてもいい、取り残されてもいい、妥協せず自分の思った通りに生きなさい」
最後に私はこれだけ言わせてもらった。
何ら解決には至らずとも、私なりの精一杯のエールだ。
それは60年近く生きてきた、私自身の結論でもある。



2012年1月3日

Really

私が家から20Kmほど離れた仕事場へ車で15号線を走る時間帯、
正月は東神奈川の辺りでこれが見事に駅伝の復路と重なります。
なのでひとたびタイミングを誤ると、しばしの間通行止めとなり身動きが取れなくなるのでして
毎年この日だけはトップランナーとの競争と相成るのですが・・

今年もまた私の勝ち。
通行を遮断するために交通規制の警察官が無線機を握り締めているのを横目に
トップがやって来る10分ほど前に15号線に乗ることができました。
毎年恒例となった、沿道の小旗を手にした群衆の前を走り抜けるのは快感でもあります。

5年ほど前、一度だけトップが通過した後に15号線へ辿り着いたことがあります。
その時も信号機の無い神奈川警察署近くの路地から入ろうと目論んでいたのですが、
夥しい数の群衆が行く手を阻み、15号線を目の前にしながら諦めかけたその時
一人の初老の警察官が車一台分の隙間を作って通してもらえたのです。
いいのかしら?と思いながら国道に出てみると・・

がらあ~んとした片側4車線の広い道に他の車両は無く
沿道には手にした小旗を振る市民が幾重にも重なり
遥か彼方まで信号機は全て青、の世界が広がっています。
これはちょっとばかり恥ずかしい。
アクセルを踏むのも遠慮がちになってしまいました。
おまけに、しばらく走って行くと・・

あろうことか、生麦の手前でトップランナーに追いついてしまったのです。
前後は白バイ、脇には中継車と伴走車、沿道は千切れんばかりに振られる小旗。
民間?の車は私一台だけの世界、これを追い越して行くのは度胸が要ります。
あわわわと焦りながらも、辛うじて追い抜く前に生麦で右折することに成功。
無事に産業道路へと逃れることができましたが、
あまりにもリアルなこの体験は、今でも忘れることができません。
現実離れしている光景は夢と紙一重なのですから。

数日が経過してから思いました。
リアルな物事ほど、それがまがい品のように感じてしまうのだと。
あの日の光景を思い起こすと・・

何だか全体が嘘っぽい。
中継車は、実はロケ隊の撮影車。
白バイは偽者、沿道の市民はエキストラ。
はて?ランナーを務めた役者さんは誰だっけなあ?・・みたいな。
ドラマの撮影現場を見ていたような感覚なのです。
TVの映像に慣れてしまい、現実と仮想の区別がつかなくなってしまったのだとしたら
それは怖いことですよね。

思えば3.11の当日、夕方のTVに映し出された被災地の光景も
すぐには現実の事と受け入れられなかったものです。
そう、まるでCGによって創り出されたようなミニチュアの世界。
嘘だろ、嘘だよな、嘘にきまってる。
けれどそれは、紛れもない事実だったのです。

車の硝子のフレーム越しに見る世界は
どこかTVの映像と似て、嘘っぽく感じるものなのです。
リアルな体験は、地面に立って空気ごと間近で感じ取らないと駄目ですね。
・・という結論。



2012年1月2日

Magic Dragon

そうなんです。
辰年の2012年を迎えたということは
年男である私が、なんと60歳に到達するわけであり
よくもまあ、こんなに長生きできたものだと感心してしまうのです。

実は幼い頃、私は自分の生涯が50年なのだと勝手に思い込んでいました。
理由は分からないのですが、たぶん何かのお告げがあったんでしょう。
おまえは50歳でこの世を去る、と。
それ以来、その歳が近付くにつれて
自分はいったいどんな死に方をするんだろうと、そればかり思うようになりました。
けれど不思議なことに悲壮感はまるでなく、
ドラマの結末を考えるような、どこかワクワクした気持ちで夢想していたものです。
が、上手くシナリオが描けなかったので開き直りました。
さあ来い!50歳!!

ついにその誕生日がやって来ました。
いつもと変わらず、何も起こりません。
翌朝、布団の中で目を覚ますと
やはりいつもと変わらずに、私は生きているではありませんか。
それから数日が過ぎ、やがて数ヶ月が経ち
それでも私は生きていました。
あのお告げはいったい何だったのでしょう。

その後、年が変わってもまだ生き長らえているのを見届けると、儲けた気がしてきました。
五十を過ぎてからの人生は、全てが付録みたいに思えてきたのです。
半世紀という折り返し点としても切りの良い数字の節目に
ある意味、生まれ変わったような気分さえ芽生え
こりゃあこの先、楽しく生きなきゃ損だよな!と思うようになりました。
三十数年のブランクを経て再び歌い出すことになったのも
たぶんこの時の開放感にも似た感覚がそうさせたのでしょう。

あれから10年が過ぎました。
その間には、20tトレーラーに追突されるという大きな事故にも遭い
あーこれだったのか、遅れて来たけどこれだったのか、と
ルームミラーに映る大きな黒い影がノーブレーキで突っ込んで来るのを見ながら
衝突の瞬間まで人生の終焉が訪れたことに想いを馳せていたものです。

が、それでもしぶとく生きてました。
体の右半分が麻痺して、回復するまでに半年ほどを費やし
自律神経がおかしくなったせいで様々な病を患い病院通いが増え
挙句、右眼は急性網膜壊死という極めて症例の少ない病に冒され
2時間35分もの眼球内手術を施され、数度に渡り入院生活を送ったりもしましたが
死神が迎えに来ることはなかったのです。

今こうして、この10年を振り返ってみると
如何に災いや試練が多かったとは言え、楽しく生きて来られた気がします。
これを「楽しい」と言ってしまうと語弊を招くかも知れませんが
痛みや苦しみを経験することで、人は優しくなれるのですから
私みたいな捻じ曲がった人間には学習としての良い教材になったのだと思うのです。

さあ、ここから先は未知の世界です。
まさか60まで生きられるとは思ってもいなかった私にとって
オマケが更なるオマケを生み出そうとしているのですから。
好奇心に満ちた眼差しで、これから先を見届けようとしています。
やって来たばかりの2012年に、今とても興奮しているのです。



今夜のBGMは「Forever Young」





2012年1月1日

元日に想ふ

新年明けましておめでとうございます。
昨年の我が国は、近年稀に見る未曾有の大きな災害に見舞われ
誰もがその凄惨な光景と原子力に頼りすぎたエネルギー政策の無謀さに恐れ慄いた一年でした。
いつもの歳末であれば、年忘れの酒席と共に惜しみなく行く年を見送るのですが
今回ばかりは、うかつに忘年などできない永遠に記憶すべき年の瀬となったようです。
瓦礫の撤去や町の復興にだけ関して言うなら数年のレベルで解決できるでしょう。
けれども、ひとたびメルトダウンした核施設の処理には数十年から百年もの時間を要します。
人体や動植物に影響した結果が現れるのもこれから先の話です。
利益ばかりを優先する電力会社のずさんな管理と運営が招いた原発事故は
人災以外の何物でもないのですから、これからも注意深く事の真相を見つめて行かねばなりません。
そのためにも、忘れてはいけない年として2011年を胸に刻みつけたまま
新たな年を迎えたという方が、おそらく大勢いらっしゃることでしょう。
決して風化させてはいけない、国民の全てがそう念じていることを願ってやみません。



元日の今日、散歩がてら近所に在る切割神明社へ参拝に出掛けました。
正月だというのに、あまりにも殺風景な境内は相変わらずですが
土地を切り売りしたようで、広かった敷地には数件の分譲住宅が建てられ
巨木の幾つかも姿を消していたのが残念な気がします。


一本だけ、大きなイチョウの木が残っていました。
ずいぶんと家の数は増えましたが、この辺りは雑木林が多く
この高台から見下ろすと、まだまだ沢山の木々を目にすることができます。


ここ旭区は起伏の多い土地柄で、山というか丘というか
家を出て何処かへ向かうには何度も上ったり下ったりしなければなりません。
おまけにその坂道はかなり急なものですから、この神社までの道程にも結構厳しいものがあります。
日頃は車に乗ってばかりなので、せめて休日くらいは歩くようにしているのですが
その思惑とは裏腹に、この程度ではさほど運動不足の解消にはなってないような気もします。
ならば、と奮起したわけではありませんが
ここから再び歩き始め、相鉄線の駅の方まで足を延ばしてみることにしました。
ダウンコースです。


駅前の西友に在るスタバに立ち寄り、ドリップをショートでカップに入れてもらい
新年最初のコーヒーを飲んでいたのですが、
折りしも14時半頃、鳥島近海で発生したM7の横揺れにやられてしまいました。
3.11の地震にも似た初動の揺れ方に、これから大きな揺れに変わるのではと
道路に面した大きな硝子脇の席に座っていたので内心穏やかではありませんでした。
歩いている最中なら気付かなかったことでしょうし、
心の中では「おいおい、何も正月早々揺らすこたぁねえだろう」と、
姿の見えない相手に向かい漠然と苛立ってましたから(笑)

帰宅して年賀状に目を通すと、
十数年ご無沙汰していながら毎年欠かさず送ってくださる方の葉書に
「ブログ、みてますよ」の一言、なんだか嬉しくなりました。

かずら的日常、本日から再び連載開始します。
拙い言葉の羅列ではありますが、どうか本年もお付き合いのほど宜しくお願い致します。